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うつなので、洋服のタグを見るのがツラいです。《140文字以上の日記 》

 日曜日、ひさしぶりに服を買いに行きました。

   ①部屋でゴロゴロできて、
   ②そのままパジャマにもなるけど、
   ③あわよくばゴミ捨てにも行ける!

 という、「着替えるのすらおっくうで苦痛」になるうつ病人に最適のパンツを探しに行きました。

 五百蔵の場合、アトピーももっているので、着るものは「綿100%」がマストなのですが、服を手に取っていちいちタグを見て確認するのが、苦痛で苦痛でたまりませんでした。

 

・◇・◇・◇・

 

「うつ」って、こんな感じです。

 さて、「うつ」といわれても、具体的にどういう症状なのか、ほとんどの人が知らないと思います……いや、自分自身、なってみて、診断されるまでわかってなかった。なってみてはじめて、わかったことがたくさんあります。

 が、まずはとりあえず、次のことをわかってほしいと思います。

 

①「うつ = 気分の落ちこみ = 毎日が憂鬱」では必ずしもない。

 その証拠に、五百蔵はわりと毎日のんきに暮らしています。たぶん、薬が効いているおかげだと思います。
 だけど、気持ちが落ちこむときはガックリきます。でも、それはその時だけのことなので、うつと「憂鬱である」ことを常にセットで考えるのはあまり正しくはないと思っています。
 気分でとらえるなら、「意欲が出ない」「気力が出ない」が正確だと思います。

 たとえば、風呂に入るのがしんどい、ゴミを捨てに行きたくない、食べる意欲がわかない、なんて症状が出ます。私の場合は、料理をしたくない、というのが、今いちばん強くて悩ましい症状です。
 ほんとにしんどい人は、トイレに行くために布団から出ることもできなくなるそうです。

 むしろ、

②「うつ = 脳みそのスペックが下がる」である。

 メモリーの容量が極端にすくないパソコンをイメージするといちばん近いです。メモリーが小さいパソコンで、動画や画像の処理をしようとしたら、重たくなりますよね。それと同じです。
 健康ならたいしたことない日常の動作や作業が、フリーズの原因になったり、やたら処理が重くなったりします。

 たとえばですね……今年も、子どもの学年初めの提出書類(緊急連絡先とか、健康調査とか)が書けませんでした。名前と住所を書くだけとわかっているのですが、「真っ白な空欄がいくつもある」というのが処理しきれなくて、フリーズの原因になってるみたいです。
 だけど銀行の用紙は記入か所が少ないから平気だったりするんですよね……。

 ただし、そもそもから故障しているわけではないので、「意欲」や「気力」さえ湧けばちゃんと動くようになる、というのが特徴です。

 そして、

③うつだとめちゃんこ疲れやすい!

 これを「易疲労性」というそうです。
 毎日がメモリー不足のパソコンなわけですから、当たり前といえば当たり前なんですよね。人間、何をやっても脳みそを使いますから。
 だから、「たったそれだけ!」みたいなことでも、ぐったりきます。外出なんて、下手したら、わざわざ寝込む原因を作りにいくようなものです。だから、前々から調子を整えて、決死の覚悟で出かけます。

 

・◇・◇・◇・

 

 という状態で、イオンの洋服売り場に来たのですが……

 パ……パンツがどこにあるのかわかんねー……

 だだっ広い売り場に服がたくさんある、それだけで情報処理が追いつきません。
 健康なら、「あ、ここは紳士もの」「ここは下着」「大きいサイズだからちがう(五百蔵は、すごくちっちゃい)」なんてこと、見ただけでパッとわかるから、さっさと通り過ぎるのですが、うつだとこうなります。

 えーと、これ、男もの……?ていうことは、女ものは、どこ……?
 あ、でもこっちは大きいサイズだし……
 あれ、女ものって、いったい、どこにあるねん……?(と、混乱)

 で、ひたすらぼーぜんとなって、目的のものにたどり着けない。
 しかも今年は、短期記憶も苦手になっているので、「歩きながら売り場の地図を頭のなかに作る」ということができないんですね……。
 さすがに夫も、「どういうときに嫁の頭がアホになるか」というのが飲みこめてきたので、ほしい服のコンセプトだけきいて、先に売り場をうろうろして偵察してくれました。

 

 そんなこんなで、やっとこさ部屋着っぽいパンツのコーナーを見つけました。よさげなのもいくつかあります。だけど、五百蔵に必要なのは、「綿100%」です。
 さっそくタグのチェックです!

 だけど……

 タ、タ、タ、タグがどこに付いてるかさがせねー……

 なんというか、ハンガーにパンツがかかっていて、そのハンガー自体に、「さらっとした肌触り」とか「吸った汗もすぐに乾く!」とかのうたい文句を書いた紙がついていたりしますよね。
 まずは、それが主張が強すぎで、うつの脳みそにはウザい。
 目立つ分、ただでさえ少ない脳みそのメモリーを大量に食ってしまいます。
 それに、パンツ売り場につくまでですでに、貴重な「気力」と「意欲」を消耗しています。

 そんなわけで、パンツを手にとっても、どこにタグがあるか、もたもたして探せない。どうやったらタグが見つかるのかも、いまいちよくわかってない。
 頭が、ものすごくぼーっとして、手指もうまく動かせなくて、とにかくわけがわかりません。

 

 そして、やっと探せたタグも、

 た……タグが、……読めねー……

 タグのどこに「綿100%」って書いてあるのか、探せない。
 まあ、多少は老眼のせいもありますが……

 それにしても、タグって、健康ならきちんと読まなくても、なんとなく見た感じで「ここはちがう」「ここに書いてあることがそう」と見分けがつきませんか?
 だけど、そういう作用がぜんぜん働かない。だから、ガチでひと文字ずつ読まないといけない。頭もぼーっとしっぱなしですから、読み取り速度もめっちゃ遅い。

 必死で読み取ってるけど、「価格 1800円」とかでっかい字で書いてあるのがちらっとでも目に入ると、そっちがメモリーに残っちゃって、頭が「うわあああああああ……!」ってなってしまう。
 難聴の人は、補聴器を使っても雑音も拾って大きな音になるから使いづらい、といいますけど、同じことが目でも起こってるみたいです。つまり、「必要な情報に集中する」ことができない。

 さらにいうと、紙のタグって、だいたい2つはセットでついてますよね。
 そのせいで短期記憶がポンコツな五百蔵は、「いま見てるのは、タグの裏なのか表なのか?」と混乱するのに加えて、「さっき見たタグと別のタグなのか同じタグなのか?」ということでも混乱して、もうわけがわかんない。

 

 だから、あきらめて、子どもにアウトソーシングです。
 つまり、

 もうムリ!読んで!

 ってことです。

 子どもも以前の買い物で様子がわかっているので、はいはい、って感じです。

 

 「うつ」は障害者手帳も取得できるし、障害年金ももらうことができるので、重さによっては、「単に病気なだけ」でなく、「りっぱに障害」です。
 だけど、家でゴロゴロしている分には、

 アタシはいまちょっと、調子が悪いだけなのよ!へへん!

 とうそぶいてられます。
 が、さすがに、たかがパンツを買うだけで、夫や子どもにあの手この手で助けてもらわねばならんとなると、「やっぱり障害と分類するにふさわしいなぁ……」と思い知らされます。

 

・◇・◇・◇・

 

 と、そんなこんなで買い物はすませて帰ってきたのですが。
 もう、脳みその使いすぎで、頭はぼーっとしっぱなしだし、頭痛は痛いし、疲労感ハンパないし、横になってくたばってました。

 くたばりながら何を考えていたかというと、

洋服のタグの表示のデザイン、
ぜったいおかしい!

 です。

 うつの人が情報を読み取りやすいデザインって、できないのか?
 実現したら、みんなもっと楽にタグが読めるぞ!たぶん。

 

 だけど、デザインや小売の業界に、

 うつでも情報が読み取りやすいデザイン

 なんて、問題意識、ぜったいないですよね。
 あったとしても、たぶんごくごく一部の人。

 ていうか、買い物に来る人の分類項目に「うつの人」って、そもそもないですよね。
 「うつの人」は肢体不自由でもないし、目や耳に障害があるわけでもないし、知的にも問題ないわけだから、特に分類の必要はない、というのが一般の認識だと思います。

 

 ところで、うつでも情報が読み取りやすいデザインがほしい、標準化されてほしい、と感じたのは、実は、これがはじめてではありません。
 子どもの初めての生理がものすごい出血量で、大容量のナプキンを買いに行ったときも感じました。https://note.mu/beabamboo/n/n3ad6432402e5

 この記事を書いたときはまだ、noteでは「うつ」なことをナイショにしておきたかったので、そこはごまかして書いてます。
 まあ、そのときは実際に右目がヘルペスで、片目で見ないといけなかったので、そのせいでしんどかったのはほんとです。だけど、それと同じくらい、うつのせいで情報を読み取るのがしんどかったです。

 「これを買う」とあらかじめ決めておいて、目当てのものだけを探す、はほぼほぼ大丈夫なのですが、「どれが自分のほしいものか探しながら買う」というのは、パッケージがあれだけ主張が激しいと、脳みそがパンクしてしまって、ムリです。
 だからあいかわらず、ナプキンコーナーは苦手です。

 

 そんなわけで、「これ、ぜったいnoteで記事にしたるわ!小売とかデザイン業界の人多いし!」と頭ガンガン痛いのに考えてました。
 だけど、「対案なき文句はクソ」という人もいたりするので、正直言って、ネガティブな反応されたらたまらんなぁ、と思ったりもしました。

 だってなー、あたし、病人やけど、デザイナーやないねんで。
 対案なんて考えられるわけ無いやん……(_ _;)
 だけど「今のままではしんどい」っちゅうのは現実なんやで!

 

 だから、ついでに主張させてもらいます。

 「対案なき文句はクソ」というのは一面では正しいと思っています。
 だけど、「困ってるから助けて」は「でも、どうしたらいいかわからない」とセットである場合が多いです。むしろ、「困ってる」と「対案」がセットで出てくるほうが奇跡なのではないかと思います。
 ていうか「困っている」と声を上げること自体が、現実への「対案」だと思っています。

 「対案なき文句はクソ」と強く主張することは、困っている人が「困っている」と主張するのをためらう原因のひとつになりかねないと感じています。
 いま現に、私はその主張を意識して、この記事を公開するのにすこしためらいがあります。
 そんなこと言うのはやめて、とは言わないけど(だって、ただもん、文句を言うのは、やっぱり慎まないといけないと思う)、もっと声なき声も包み込めるような言い回しがあってもいいのではないかと思います。

 それと……これはほんとに個人的な思いなのですが、

 「ふつのブログサイトで書いててもただのグチで終わる。けど、noteなら、こうなったらいいのになぁ……を実現できる人につながる可能性が高い」

 それが私がnoteを選んだ大きな理由です。
 だから、私の場合は、「どうせ文句を言うなら、建設的にやろうぜ!」です。

 

・◇・◇・◇・

 

 とはいえ、やっぱ言いっぱなしっていうのもなんなので、五百蔵も、もうすこし考えてみました。
 めっちゃ頭ぼーっとして、めっちゃ頭痛いけど。

 すると、ふと思いついたんですよ。

 食品の表示を見るのは、ツラくないぞ。

 って。

 五百蔵はアレルギー持ちなので、食べ物を買うときはの原材料チェックは必須です。
 「文字ちっさ……」とか、「ごちゃごちゃしすぎ!」と感じたことはあっても、「どこが原材料表示?」と困ったことはないし、ましてや、見るのがツラい、と感じたことはまずないです。

 それだけ見慣れている、ということかもしれませんが、服のタグと何が違うのか、そのへんにあるお菓子をひっくり返して見てみました。

 するとね……

 あれ、いま、頭すっきりしてきた……

 ほんとに。
 食品の表示をみたとたん、イオンからずーっと、押さえつけられたような感じで重く、ぼーっとしていた頭がすっきりしたんですよ!

 

 お菓子の袋の裏って、あらためてよく見たら、あきれるくらい情報でいっぱいなんですよね。
 だけど、消費者に伝えるべき「原材料」や「栄養」の表示は、「ここにある」というのが一発で目に入る。「組成表示どこよ……」と、そもそもありかがわからない、という洋服のタグとはまったく違う。
 じゃあ、袋入りの衣料品ならわかりやすいんじゃないか、と考えられますよね。だけど、袋入りもやっぱり、わからない。
 今回は買わなかったのですが、この春に子どもの下着を買い足しにいったとき、サイズや組成がどこに書いてあるか探すのが大変だったし、書いてあることを読み取るのも大変でした。

 だから、洋服のタグや表示は、あれはあれで洗練されてきているのだけれども、もうひと工夫されたら、もっと良くなるのではないか、と感じています。
 なにがどうかはよくわからないけど、

 食品の袋の場合は「目のつけどころ」がわかりやすいけど、洋服のタグ場合はわかりにくい。
 食品の袋は裏返したら「全体がひと目でわかる」けど、洋服の場合はタグごとに分散されていて全体が頭に入りにくい。

 ということを手がかりとして提示するぐらいならできます。

 

・◇・◇・◇・

 

 「うつでもなんとかなる」ということは、慣れ不慣れの影響も大きいと思っています。つまり、脳みその少ないメモリーで処理していくんだけど、すでにわかっていることについては手順を省けるから負担が少ないわけです。
 だから、洋服を買うのが好きな人は、うつだとしても、タグの内容を読み取ることはさほど負担を感じないかもしれません。慣れもあるし、「好き」はハードルを低くしてくれます。むしろ逆に、食品の表示を読むほうが大変かもしれない。

 だけど、このほかにもたくさん表示はあるわけで、「うつで表示が頭に入ってこない……」という事案はそこここに転がっているんです。世の中全体を見回したとき、「見慣れたもの」ばかりですむわけでなく、「初めて見る」ものはたくさんあるわけですから。
 だから、「文字による情報の伝達」をデザインするとき、「うつの人が読むこともある」ということが、すこしでも意識されるようになったら、と願っています。

 不便な人に合わせることで、全体が便利になる

 ということが世の中の当たり前になってほしいと願っています。

 

 末尾ながら……
 
 「これだけ達者に読み書きしてるのに、タグごときが読めないなんてありえん!」……と感じる人もいるかもしれません。
 だけど、「外から入ってくる文字情報を処理する」ことと、「自分のなかから出てくるものを文字にして書き移す」というのは、まったく違う作業です。「文字」を扱っているから、表面的に同じに見える、というだけで、外から入ってくる情報(とくに説明文の類)を受容するのは、私の脳みそには負担が大きいようです。
 
 それと、同じ1000文字を書いたとしても、健康なときとうつのときとでは、やはり、脳への負担が違います。たぶん、このあと、脳の疲労で3日くらいはまともに文章が書けなくなります。心身がぐったりなるので、当然、日常生活にも支障がでます。
 それに、私の場合は、明確に像を結んだものを書き写すことは、どんなに長くてもわりと容易にできるのですが、もやもやとしたものを形にまとめながら書く、ということが全くといっていいほどできなくなっています。
 だから、内実は、決して達者にものが書けているわけではありません。
 
 「出来ないとかありえんでしょ?」と表面的なところで見て勘ぐるのでなく、「出来ないってことは、脳みそのなかでなにか事件が起こってるんだな」と、とらえてもらえたらうれしいです。ぶっちゃけ、自分でも、「え……うつでこんなことも出来んとか、カオス!」と、意外すぎてびっくりすることが多いです。
 よかったら、「まじで、カオス!」といっしょにびっくりしてください。その方が、絶対に楽しいです。

《https://note.mu/beabamboo/m/m2a1e0e5018c7》

いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。