記事一覧
何かを作っているのは何故だろうという話
今まで、リサーチした物事に関しての投稿を行っていたけれど、雑記のようなものも投稿し始めようと思う。
何かを作るのは何故だろうという話。
この記事では創作の理念みたいなものも含めて書いていく。
表れているもの、見えるもの。
当たり前かもしれないけれど、それは何らかの理由があってそれが存在している。
僕は最近手すきの時間にモノを作っているけれど、そこでふと、どうして何かを作るのだろうかと考え
"テクノロジーは神ではない"というつれづれ
テクノロジーは神ではない。
そんな、テクノロジーといモノに対するちょっとしたつれづれ。
あくまでも、個人の考え。
テクノロジーは神ではない。英知のシンボルでも、何かを実現させたという慢心を得るものでも、それを誇示するものでもない。
人はとかくその”達成”に対して、己が優位に立っているという幻想を抱くように見受けられる。僕は今、IT関係の仕事に従事しているが、全く異なる田畑から出てきた身から
”集う”理由の考察 ~「祭りと宗教の現代社会学」から~
神聖的な存在が人に行動に起こさせる由来をは何故だろうか。儀礼や祭礼に
今回はそれらを行うに至る動機ついて「祭りと宗教の現代社会学」を引用し考えを深めていく。
かつての村や町において共同体内内部で生活はおおむねまかなわれていた。
そのような社会において、共同体意識をもつことが社会集団の存続において不可欠な要素であったという。
祭礼や儀礼はそうした互いの共同意識を再認識させる役割を担っていたと考
エビス様像、祈願対象としての栄枯盛衰 ~モノの意味性の推移に関する考察~
シンボルとしてのオブジェクト。機能としては用途のないオブジェクトでありながらも、シンボルとしての意味性が付与されることによって、オブジェクトには人を引き付ける魅力が生じてくる。
そうした意味性は社会的状況や背景によって、大きく変化する。
今回の投稿では、その意味性の変化に関して、カクレキリシタンが住む島に建てられたエビス様を題材に、意味性の変化について述べていく。
島の背景カクレキリシタン。
ゲレロとジャガー シンボルの自己への投影による心理強化とコスプレイヤー
ゲレロに関する論文から、ゲレロがジャガーを民俗的シンボルとしてあがめる由来を考察していた。
論文を読んでいる中で彼らが祭礼の際に行っているジャガーの着ぐるみを着る行為の由来が現代におけるコスプレイヤーが行っている別のキャラクターへのトランスフォームと本質として類似性があるように見受けられたため、少し祭礼に関して踏まえつつ変身に関することを投稿してみようかと思う。
もともとのリサーチの由来は、ゲ
note始めます。
前々から登録だけして、何も書くことがなかったnoteですが、facebookに投稿している文章がリサーチに関することや日常に関すること、制作のことなどが混在して投稿されている状態なので、整理もかねてリサーチでまとめた文章や考察などをこちらにまとめていきます。ほそぼそやっておりますが、どうか読んでやってください。