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祖父のラブレター~半世紀を越えても消えない愛の消印~

7/2 亡くなった祖父の誕生日である。

祖父は5年前、病気で亡くなった。
その日は夏の終わりにも関わらず暑く、地元で年に一度の花火大会が行われた日でもあった。
その当時、私は地元ではなく関西で暮らしていたのだが祖父が亡くなった日の夕方に母から「今夜が峠かも」と宣告されていた。
宣告どおり夜中に「花火とともに逝きました。帰ってきて。」との連絡を受けてすぐに帰省した。家から最寄りの高速バスのICに降り立ったとき、家族全員が私を迎えに来た。普段迎えにも見送りにもこない父さえもが車に乗っているのを見て、私の身体は余計に強張った。みんな疲れた顔をしながらも、母の運転で家に向かった。

家に戻って、祖父の遺体と対面したとき強張った身体が一気に緩んだ。その瞬間、私は声を上げてわんわん泣いた。
私は祖父にとって内孫だったからか、共働きの両親に代わって祖母と二人で私と妹の面倒をよく見てくれた。涙が止まらず、滝のようにでたのは祖父への想いと愛情が溢れ出たからだった。

物心ついたときの祖父のイメージはセブンスターのタバコを吸い、夕飯には必ずと言っていいほどししゃもを肴に焼酎のくろうま、いいちこをよく飲んでいたことを覚えている。
生涯現役で百姓だった祖父は麦わら帽子が良く似合う人でトレードマークでもあった。百姓としての長年の功績が称えられ、JAから表彰されてもいたし、農家の相談役も担っていた。地元は田舎だったから、学校帰りの通学路で出会った年配の人に「こんにちは。」なんて挨拶すると「どこの子や。」なんて聞かれて「喜良の孫です。」と言うとその地区で祖父の名前を知らない人はいなかった。友人からも「おじいちゃんかっこいいよね。」と言われることがあったくらい昔も今も、自慢の祖父である。

祖父の下の名前は「喜良(きよし)」と書く。
身内贔屓で申し訳ないが、良い名前だと思う。
祖母と出会い、父を含めた子供を4人も育て上げた。

最近、実家で田植えがあり祖母と話す機会が持てた。その際に祖母に祖父との馴れ初めを聞いてみた。こういう話が聞けるチャンスも、もうなかなかないだろう。自分の知らないことを知っている人が逝ってしまう前に聞いておくものだと思った。

二人の馴れ初めはこうだった。
祖父と祖母は青年会の集まりで出会った(今でいう合コンのようなものらしい。)祖母は祖父(の顔面偏差値の高さにノックアウトして)に一目惚れ。祖母が友人に「かっこいい人がいた(祖父のこと)」と言いまくってたらどうやら祖父母の共通の知り合いがいたらしく、その人が世話を焼いてくれてお付き合いがスタートしたらしい。祖母はなかなかのやり手のようである。

祖母がここまで話してくれ「見せてあげる。」と言って部屋の奥からあるものを出してきた。
それは祖父から祖母へあてたラブレターの数々である。

半世紀前のラブレターの登場に私は驚いた。
よくよく見ると消印が32となっている。多分昭和32年(1957年)のことだろう。終戦が昭和20年だから、それから12年後の平和になった時代に二人は出会った。ちなみに1957年の出来事としては初の5千円紙幣が誕生。(肖像は聖徳太子)コカ・コーラ、日本での販売開始の年らしい。
祖母が「ばあちゃんが死んだとき、一緒に棺桶に入れて燃やしてね。」なんて可愛く言うもんだから驚きは2倍になった。心の中で絶対棺桶に入れる前にpdfにして一生保存しておこうとは口が裂けても言えない。

手紙の内容を見せてもらえた。
そこには祖父の真面目さと誠実さが分かる文章がつらつらと並んでいる。

「素直に申しますと恋愛とは人間形成の第一歩をふみだすように思います。ほんとに馬鹿みたいなこと書き並べましたが、ただ慢然と書きたくなってしまったのです。ては、貴女自身の生活の環境と知性を繕い健康でやさしい人であって下さい。では又お逢い出来る日を待っています。」

「(デートの日を約束して)では、この日を楽しみに又明日の忙しさにまけないように懸命に働きましょう。」

スマホもLINEも、そんなものこの時代にはまだ存在していない。簡単に連絡が取れなかった時代に恋人たちはこうして連絡を取り合っていた。
デートも手紙のやりとりから考えると月に何度も会えたわけではなさそうである。
祖母の好意から始まった恋だけれど、手紙を読む限り祖父もまんざらではなさそうな様子が文章からうかがえる。祖母のことを想ってか「健康で優しい人であって下さい。」とか「懸命に働きましょう」と書くあたり、きっと恋愛が得意ではなかったであろう祖父なりに頑張って愛を伝えたのだろうと推測する。いずれにせよ、祖父の行動も言動もこの手紙の内容もかっこいい祖父に変わりはなかった。(身内贔屓有り)

こうしてラブレターを一通一通丁寧に読んだけれど、祖父母が出会わなければ父が生まれなかったわけで。父も母と出会わなければ私と妹が生まれなかったわけで。今、自分がこうして生きていることも祖父母、両親、私の三世代がこうして「家族」でいられたことも決して当たり前なんかじゃなく奇跡に近い出来事なんだとしみじみ感じてしまった。(なんかRADWIMPSの歌詞っぽいな。)

じいちゃん、誕生日おめでとう。
誕生日なのにネットでじいちゃんのラブレターを晒してごめんね。
今度仏壇に大好きなくろうまといいちこ、セブンスターお供えしておくね。
いつまでも私にとって最高で自慢のじいちゃんだよ。

家族を愛し、土地と山を愛し、野菜を愛した祖父へ。


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