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乾杯

今日は、父の八十一歳の誕生日でした。

息子と一緒にショッピングモールへ行き、ポロシャツを二枚、赤ワインと芋焼酎をプレゼントの為に購入しました。

「パパ、去年さ、じぃじに半袖のポロシャツをあげたでしょ?じぃじは結構寒がりだから、今年は長袖をプレゼントしたら?思い出して見るとさ、半袖を着てる姿、おれ見た記憶ないんだよね」

と、息子が頼もしい、洞察力に溢れたアドバイスをしてくれました。

「なるほど!考えてみたらそうやね!夏でも長袖や!」

「あんまり派手じゃなくてワンポイントでロゴが入ってたりするのが好きみたいだよ。襟元が違う色だったりとか。パパはドクロとか豹柄とか好きなのに、親子でだいぶ違うよね!」

そう言って息子が笑いました。

「そうなんよ。パパより、孫のしゅんと好みが合うんよね、じぃじは。お酒とかもそうでしょ?隔世遺伝って言うんだっけ!?あんまり詳しくないけど確かにしゅんはじぃじと似てるっていうか、好みが近いけん、不思議よね」

私にとっての父は、ひと言で表現するならとにかく『怖い存在』です。

この年齢になっても、やはり少し気を遣うというか、どことなくかしこまってしまいます。

父はたくさんの趣味を持っています。

大きな船を二隻所有し、数えきれないほどの釣り道具を持っていて、鯛やチヌ、太刀魚などを釣りに出かけます。

またスポーツが大好きで、若い頃は陸上の短距離、中距離の記録保持者でもあり、野球やソフトボール、相撲やケンカなども負けたことがないと、母が言っていました。

今はグラウンドゴルフに汗を流し、大きな大会にも必ず参加しています。

スポーツ観戦も大好きで、野球やサッカーはもちろん、駅伝やマラソン、バレーにバスケ、格闘技なども大好きです。

私の卒業した高校も、息子と娘が通っていた高校も、どちらもスポーツが盛んで、甲子園やサッカーの全国大会などによく名前が挙がります。

そんな時は朝からテレビを観戦しながらビールを飲み、大きな声を出して応援しています。

私は子供の頃、物心ついた時分から随分と父に叱られました。

いわゆる、出来損ないだったのかも知れません。

小学校低学年で、まだ部活動が始まる前からソフトボールを熱心に教えてもらいました。

「いいか!右バッターより左バッターの方が、一塁ベースに一歩近いから、左で打てるように毎日素振りをしなさい。練習でも試合でも、打てなくてもいいから絶対左打席に立つんやぞ!いいな!」

「ピッチングはな、小手先のコントロールにこだわるな!重くてスピードのある球を投げるように意識しろ!重いボールはたとえバットに当てられても遠くには飛ばんから。」

まだ小さい私にはとても難しい話の内容で、夏の夕暮れの中、涙を堪えながら、たまには泣きながら父の構えるミットめがけてボールを投げていたのを今でもはっきり覚えています。

父は、当時社会人のソフトボールチームにも所属しており、四番でピッチャーでした。
またサードや外野も守り、キャプテンでした。

週末は、家族や会社の人達と、試合の応援によく行っていました。

父はほとんどの打席でヒットかホームランを打ち、チームはいつも優勝していました。

また、運動会のプログラムにある消防団の短距離走やリレー、子供と一緒に参加する大盛り上がりの家族リレーでもぶっちぎりの速さで、地区でも有名な存在でした。

体育の先生も部活の先生も、誰も父には敵わず、

「いやぁ、松本、お前はソフトボールも陸上も、全部お父さんの言う通りのやり方でやっていいよ。だって先生達が教えてもらいたいくらいぞ」

そう言って地面にしゃがみ込んだ先生の、ため息混じりの笑顔が今も忘れられません。

何をするにも真剣で、厳しくて、強くて大きくて、険しい山や壁のような存在は、今でも変わらないから不思議だなぁと思います。

私には二人の子供がいます。

二人とも大学と専門学校を卒業し、息子は四月から社会人です。

妻は娘を産んだ年の晩秋、病気の為他界しました。

間も無く息子が二歳、娘が一歳になろうかという、少し肌寒い日でした。

大きなリュックに、二人分のミルクとオムツ、絵本やおもちゃを入れ、二人の幼い子供を連れ、熊本の実家に帰りました。

父が、「お前も大変やったな。いろいろと仕事とかこれからの計画とか考えなんことも多いけど、まずはゆっくりして、落ち着くようにせなんな。慌てんでもよかけんな。また新しい出発やと思って頑張らなんなぁ」

そう言ってくれました。

その時の父の目と声は、今まで自分が聞いた中で、一番温かいものでした。

父の言う新しい船出が、その時始まりました。

私にとって、第二の人生の幕開けです。

なんの取り柄も資質もない自分というちっぽけな人間が、こうして子供達とスタートを切り、ここまで歩んで来られたのは、あの時の父の言葉のおかげだと確信しています。

そんな二十年前の懐かしい話をしながら、息子と買い物に出かけた。

誕生日会、と言えば少し大袈裟だけれど、晩御飯の席で息子が、

「じぃじ、誕生日おめでとう!これ、パパと選んだけん!」

そう言ってプレゼントを渡した。

「どれ、おっ!!洋服とお酒やんか!!」

父が満足そうに笑った。

母が、馴染みのお店から豪華なお寿司を取り寄せてくれていたのでびっくりした。

父が活かしていた大きな鯛も、刺身やあら炊き、塩焼きと姿を変えて食卓に美しい花を添えていた。

ビールで乾杯する時、父は少し照れくさそうな表情をしたので、声を出してみんなで笑った。

「わかなは仕事が忙しくて帰って来れんかったけど、今度プレゼント持って帰省するて言いよったよ!」

と息子が言った。

「そりゃ楽しみや!!」

父も美味しそうにビールを飲み、ご機嫌だった。

「いやぁ、ばって、しゅんにこうやってお祝いしてもろて、一緒にお酒飲むなんて、考えられんこつやったわい。しゅんとわかながこっちに帰って来た時はな、まだ二人ともオムツしとったんぞ。じぃじはよちよち歩きのしゅんを連れてな、海岸に行って石投げしたり公園でブランコに乗せて遊ばせたりしよったんやから。アンパンマンのリュックにお菓子を入れて食べさせて、オムツも替えてたんよ。」

「パパが新しいお仕事探しで出かけてる時は、じぃじとばぁばで二人の子守りをしよったんよ。まぁ、しゅんは泣きもせずにいっつもニコニコして、アンパンマンとトーマスのテレビ観て言葉も覚えてねぇ」

と、母もレモン酎ハイを飲みながらしみじみと話してくれた。

「いつもあれこれ買ってもらって、ありがとな。あんまり無理してお金遣わんでいいけんな!しゅんもありがとな」

父は早速、芋焼酎を開け、

「お!これは香りが良かなぁ!」

と、嬉しそうに味わっていた。

私も、少しばかりほろ酔い気分になり、父に話しかけた。

「お父さん、しゅんが小さい時よく言いよったよ。じぃじはなんか不思議な力を持ってるて。庭に遊びに来るたぬきもいのししの赤ん坊も、警戒心の強い産まれたばかりの子猫も、イタチなんかもじぃじには懐いとるて」

「じぃじは偏屈者で変わり者だけん、人間より動物に好かれるとよ!」

母がからかうように言ったので、またみんなで笑った。

お酒の一番のおつまみは、笑顔と思い出話だなぁと思った。


食事の時間が終わり、台所でひとりコーヒーを飲んでいると、お風呂上がりの父がやって来た。

「しゅんも就職決まって安心やな。けど、子育てはひと段落ついても、大変なんはこれからやけんな!お前達がこっちに帰って来たみたいに、人生は何があるか分からん。だけん、もしな、しゅん達に何かあった時、今度はお前が支えになって帰る場所をちゃんと作ってたあげなんぞ。」

「今はほら、学校も会社もコンプラだパワハラだって言うて、みんなが互いに変に気を遣って、当たり障りのない話しか出来ん、おかしな時代やろ?怒る人も説教してくれる上司ももうおらん世の中や。だけん、父親だけはな、たとえ子供に嫌われても煙たがられても、怒る時はしっかり怒って、怒鳴って、ゲンコのひとつやふたつ、食らわせなん。よかや?子供に好かれよう、気に入らよう、そんな風に思ったらお前はダメやけんな!怒るのも愛情、叱るのも愛情、ゲンコツも愛情やけんな。父親っていう存在はな、嫌われてこそ意味があるんだけん、そっば忘れるなよ。」

さっきまでの少しおちゃらけた表情とは違い、父らしい威厳のある厳しい言葉だった。

私は背筋をピンと伸ばし、

「わかった。ありがとう」

と応えた。

私は父が、「すまんな」とか、「ありがとな」と、優しい声を出す時、やはりどこかで寂しい気分になる。

父には、

「しっかりせんか!こんバカが!!」

そんな大声が似合っているし、カッコいいなと思っている。

だからこの先も、もっと説教をされるくらいの出来損ないでもいいのかなとふと考えたけれど、私も二人の子の父なので、さて、どうしたものかとうまく考えがまとまらないでいる。

父が、
「しゅんも風呂からあがったみたいやな!ちょっと呼んで来い!しゅんの好きなハイボール用に、高いウイスキーを買ったんや。お前も飲めるんやろ、ハイボール!?それなら三人で飲みなおしや!」

二階への階段を上がろうとすると、たたんだ洗濯物を整理している母が、

「あんた、なんかお父さんに言われよったでしょ?多分ね、いろいろ嬉しかったんやと思うよ。お父さんたい、頑固者やん?だけん素直には言わんけどね、この前、『あやつはしゅんとわかなに、ちゃんといいところを褒めてやったり今でも頭を撫でてやったりして、そこは偉いと思うわ。おれはそんなんは小っ恥ずかしくて出来んもん。父親として厳しくもせないかんし、母親の様に包容力で温かく包んでやらないかんし、片親やけどあやつはどっちも上手くやって来たもんなぁ。二刀流やんか。まぁ大谷の足元にも及ばんけどな』て、感心してたよ。前は、『おれなんていつ死んでもよか。子供も大学まで出して役目は終わった!』なんて、酔って言いよったけど、今では『しゅんがもし結婚して子供連れて来たらまた散歩に行くぞ。ひ孫や』とか言うとるんよ」

と、口を隠しながら小声で言った。

それでも隠しきれないほど、笑っていた。

父と息子と、途中でやって来た母と、二度目の乾杯をした。

胡桃やおかき、枝豆がおつまみだった。

みんなの新しい航海がまた今日から始まる思いがして、少しだけ身震いした。

二十年前のあの日のように。

笑顔と言う名の風を味方に。

進め!進め!

負けんなぞ!

そんな声が聴こえる気がした。























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