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シンプルとミニマムの違い|物書きのいけばな日記#03

「いけばなを通してシンプルライフを伝えたい」という華道家のめぐ師範。

「シンプルって何なん?ミニマムと何が違うの?」と師範に聞くと
シンプルはカッコいいねん!」との答え。

感覚的すぎて、さっぱりわかりません。笑

辞書を引いてみると、こう書かれていました。

ミニマム:最小限。最低限。
シンプル:むだな点や複雑さなどのないさま。良い意味で、単純なさま。
(日本国語大辞典より)

どう違うかを紐解くと、ミニマムは量的に少ないことで、シンプルは少ない中に質的な良さを求めていると感じます。

ミニマムライフは、生命維持に最低限のもので暮らす身軽さにフォーカスしていて、
シンプルライフは、質実(飾り気なく誠実)に暮らす豊かさにフォーカスした言葉なのかな、とアタリをつけて3回目(最終回)のいけばなに挑戦です。

最終回のテーマは「調和」

今回は、大きい剣山と小さい剣山を使って生けていきます。

花材はこちらの3種です。

・夏ハゼ(新緑が爽やか)
・紅花(オレンジ色のお花が可憐)
・デルフィニウム(水色の小花に癒される)

今回生けてみて思ったのですが、「自然の姿に手を加えて表現する」という意味がまだ掴めずにいます。自然の姿ってなんや…

傾斜型しか型を知らないからなのか?
思想や感覚が追いついてないからなのか?

3回目にして、そもそも、いけばなは【花を使って自然を表すものなのか】、【花を使って自己表現するものなのか】、【花を主体にデザインするものなのか】、【花を主体にアートするものなのか】わかっていないことに気づきました。

いけばなはアートなのかデザインなのか問題は、答えが出ないので、また別途考えてみることにします。

そんなことをぐるぐるしながら生けます。

完成したのがこちら。
背の高い夏ハゼが、手前と奥で風に揺らいでる風景(自然の姿??)を作ってみました。

めぐ師範の手直しが入ります。

手直したのがこちら。

紅花の使い方はそのままで、青いデルフィニウムを左の小さい方にも増やした方が調和が取れるとのこと。

まだ感覚が掴めませんが、紅花の見せ方はよかったようなので、少しは感覚が掴めてきたのかも。

で、調和って何?

枠をつけると意味を帯びる 〜木苺の葉を例に〜

床に落ちているとただのゴミにもなる木苺(きいちご)の葉。
どこへでも飛んでいけるような身軽さがあります。
A↓

枠(黒のお皿)をつけるだけで、意味を帯び、オブジェになります。
B↓

冒頭で述べたこの概念(仮説)を思い出してみます。

ミニマムライフは、生命維持に最低限のもので暮らす身軽さにフォーカスしたもの。
シンプルライフは、質実(飾り気なく誠実)に暮らす豊かさにフォーカスしたもの。

木苺の葉が存在するのに、この黒い枠は必要ないので、Aはミニマム。
枠を付け加えて質を高めたBはシンプルなのでは、と考えました。

枠がなくても存在できるけど、枠があることで、場に調和し、存在意義(居場所?)のようなものができます。
すごく大雑把に言うと、シンプルなBは、なんかちょっとオシャレな感じ!

幸せの定義

ところで、心理学者のマーティン・セリグマンは、「幸福な人生」に必須の要素は、<快楽・没頭・意味>の3つだと言います(TED参照)。
この3つがある人生は豊かであると。

幸せ = 快楽 × 没頭 × 意味

・単純に楽しいや気持ちがいいという感情である「快楽」があるか
・夢中になるという「没頭」状態を持っているか
・「意味」のある活動ができているか

掛け算なので、どれかがゼロだと幸せもゼロ。
中でも、人生の豊かさには、「意味」がもっとも重要であるとも著書で述べています。

枠が、木苺の葉に生きる意味を与えてくれます。
そして生きる意味が世界に調和したときに、人生は豊かになります。

世界に調和する意味を見出した者は、カッコいい!

これが、めぐ師匠の「シンプルはカッコいいねん!」の真意ではないでしょうか(ちょっと近づいた?)。

「ミニマム」と「シンプル」と「やり過ぎ」の例

( ↑ わたしのシンプルな朝食。ケチャップは卵を味わうのに余計なので塩胡椒で)

具体的にシンプルを考えてみるとこんな感じではないでしょうか。

●例えば、買い忘れがあって近所のスーパーへお買い物に行くとき。

・部屋着のジャージを着て、スーパーの袋に小銭を入れて持っていくのはミニマム。それで用が足りるから。

・身に合ったジーンズとシャツに、仕立てのいいエコバッグを持っていくのはシンプル。自分に合った美学に基づいて選んでるから。

・パーティードレスに着替えて15㎝のハイヒールで行くのは、やり過ぎ。華美過ぎて調和していないから。

●例えば、個人で小さく仕事を始めるとき。
・多少起動が遅くても中古のパソコンで始めるのはミニマム。最低限を満たすから。

・手に馴染むキータッチが心地よいアルミボディのパソコンで始めるのはシンプル。仕事への美学と、見た目が調和してるから。

・今後もWardやパワポくらいしか使わないのに、最新鋭の3画面パソコンに最新グラフィックボードをつけて始めるのはやり過ぎ。余計だから。
・ここまで行かなくても、Mac bookにプラスチックケースをつけるのも余計。そのものの美しさを生かせないセンスのなさは、シンプルじゃない。

みたいな感じではないでしょうか。

例を書いてみて思ったのは、シンプルには、過剰でなく、センスがあることが肝になりそうです。

メモをとるのに使うペンが、コンビニで買ったボールペンから、万年筆に変えたとき、ミニマムからシンプルに変わるのかもしれません。

会議中にいちいち毛筆セットを広げて墨を磨ってメモを取るのは過剰ですしね。笑

側から見て、量が多くなく、センスがあるとみえるから「シンプルはカッコイイ」になるのでしょう。

今回の学びと持論

《今回の学び》
シンプルとは、無駄がなく洗練されていること。言い換えると、全存在に意味を持ちながら世界と調和して豊かなさま。だからかっこいい。

めぐ師範が言うシンプルは、こう言うことかなと解いてみました。

人がどんな定義や価値観で生きてるかをみるのは面白いですね。

ただ、わたし自身の感覚でいうと、人生や活動に意味づけが必要とは思っていません。「結果的に意味があった」くらいでちょうどいいです。

シンプルであることに、カッコイイという他者の判断も、自身の評価も要らないというのが持論です。

精神的にごちゃごちゃしない、自律的な生き方や暮らし方が、自分のスタイルになって、シンプルライフになると思っているからです。
いちいち見た目の調和を思い倦ねるなら(精神的にごちゃごちゃしてるので)、シンプルライフには程遠く感じてしまいます。

一般的にシンプルとミニマムが混同されやすいのは、シンプルは上質なものを選ぶために、量的に少なくなるからです。

シンプルを選ぶプロセスには、思想や美学が必要。
それは自分のスタイルを持つということ。

わたしは自分のスタイルという、物事を選ぶモノサシがシンプルであればいいと思っています。それが、自分のスタンダードを見つけるということ。

そのモノサシを持つだけで、生きることが案外簡単になります。複雑な世界から抜けられるから。

だから、シンプルであることは、たくさんのものに囲まれるより、とても豊かで贅沢なことだなと思うのです。

こんなこと思ってるから、見た目的な調和が何なのかわからないのかもしれません。

外見的調和と内面的調和

いけばなはも、人に見られることへの意識が高いほど、外見的調和を優先するのでしょう。
きっとそういう人は、誰かからの評価を気にする世界から抜けられずに、無難ないけばなをする。

他方、自分の精神が世界につながるような、内面的調和を優先する人は、面白い作品を作っていくのではないかと思います。

その域に達した人の作品をみて、外見的調和を優先する人は、圧倒されたり、羨ましく思ったり、逆に「上手くない」と評価するのかもしれません。
アート的になると、その人の内面が想像しにくくなるのかもしれませんね。

出る杭というのは、どこの世界でも評価が分かれるものです。

わたしも誰かのモノサシを会得しようとするのではなく、次は自分のモノサシでしてみようかな。

複雑な世の中で生きるために

最近よく取り上げられるLGBTや、様々な働き方をみても思いますが、多様性が認められる世の中は自然でいいなと思っています。
と同時に多様性は、生き方のロールモデルがないということでもあります。

前世代のように、いい学校に行き、いい企業に就職し、いい人と結婚して家買って、車買って、子ども作って、定年まで勤め上げ、老後は年金で孫に囲まれて暮らす…というような、多くの人に支持される生き方の正解はありません。

自分の生き方の正解は、自分で探さないといけないのが、現世代。

多様性の中で生きるプロセスには、人生におけるさまざまな状況に適応していく複雑さがあります。

複雑な世の中。
複雑だからこそ、シンプルにしたいと思う。

だけど、シンプルと無難は違います

ミニマムは、最低限死ななければいい、無難で身軽なこと。
シンプルは、表現したいとか、喜んでもらいたいとか、なくても生きていけるけど、あると豊かになる何か。
シンプルは、無難ではなく、一手間加えた中にある。やりすぎないちょうどいいところ。

シンプルには引き算だけではなく、思考や美学が必要です。
それを解くのが、華道という道なのかもしれません。

今回もお世話になったのは、悠月庵。

このいけばな教室では、華道の精神を1から10まで教えてくれません。
「これってこう言うこと?」と聞くと、
「そうそう」「ちょっと違うかも」「そんな気もする」など、微妙なニュアンスで伝えてくれます(やばそうなら、ちゃんと教えてくれるはず)。

知ること、理解すること、やってみることは違います。
自分で気づいて、腹に落とすという自立した精神も鍛えられるおとなのお稽古。
読解力のある人、感性を鍛えたい人、一緒に紐解きません?もう頭が沸きそうです。

とにかく3回でまだシンプルになれていないので、延長することにしました。
さらなる気づきがあるかわかりませんが、いけばな体験記、もう少し続けようかな。

頭の中がシンプルにして、文章ももっとシンプルにしたい…
いまはシンプルになる前の混沌に違いないと、おぼろげな希望を持って。

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