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親になるってこういうことか

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これは全盲の夫婦が挑む初めての子育て記録です。 夫婦それぞれの視点で3人の日々を描きます。 今回のシリーズはわが子に出会えるまでの約9ヶ月間。 まだ見ぬわが子に思いを馳せて・・・
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記事一覧

これを読んでくださっている全ての皆様へ

前略

 新しい家族が我が家にやってきて、早くも1ヶ月半が経ちました。
両親が視覚障害という、ちょっとした訳あり物件に生れてきてくれたひなちゃんは、よく寝てよく飲んでよく大泣きして…毎日元気に成長しています。

 『親になるってこういうことか』これまで皆さんにお読みいただき、改めて感謝いたします。
思い付きで始めたこの連載でしたが、多くの方からの反響をいただき、夫婦共々大変嬉しく思っています。

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13 最終決戦 / ぐっち

13 最終決戦 / ぐっち

 病院からの電話が鳴ったのは、入院して三日目の夕方4時ごろだった。
「お産が進んできていますので、今からお越しください」
思っていたよりも事務的に要件は伝えられた。それはそうか。こちらは一生に一度かもしれないタイミングを今か今かと待ち続けていたが、病院としてはいつものことなのだろう。もちろん悪い意味ではない。
今はコロナの影響で、立ち合いは分娩室に入ってからになるのだ。そして出産後も付き添いは30

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12 最終決戦 / はるか

12 最終決戦 / はるか

 計画無痛分娩三日目。午前は前日までと同様、促進剤を使用した。ただ麻酔は痛みに耐えられなくなってからということだった。
その時点ではじっとしていられる程度の断続的な陣痛だったため、どうにか我慢することができた。
昼過ぎになっても強い陣痛にはならなかった。そこで先生が人工破膜の処置をした。
先生が卵膜に穴を開けるぱちんという衝撃と、暖かい羊水がドバっと流れ出る感覚があった。そこからお産は急速に進んだ

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11 決戦の幕開け / はるか

 三日間かかって2728グラムの元気な女の子は生まれた。
私は無痛分娩を選んだ。普通でいくか無痛でいくか、出産方法決定期限の34週まで悩んだ。
夫は麻酔が怖いと無痛分娩に消極的だった。しかし私は痛みに恐ろしく弱いこと、これまでの妊娠生活で体力を使い果たした気がしていたこと、産後の回復が早いといわれることから無痛分娩を希望した。夫には
「生むのは私だよ。変わってくれないでしょ」
と言って納得はしてい

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コラム2 『10ヶ月ぐらい座席を譲ってもらったっていいじゃないか』

 外出が増えると、電車やバスを利用するシーンが多くなった。妻が妊娠するまでは、少し乗るだけなら立ったままでいいかと思うことが多かったのだが、例え5分程度であっても座席に座れることがありがたいと思うようになった。正確には妻を座らせたいと思うようになった。
ただ、なかなか難しいのが車内で空いている座席を探すこと。ガラガラならまだしも、少し離れたところに一席だけ空いているなんていう時には大変もどかしい。

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10 二人の時間 / はるか

 結局生むまで胃のむかつきや吐き気、嘔吐、だるさといったつわり症状は続いた。さらに後期にはそれに加え腰や骨盤の痛み、息苦しさなどの症状も加わった。まったく、妊娠期特有の症状フルコースである。そんなものはじめからオーダーしたつもりなどなかったのだが。
それでも嘔吐にさいなまれる日やほとんど食べられない日は五日から六日に一日と、軽いジャブ程度になった。妊娠初期から中期にかけての眠れないほどのボディーブ

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9 二人の時間 / ぐっち

9 二人の時間 / ぐっち

 1泊2日で東京まで無事に行けたことに味を占めた我々は、大阪に戻ってからもほぼ毎日短い外出をするようになった。時々調子が悪い日もあったが、一日一度は意識して外に出るようにしていた。
ただ、妊娠中の妻にとって暑さは大敵だ。毎日35度を超える猛暑となっては駅まで歩くのも一苦労である。そんな時我々が編み出したのが梅田の地下街散歩である。
散歩といえば外の公園などを歩くイメージだが、我々のそれは少し違う。

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8 我が子に対して我々が最初にできること / はるか

 子供を迎える準備として、遺伝外来に行った。夫の網膜芽細胞腫という病気は、49パーセント子供に遺伝する。
多くの人にとっては重々しい内容になってしまうかもしれない。しかし私たちにとっては以前からわかっていた事実であり、客観的にとらえていた。
 私の体調が少し安定した7月初旬、夫と築地にあるがんセンターに行った。夫が以前ここの眼科にかかっていたことや、この病気の治療実績が多いことからここにある遺伝外

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7 我が子に対して我々が最初にできること / ぐっち

 7月7日。その日我々は新幹線で東京に向かっていた。久しぶりの遠出ということもあって、妻はいつにも増して機嫌が良い。新幹線に乗る前に買った高級なサンドイッチを食べて満足したというのも大いにあるだろう。
「昼ご飯に2,000円のサンドイッチは高くない」
新大阪の駅ナカにあるカツサンドの店の前で、僕は妻に言った。
「いいんだよ久しぶりの旅行なんだから」
家庭の財政を考えてハーフサイズにした僕を尻目に妻

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【コラム】 三つのおきて

 4月に入った頃から妻の状態も少しずつ安定し、一緒に外出ができるようになっていった。調子のいい日には電車やバスに乗ってカフェにも出かけられるようになった。
ただ、妊娠期間中の妻との外出には決して破ってはならない『おきて』があった。今回はそれを紹介したい。

その1 妻を空腹にしてはいけない
つわりで辛いのは食べ過ぎともう一つ空腹だ。空腹状態になると胃に食べ物が入っていないのに吐き気が襲ってくる。胃

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6 あきらめた先に見えたこと / ぐっち

 妻を近くの大きな病院に送り届けた帰り道、何とも言えない抜け殻のような気持ちでふらふらと歩いて帰った。たった10分前までは入院なんて想像もしていなかった。今日も栄養剤の点滴をしてもらって帰るものだとばかりに考えていた。
看護師さんが入院しましょうかと言ってからの流れはもうあっという間だった。あれよあれよという間に看護師さんは妻を連れて病棟へ消えてしまった。
「コロナで今は面会はできませんので」

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5 あきらめた先に見えたこと / はるか

 13週中盤からはとうとう病院に入院となった。妊娠初期よりも4キロ体重は落ちた(体感的にはもっと減っていてもよいものだが)、肝機能も悪化した。
病院では自分自身と、いるのかいないのかもわからないような小さな命を点滴でつないだ。1日に何度も取り換えられる500ミリリットルの点滴。その液体の入ったプニプニとした袋を時折指でつんつん押しながら、このおかげで生きていられるのだなと医療の偉大さに感心した。

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4 試練の始まり / ぐっち

 妻が妊娠した、といっても僕にはその実感が全く持てずにいた。それはそのはずだ。今ここに赤ちゃんが来たわけではないし、生活事態昨日とは何も変わらないからだ。
一方で、図らずも妻は否応なく実感させられることになってしまった。
 その時は突然訪れた。天ぷらをお腹いっぱい食べて喜んでいたのもほんのつかの間、次の日にはもう何も受け付けなくなっていた。決して天ぷらを食べすぎたからではない。
つわりというのはこ

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3 試練の始まり / はるか

 妊娠6週目のある朝、急につわりは始まった。少しだるく気持ち悪い程度のそれに、私は妊娠の貴い洗礼を受けたような気すらしていた。今思えば本当に甘い、いや甘すぎる妊娠期だった。
結局妊娠7ヶ月いっぱいまで続くことになったつわりは、私の26年の人生を持ってしても筆舌に尽くしがたい過酷な経験となってしまったのだから。仕事は愚か、家事も身の回りのことすらままならない5ヶ月間となってしまったのだ。
その間文句

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