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初めまして🤭 ここでは私の生い立ち、病気について、歪んだ思考、依存性、など書いていけた…

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初めまして🤭 ここでは私の生い立ち、病気について、歪んだ思考、依存性、など書いていけたらいいなと思っています。 今診断されてる病気 統合失調症 双極性障害 ヒステリー 境界性人格障害 解離性障害 ADHD (以前の診断名については追々書いていきます) よろしくお願いします🙇‍♀️

記事一覧

T先生と話し出した私。

私は体重が40キロを上回り経管栄養が終わった。 ちょうどその頃からT先生と話し出すようになった。 いじめられていた事、親から愛されていると感じられなかった事、それ…

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2年前
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初めてのTS病院そして経管栄養、身体拘束

私は警察に連れられやってきた病院(スーパー救急病棟)で、2ヶ月間反抗心で診察を拒否し、誰とも喋らず、食事をとらなかった。 すると体重が当時45キロだったのか32キロま…

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2年前
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-近況報告〜13回目の退院-

ブログの更新遅くなりました😓 私6月4日! 13回目の精神科退院しました! 今回は5ヶ月いました。 優しくそして時には厳しく、励まし、共に泣いてくれた看護師さん。 見捨て…

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2年前
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また住む世界が変わった。

私は不登校になってからまた死にたい気持ちが大きくなっていた。 あれだけ苦しい思いをして直したオーバードーズも、リストカットも繰り返す様になっていた。 そして何より…

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3年前
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退院後の生活

私は退院してすぐに大学に入学した。 私は高校時代の養護教諭のT先生に憧れ、養護教諭になる夢を持っていた。 その為、養護教諭の資格が取れる一番近い大学の看護学部に在…

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3年前
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初めての一般病室-そして退院

初めて一般病室に入ったのは入院して約4ヶ月目頃だった。 私の行っていた通信制高校は自由な学校だった為、転校を機に金髪に染めていた。 その為かして、初めて出来た入院…

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3年前

観察室

私は約3ヶ月半の保護室生活を経て観察室に移った。 観察室はベット、机、椅子、簡易的クローゼットの様な棚があった。 トイレがないと言うことは部屋から出ても良いという…

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3年前

-昨日更新できなかった理由-

私は今精神疾患で精神科病棟に入院しています。 (追々書いていこうと思っていたのですが、、、) その為、気分の波や感情のコントロールが難しい状態です。 なので調子が…

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3年前
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主治医との関係性、保護室最後の日。

私の主治医は女性だった。 年齢はお母さん程度、性格は、はっきりとしたタイプだった。 主治医が出勤の日は、保護室に居る私に必ず会いに来てくれていた。 でも私はあま…

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3年前
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通信制高校初登校日

私は1ヶ月半の保護室生活を送っていたある日看護師さんから、 「明日転校先の高校に行かないといけないらしいから心の準備しといてね。お父さんから連絡あったよ。」 と急…

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3年前
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魔法の言葉

研修の先生とたくさん話していくうちに、やっぱり私の育った環境は普通では無かった。 私自身も病気だった。 と言う事を思い知らされた。 私が辛かった事を話すと研修の先…

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3年前
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保護室での日々

毎日毎日、検温、ご飯、服薬、の退屈な日々だった。 そんなある日、主治医の先生から 「今月から研修の先生来るから話し相手してあげて」 と言われた。 私は嬉しかった。 …

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3年前
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児童思春期病棟

私が入院した病棟は児童思春期病棟だった。 年齢層は5歳から20歳。 私は最初、保護室に案内された。 その当時は保護室と言う言葉だけ、意味は分かっていなかった。 他の部…

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3年前
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初めての精神科入院

全日制高校から通信制高校に転向を機に初めての精神科入院をする事になりました。 何故なら週に2.3回程度のオーバードーズで救急搬送される迷惑な患者が私だったからです。…

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3年前
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高校生➂

私が3年生になる頃には養護教諭のT先生に見放される様になっていた。 多分私の予想では、私が構って欲しいが故に自作自演して怪我している事がバレたのでは無いかと思われ…

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3年前
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N先生

私がオーバードーズをした日を境にあの先生は私に根性をつけろと言ってきた。 そう簡単に死ねるなんて思うな人間誰もが苦しんで生きている@さん(名字)は甘えているだけ…

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3年前
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T先生と話し出した私。

私は体重が40キロを上回り経管栄養が終わった。

ちょうどその頃からT先生と話し出すようになった。

いじめられていた事、親から愛されていると感じられなかった事、それにより自傷行為が始まったこと、初めてODした時は死ねると思っていたこと、でも死ねなくてフワフワ、ラリった感じになるのにハマってしまった事、そして辞められなくなった事、どうしても死にたくてベランダから飛び降りた事、ネットの情報で死ねると

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初めてのTS病院そして経管栄養、身体拘束

初めてのTS病院そして経管栄養、身体拘束

私は警察に連れられやってきた病院(スーパー救急病棟)で、2ヶ月間反抗心で診察を拒否し、誰とも喋らず、食事をとらなかった。
すると体重が当時45キロだったのか32キロまで落ちた。
すると看護師さんから、

嫌やと思うし辛いやろうけどT先生と相談して、経管栄養になることになった。と告げられた。

私は嫌だった。
でもどうしてもご飯が食べれなかった。

とうとう経管栄養になった。1日4回何百キロカロリー

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-近況報告〜13回目の退院-

ブログの更新遅くなりました😓
私6月4日!
13回目の精神科退院しました!
今回は5ヶ月いました。
優しくそして時には厳しく、励まし、共に泣いてくれた看護師さん。
見捨てずに私の治療をしてくれたT先生。
T先生との折り合いが上手くつかなかった時に、「私からT先生に言うたるわ!」と心強くいつも味方でいてくれた心理士さん。
毎日楽しいプログラムを考えてくれたOTスタッフ(作業療法士)さん!
皆さんの

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また住む世界が変わった。

私は不登校になってからまた死にたい気持ちが大きくなっていた。
あれだけ苦しい思いをして直したオーバードーズも、リストカットも繰り返す様になっていた。
そして何より以前より酷くなっていた。
リストカットは縫合が必要な程度まで深く深く切る様になった。

そして、限界を迎えた私は3階建ての私の家の3階から飛び降りた。
死ぬ気でやったが3階で死ねる気もしていなかった。
矛盾しているが、

運悪く死ねると言

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退院後の生活

退院後の生活

私は退院してすぐに大学に入学した。
私は高校時代の養護教諭のT先生に憧れ、養護教諭になる夢を持っていた。
その為、養護教諭の資格が取れる一番近い大学の看護学部に在籍した。

私はやっとみんなに追いつけた!とすごく張り切って入学した。
母も父も大いに喜んでくれた。

だが、現実は甘くなかった。私は約半年通信制高校に在学していた為、授業に出席する習慣が薄れていた。
また、精神的な不安から大きな教室に入

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初めての一般病室-そして退院

初めての一般病室-そして退院

初めて一般病室に入ったのは入院して約4ヶ月目頃だった。
私の行っていた通信制高校は自由な学校だった為、転校を機に金髪に染めていた。

その為かして、初めて出来た入院仲間に
「ここのボスがとうとう一般病室に出てきたってみんなビックリしてたよ🤣🤣」
と言われ2人で笑った。
その子とは本当はルール違反だが今でも付き合いがあり、大切な友達となった。

そして、その子の居るテーブルで一緒に食事をする様に

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観察室

観察室

私は約3ヶ月半の保護室生活を経て観察室に移った。
観察室はベット、机、椅子、簡易的クローゼットの様な棚があった。
トイレがないと言うことは部屋から出ても良いという事だと思いすごく嬉しかった。

看護師さんから説明を受けた。

「ここは観察室と言って保護室を出た人が一時的に過ごす部屋です。廊下のグレーの線のところまでは自由に行ってもらって大丈夫です。ですが、夜だけ外から鍵をかけます。あと、保護室と同

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-昨日更新できなかった理由-

-昨日更新できなかった理由-

私は今精神疾患で精神科病棟に入院しています。
(追々書いていこうと思っていたのですが、、、)
その為、気分の波や感情のコントロールが難しい状態です。
なので調子が良い時にはnoteを2つ、3つかけるのですが、調子が悪いとなかなか難しいです。
なので、これからもお休みしてしまう事があるかもしれませんが、調子が良い日には更新するのでよろしくお願いします。

主治医との関係性、保護室最後の日。

私の主治医は女性だった。
年齢はお母さん程度、性格は、はっきりとしたタイプだった。

主治医が出勤の日は、保護室に居る私に必ず会いに来てくれていた。

でも私はあまり嬉しく無かった。

主治医は何でもはっきり言うタイプだったので、何度も怒られ、何度も泣いた。

保護室が異常だと言う事に気が付いていた私は、そこに居る私も異常。普通じゃない。
生きている価値なんてない。

ずっとそう思って居たので生き

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通信制高校初登校日

私は1ヶ月半の保護室生活を送っていたある日看護師さんから、
「明日転校先の高校に行かないといけないらしいから心の準備しといてね。お父さんから連絡あったよ。」
と急に言われた。
私は研修の先生と話す事以外何もなかった日常から、外の世界への復帰に向けての準備が始まった。
初めての通信制高校。
とてもドキドキしてその夜は不眠時の頓服を貰った。

いざ登校朝食を8:30に済ませ、45分には出発した。
お父

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魔法の言葉

研修の先生とたくさん話していくうちに、やっぱり私の育った環境は普通では無かった。
私自身も病気だった。
と言う事を思い知らされた。

私が辛かった事を話すと研修の先生は困った顔をする事が多かった。
それが医者として正しかったのかどうかは分からないが、私の言葉を素直に本心で受け止めてくれているようで嬉しかった。

そんな私に研修の先生は、

もっと素直になりなよ。
もっと甘えていいんだよ。
もっと声

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保護室での日々

毎日毎日、検温、ご飯、服薬、の退屈な日々だった。
そんなある日、主治医の先生から
「今月から研修の先生来るから話し相手してあげて」
と言われた。
私は嬉しかった。
それまで2週間、幻覚のマフィアと様子を見にきてくれる看護師さんとしか話していなかったのですごく楽しみにその日を待った。

そしてその日は突然やってきた。

「@さーん!!!覚えてる?」なんと保護室に入ってきた研修の先生は、
私に入院を勧

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児童思春期病棟

私が入院した病棟は児童思春期病棟だった。
年齢層は5歳から20歳。
私は最初、保護室に案内された。
その当時は保護室と言う言葉だけ、意味は分かっていなかった。
他の部屋を見た事が無かったからかもしれない。
ただ布団と段ボールが一つ(机代わり)トイレ(自分では流せない)しか無い部屋だった。
初めは特に何とも思わなかった。

そこで3ヶ月過ごすことになるとは思っていなかったからだ。
私は向精神薬(主に

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初めての精神科入院

全日制高校から通信制高校に転向を機に初めての精神科入院をする事になりました。
何故なら週に2.3回程度のオーバードーズで救急搬送される迷惑な患者が私だったからです。

大きな精神科単科の病院で初めて外来に行った日に、
「あなたは向精神薬依存症です。入院が必要です。」
と言われ、次の週には入院が決まりました。

初めての精神科入院。
不安が止まらず入院前日は一晩中起きてました。
そしていざ入院。

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高校生➂

私が3年生になる頃には養護教諭のT先生に見放される様になっていた。
多分私の予想では、私が構って欲しいが故に自作自演して怪我している事がバレたのでは無いかと思われる。

そうなると居心地の悪い保健室。

次に行く先は教室だった。

3年は3組O先生が担任だった。
O先生は学校の中でも穏やかで生徒の話をよく聞いてくれると人気な先生だった。

3年生になると大学受験が待っていた。
運良く私はAO入試で

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N先生

私がオーバードーズをした日を境にあの先生は私に根性をつけろと言ってきた。

そう簡単に死ねるなんて思うな人間誰もが苦しんで生きている@さん(名字)は甘えているだけだと、事あるごとに言われていた。

私が保健室に居れば迎えに来て
と言うと響きはいいが、
私が教室行きたく無いと泣き喚いても無理やり泣き顔のまま教室まで連れて行き、
クラスのみんなから変な目で見られ、
@さんは中々学校に来ないので来た日く

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