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伊山桂ロングインタビュー( 「「伊山桂 特集」のための文章」の、長い注釈 )後編

「「伊山桂 特集」のための文章」の、長い注釈

 ただいまシグアートギャラリーでは「伊山桂 特集」を開催中です。
 美術家である伊山桂(いやま・けい)は「自然と人間の関係性を美術実践の中で考察することを目的に作品を制作発表している」と語り、土などを使用した重厚なマチエールのアクリル画をはじめとして、発想をそのまま形にしたような軽やかさをもつ水彩や鉛筆のドローイング、卵の殻を使った独自の支持体を持つ絵画などを制作してきました。また2001年生まれという若手ながら年数回の個展をこなし多数のグループ展に参加してきた伊山の作品には、萬鐡五郎や松本竣介、舟越桂の作品のような近現代日本美術からの影響を思わせる確固とした造形的なセンスが見て取れ、一方でその時々の関心に基づいて新たな素材や手法を試みていく姿勢からは、柔軟な実験精神も感じられます。
 
 この記事では、合計7時間にも及ぶ伊山へのロングインタビューから、伊山が制作活動の歩みについて記した文章を読み解いていきます。

※こちらの記事は後編です。
ぜひ前編もご覧ください。

☆伊山桂ロングインタビュー( 「「伊山桂 特集」のための文章」の、長い注釈 )前編|Cyg art gallery

伊山桂 特集 (Cyg art gallery 常設展)会場の様子

「色も匂いも美しさも、それらは全て共通していないのですが……」

色も匂いも美しさも、それらは全て共通していないのですが、覆われた空間ということにおいては同じでした。その位置のことを洞窟と呼ぶことにして、次はその洞窟と洞窟を往復することや出入りをすることにしてみました。

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:「洞窟」とは何ですか?

伊山:
 覆われた空間のことをそう読んでいます。彫刻的な認識だなと自分では思っています。物体って多元的にいろんな要素が覆いかぶさっていると思っているんですが、物体からその周りの空間に意識を移して見てみると、見えはしないんですがドーム型に広がっている感じがするんです。自分でもよくわからないまま面白くなっている時は決まってドーム型に自分を囲う壁の存在があるように思います。多分、壁を感じる時はアイデアや物体(作品)、空間がそれぞれ機能し合っている状態なんだと思います。そんな均衡のある状態を洞窟という比喩で直感的に表現したんだと思います。

Q:「洞窟」を洞窟という言葉で表現しているのはなぜですか?

伊山:
 例えば外と内側という関係であったり、奥行きがあったり、そういう構造が近いと感じているからですかね。洞窟は昔から不思議な感覚になれる環境だったんじゃないかなと思います。酸素の薄さとか、暗さとか、音の反響とか、表現活動が加速した現場の一つだったんじゃないかなと。外の環境が変わっても内部の環境は大差なかったり、そういうのも面白いですよね。洞窟を出入りすることで発見があったと思います。自分の体や同族の人間を知ることにつながっていったのではないかと。
 洞窟の調査記録や洞窟壁画については高校を卒業した頃に興味を持って。「洞窟」は、文明が起こって衰退することの縮図になっているのではないかという妄想を今もしたりしています。
 インスタレーションの作りは「洞窟」的ですよね。自分もやってみたりした経験から今度はだんだん「洞窟」という言葉を拡大解釈するようになったと思います。
 コミュニティという言葉にも「洞窟」らしさを感じることがあります。そこから漏れ出ない、溢れ出ない滞留する何かにも非常に「洞窟」を感じますね。そうやって色々なことに「洞窟」を見たり感じたりしています。

Q:「洞窟」の往復とは何ですか?

伊山:
 「洞窟」と「洞窟」の往復をやっていくことで、人間という存在を豊かに見ることができるんじゃないかと考えました。例えば、一方向から景色を見て知っていても、別の場所から見るとまた違って見えますよね。違う角度から見る景色は、深そうに思えた部分も実は案外浅かったり、逆に笑ってしまうほど複雑だったり。「洞窟」というのは言ってしまえばジャンルに近いのかもしれません。いつも往復は大事なことだと思っています。そして見えたことはそれぞれの事実なんだと思っています。

Q:「洞窟」と「洞窟」はどういう関係にあるのでしょうか?

伊山: 
 簡単にいうと「アクリルと水彩」「絵画と彫刻」みたいな、別のことを往復してやるということです。やめたい時にやめたり、やりたくなった時にはじめたりですが。その表現が、他者に向けた表現なのか、自分を知るための表現なのか。実験的なことなのか、結果がわかっている作品なのか。それらはそれぞれの良さがありますよね。そのそれぞれの「洞窟」の往復が重要なんじゃないかと考えているんです。なのでいつも持っている画材が違う。
 僕は一つの「洞窟」にずっとはいられないけれど、もう一度戻ってくることはできるんだと考えています。自分のスタンスや立ち位置を入れ替えて、それぞれで仕事を請け負って、それぞれに責任を持つんです。そしてまた違う「洞窟」に移動していく。

伊山桂 特集 (Cyg art gallery 常設展)会場の様子

Q:個展「太陽の正位置」開催の経緯について教えてください

伊山:
 implexus art gallery からお声がけいただき、初めて企画されて個展をしました。企画ギャラリーでしたが自分からコンセプトを持ち込んで展開しました。
 その時の作品は実存を問うような内容で、ハイデガーが考え方として近いかなと周りの人には言われたりしました。 ハイデガーの用語で「投企」という言葉があります。例えばサイコロは投げられないと目を出さないというような、物事は全部投げかけないと返ってこない、というような考え方を表した言葉だと思うんですが、僕が何かを繰り返す行為や、往復して行っている活動などが、この言葉を知る前から自然と「投企」に近いような動きになっていました。

伊山桂《太陽の正位置》2021

  そのような、抜け出すことや戻ってくることがないと物事は進展しない、というような考え方を「太陽の正位置」では理論化して発表しました。繰り返し太陽が回っているように、自分たちはいろんなことを繰り返さなきゃならない、問い続けなきゃならない、というコンセプトの展示でし た。 当時、食事をはじめとして生活の中の行為を作品のモチーフにしたのも、毎日繰り返すなんらかのエネルギー補給として、です。円のモチーフが多いのもそういうことが関係していると思います。

「伊山桂 特集」会場の様子。2021年頃の作品が並ぶ。右端の作品は伊山桂《昨日の食事》2021

 ただ「これを表明することって、それ自体に意味はあるけれど、この後が大事だよな」ということを会期中に思いました。これからは理論を活動で示していく必要があると思ったんです。 様々な作家や他業種の人が、何かを表明している姿に憧れもあったんだと思うんですが、その時々で素晴らしい姿勢やスローガンを考えても、実際に動かないとその正しさや愚かさを知れないな、と。 それからしばらく経って、最近はその時々の等身大の展示ができていると思います。これは意識的に繰り返していたからできていることかも知れません。

「太陽の正位置」(implexus art gallery、2021) 会場の様子
「太陽の正位置」(implexus art gallery、2021) 会場の様子

 implexus art galleryからは、岩手県奥州市のギャラリーANでのグループ展「la eclósion」や Cygでの「Cyg SELECT 2020」参加の前から声をかけてもらっていました。高校卒業後最初の個展「RELATIONSHIPs」をオーナーの下館さんもご覧になっていたとは思いますが、あの展示を見て個展開催に誘うのは、当時の自分からしても大きな賭けに出たな〜って思いました (笑)。ある意味おかしかったというか、すごいですよね。 なので、今の状態は、周りの人が大げさにことを運んでくれたおかげだと思っています。それがすごい面白いですよね。面白かったのでプレッシャーはあまりありませんでした。
 展示を見にきてくれる方がたくさんいて、特に地元のアーティストの方々が目をかけてくれて、 自分は育っていったんだと思います。銅版画の岩渕俊彦さんもそうですし、戸村茂樹さん、大宮政郎さん、百瀬寿さん、小野隆生さんなどなど、本当にいっぱいの方に。

Q:先輩アーティストから教えられたことや学んだことはありますか?

伊山:
 先輩のアーティストの方々と交流していって、皆さんそれぞれ「幸運な人だなぁ」という認識を持ちました。もちろんただラッキーだということではなく、真摯に制作に努めてきたことが大きいんですが、話す中でそう思ってました。 
 ただ、だんだんとわかってきたのは、皆さん考え方がまっすぐなんです。素直というか、厳しい部分にもどこか可愛らしさが感じられます。多くの方から慕われている理由もそのうちにわかりました。全く悪い意味ではなく、それで「人たらし」という言葉を覚えました。制作活動をしたり、生きている中で人に協力してもらうことを、悪いなと思っていた時期があったんですが、そういう人たちを見て「まっすぐやっているなら大丈夫だな」と自信を持つようになりました。そしてスクスクと育ってこんなことに(笑)。 
 許されようと思って制作などをやっているわけではないですが、色々活動が進展すると「許してくれてありがとう」という言葉が出ますね。

Q:同時期の「プリン展」※参加について教えてください。

伊山:
 どうやらプリン展というのがある、というのは前々から知っていて、実は全容がわからないまま、流れるように参加しました。その後で「この会はちょっとおかしいのかも知れない」と気が付いたんですが、それが最高なことも同時に知ったので、毎年夏に喫茶クラムボンと東和町のいちびっとでの展示にも参加しています。  プリン同盟は、理想も脳もあらゆることも、プリンのようにゆらゆらでプルプルなので「これでいいんだ!」と当初衝撃を受けました。よく美術とかアートって言葉が何を指しているのかわからなくなるんですが、プリン同盟ではその点、美術を楽しむことの原初を体験している気がしてきます。愛で成り立っていると言っても過言ではないというか...…。そういうところに心を掴まれています。
 最近、南画についてを考えたり描いたりしているんですが、だんだんやっているうちに、ゆるさや揺れがプリンみたいだなと思えてくるんです。南画もプリンだったか〜って。プリン同盟の会長にその話をしたら「そうかもね」と言っていました。同盟員の人たちは時折、多分こんなふうに、いろんなものや出来事にプリンを垣間見ることがあるんだと思います (笑)。 あとは、「気合を入れることが全てじゃない」というか。意気込んでも、やるのが大変なので。 行動、行為に移すことの大事さもプリンを介して学んだ気がします。

※プリン展:2001年に盛岡で結成された「プリン同盟」による展示のこと。「プリン同盟」は会長の三河渉氏を中心に、プリンをテーマにした作品を展示する「プリン展」の開催のほか「プリンかるた」、「プリンすごろく」作成などユニークな活動を続けている。2021年には活動20周年を記念し石神の丘美術館(岩手町)で「プリン同盟20周年記念展」が開催された。

伊山桂《PUDDING》2021 「プリン同盟20周年記念展」出品作

「その内に、よく響く位置を目で 見つけられるようになり……」

その内に、よく響く位置を目で見つけられるようになり、綺麗な光を肌で感じられるようになりました。その為洞窟間を往復する最中に何度か新しい洞窟を見つけてそこに向けて新しい轍を作ったりもしました。

(「伊山桂 特集」のための文章」より

Q:「よく響く位置を目で見つけられる」や「光を肌で感じられる」とはどういうことですか?

伊山:
 だんだんと「洞窟」を感覚的に掴み取れるようになったといいますか……。難しいんですが、つまり、「洞窟」を認識する、感じるための、これまでと違う視点にだんだん気づいていっているんだと思います。それの比喩かと。視点に興味があったのは、もっと芸を様々な方法で楽しみたいという気持ちが大きかったんだと思います。自分が知らないだけで多分もっと面白いだろって(笑)。
 それで色々知っていくうちに、実は美術は「見る」ということにかなり面白さの重心があることに気がつきました。視点というのは見方で変わりますから、それで様々な技法や材料、表現方法を行き来しているのだと思います。技法や材料を変えるということが僕にとっては立場を変え、芸を様々な方法で楽しむことにつながっています。

Q:「新しい轍」とは何ですか?

伊山:
 今までとは違う新しい表現方法、技法、材料のことだと思います。 僕はよく思いがけず新しい技法や表現に出会うんです。
 例えば、ゴツゴツした質感の壁画のような作品を制作して発表した際に、陶板の制作を勧められて陶の板の作品を作ったんですが、 ある日部屋を片付けている時に、その陶板に木の棒が倒れてぶつかり、そこでポーンと音が響くことを発見したんです。それからしばしば陶板をドラムセットのように組んで演奏を楽しむようになりました。音を出していると、だんだん叩く陶板よりも音を響かせる台座の箱(共鳴箱)の方が大事なのかも知れないと考え始めてしまって、次は箱を工作したり、あり物で準備して音を工夫し始めたんです。その後で今度はスティックの方を変えてみたり…...。
 つまりこんな風に、他の物事にも取り組んでいたり絵画も制作もしているんです(笑)。それでしばしば気がつくと、自分にとって「新しい轍」の上にいます。

Q:絵画上の表現の発展でいうと、《Natura morta》シリーズがありますね。

伊山:
 もともとやっていた壁画のような作品《caveシリーズ》では、色を多用せず、壁画をイメージして制作を初めました。下地を作った板に絵を描いて、その上に下地をまた作り、また描き直す。繰り返し行うという行為がメインになっていて、それでどんどん絵がゴツゴツとしたマチエールになっていくシリーズです。
 その後に《Natura molta》というシリーズに取り組みました。支持体を板から紙に置き換えて、水彩で描いた静物画を、水で洗ったり、燃やしたりしたシリーズです。燃やしたり、流したりすると図像が消えてしまうので、それをまた描き直したり、さながら修復士の気分でした。描いていたものが全て洗い流されてしまったり、手のひらの上で燃えてなくなってしまったりもしました。
 この頃が、火や熱の要素を制作に取り込めないか思案しはじめた時期になります。《Natura molta》は最近の水彩画の制作にも繋がっていますし、火や熱というのはのちに 《Egg brick》や陶板の制作にも繋がります。

伊山桂《Natura morta》シリーズ

 松本俊介の《序説》という作品の解説で「たとえば空襲でやられて断片だけが残ったとしても、その断片から美しい全体を想像してもらいたいのだ」という言葉があります。時代が作った絵画のように思えて自分はこの作品と解説文が好きで、いくらか触発されて断片としての作品を制作していました。いくつかのパーツに分かれた一枚の絵(《熊の間》)だったり、《Natura molta》もそうですね。 少し大きな絵を燃やしていって小さな紙切れにしていました。
 その後《Natura molta》の制作はしばらくして止めましたが、《caveシリーズ》に変化が現れました。構図のことに意識が向き始めたんです。どう画面の中にモチーフを収めるかではなくて、どこまでが収まるか、に挑戦し始めました。例えば、F6サイズの絵をそれよりも大きいF10のサイズだと思って描くんです。勿論、サイズの差分はみ出ますし描けないんですが、僕にはそれが楽しく思えました。描こうという気持ちがあって、それを描くという行為さえできれば、ぶっちゃけ描けなくてもいいんです、多分。いや、でも、せめて何か後で楽しめる断片は残って欲しいんですけど。
 この頃には、ほぼ自分自身が想定できることはそこまで重要ではなくなっていました。自分が知りたいことは自分が考えられることの外側にあると思い、自分の作品や行為からそれを知るためには、想定の外に乗り出していかなくてはいけませんでした。乗り出すと言っても、それも自分では操作できない物なので、いくらか何かを手放す感覚です。手放さなければならないんです。

伊山桂《熊の間》2022(caveシリーズ)

Q:去年からまた水彩画を制作していますよね?

伊山:
 ちょうど《Natra molta》の制作から1年くらい経っていました。昨年の夏になるんですが、かなり暑かったですよね。旧石井県令邸での尾崎森平さん、小野嵜拓哉さんとの三人展「asterisc」も迫っていましたし、クーラーも効かない部屋で《Egg brick》や《caveシリーズ》の制作のために卵の殻を砕いたり焼いたりしていたので、とにかく水が欲しくなって水彩を始めました。筆洗がわりに使っていた水入りバケツに手を突っ込みながら絵を描いてました。ホントに暑かったんです(笑)。
 「asterisc」でご一緒したお二人からの影響もあると思います。二人とも色や技法に並々ならぬ情熱を持っていて「色ってすごいんだよ、絵具ってすごいんだよ」と嬉々として話すのを聞いてるうちに、そうなのかもって自分も思ってきちゃって(笑)、それで色鮮やかな水彩絵具を使い始めたのもある と思います。
 あまり色を使ってこなかった《caveシリーズ》でも《yellow building》から、黄色というかなり強い色が入るようになったりしました。「別に色を使ってもいいか」って思って。コンセプトに囚われることから抜け出したい気持ちもありました。この作品は頭の上に耳があって、肩が緊張のせいか張っていたり、ネクタイのような形があった りするので《猫田部長》と仲間内では呼ばれている絵ですね(笑)。平社員っぽくはないよね、 社長っぽくもない。出勤前かな、退勤途中かな、この顔は朝方っぽいよね。とか皆で話してまし た。それくらい自分でも自分の作品をゆるく捉えて楽しんでます。本当は題名も《猫田部長》でもいいんですけど(笑)。

伊山桂《yellow building》2023 別名:《猫田部長》

Q:《Egg brick》シリーズについて教えてください。

伊山:
 陶板の制作に誘っていただいてから、陶芸の本を図書館で借りて読んだことがありました。陶芸の歴史が載っていて、最初の方に「ドゥ」という、主にパン生地を使用した人型の供物が紹介されていました。今でも様々な地域で祭礼の飾り物として作られて飾られているそうです。 一昨年はそれを真似してパン生地で作品を作っていました。できるだけ本で読んだことに忠実に、塩を多用することで保存にも気を使って作りました。そのために自分用のオーブンを買ったりもしましたね。陶器とか物が熱によって固まる仕組みに興味が湧いていました。最初は難しかったんですが、コツがわかってきて、一時盛り上がって制作して、その後ひと段落しました。

伊山によるパン生地を使用した作品
伊山によるパン生地を使用した作品

 その後、森美術館で行われていた展覧会、「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」(森美術館、2022)という展示で、飯山由貴さんの作品で、パンで男性を作って食べる、という映像作品(飯山由貴《家父長制を食べる》(2022年、4Kビデオ、サウンド)) を見てしまったんです。飯山さんがパンを食べたということや作品のクリティカルさに、「わぁ、 やられた」と。作品が意図する部分にも勿論、これはすごいなと揺さぶられたんですが、同時に「自分はもういいか」と思いました。パンをそのまま作っていても良かったとは思うんですが、その後しばらくオーブンは使わなくなりました。
 《caveシリーズ》では卵の殻を画材に使用しているんですが、使用にあたって卵の殻を砕いて粉にする工程があり、砕いては粉の大きさごとに整理を繰り返しているときに、たまたま飲んでいた白湯が細かい卵の粉が入ったボウルの中に落ちてしまって、水分を吸収した粉は団子状になってしまいました。乾かさないと、と思いながらも、面白がってこねくり回していたらどんどん団子状になっていって、水を足して型に流せば収まるなと思いつきました。オーブンを取り出してきて、陶芸の時に教えてもらった知識を生かして、低温度から徐々に時間をかけてじっくりと焼きしめる方法で焼いたところ、見事に固まりました。でもそれは純度100%の卵の殻だったため、軽い力をかけるだけで粉々になってしまって。その時はかなり実験精神旺盛だったので、粉同士の接着剤になるような材料をいろいろ試して研究して今の《Egg brick》の形になりました。
 今の目標はこれで家を建てることなんですけど、現在1日に作れる個数が12個が限界で長い道のりだということが割と序盤にわかってきて(笑)。調子に乗って冬季間にオーブンを使うとブレーカーが落ちるので、大きなプロジェクトとして少しずつこの作品は進めていこうと思っていま す。
 途中から日干しレンガの原理を手本に制作していたので、この作品はタイル状に並べても面白いんですよね。なんか昔から、何かがたくさんある状態が好きだったので、今回はこれまで作ったものを全部ケースの中に並べて展示しました。

伊山桂《Egg brick》2023

Q:作品にTのような形が登場する連作《世界中の約束》について教えてください。

伊山:
 《世界中の約束》も《Egg brick》のように集合してできている作品ですよね。ここでは「T」 の字みたいな同じ形のものが集まって、それぞれ違う形を形成している。パターンの面白さみたいなものを感じていたと思います。
 個人的に時折、様々な地域でおきた戦争についてまとめた映像を見ているんですが、以前、沖縄戦の時に撮られた白旗の少女の写真(1945年6月25日に沖縄で米軍に投降する比嘉寛子さんを 米軍の従軍カメラマン、ジョン・ヘンドリクソンが撮影したもの)を見てとても衝撃を受けました。その写真が撮影された当時「白旗は降伏のサイン、それは世界中の約束だから」と同じ防空壕にいたおじいさんから少女は白旗を渡されたと言います。 確かに自分たちの共通の記号として白旗がありますよね。
 それからしばらくは白旗意外の共通の記号や言語がないかを探しながら過ごしていました。探そうとすると見つけられないのも共通点かもしれません。僕は探そうとしなくなってから少しずつ見つけたりしました。 そういう共通の言語を持つ存在が集まって、街も国も人間という種族も、似たような姿形をしているにも関わらず違う集団を形成して集落や派閥が生まれるのが興味深いと思い始めました。 人間の集団は集まらざるを得なくて集まっているということもあると思いますが、自分は人が集まっている状態や括られている状態に不思議な良さを感じるんです。それでこれらの作品制作を 続けています。 80号の《世界中の約束》は、今は縦長の構図になっていてわかりにくいのですが、中央に書かれているのは旗です。制作しているうちに作品をひっくり返したり横倒しにすることが多いので、今はこうした構図におさまりました。

伊山桂による連作《世界中の約束》展示の様子

 最近は《世界中の約束》を踏まえた作品、主に水彩ですが、そこでは「数の持つ情緒」が面白いと思って制作しています。特に、人間の数にはすごい情緒があると思うんです。1人、2人、3 人……そこにいるのがどんな人かが明確にわからずとも、人間がある人数いると、そこには何かが形成されていると感じます。集合している「T」の形にも同じような、数の良さがあると思っていますね。 自分自身を振り返ってみても、自分を構成しているのは自分だけではないですよね。細胞のように小さい単位が集まっている身体もそうですし、家も街も人の世界も、人間がいくらか集まって出来上がっているというのは本当なんだと思います。

Q:最近の作品の、煙や火山のモチーフはどこから出てきた物ですか?

伊山:
 これは本当にわかんなくって、2023年1月1日に描いた作品《風が吹く日》から唐突に現れたモチーフでした。こういうと「描いているのは違う人なのか」と思われるかもしれないんですが、 描いてる自分自身、なぜ描いちゃってるのかわかんない時はよくあるんです。こういうのは後々どういうことだったのか少しずつわかるんですけど、火山に関しては今はまだよくわかっていません (笑)。よくわからないまま、定期的に火山のモチーフが勝手に出てきたりしています。 煙が気になっているのかな?何かの知らせ(狼煙)でもありますし、危険のサインにもなりますよね。 火山が噴火すると、その煙はかなり遠くからでも見えるという話が面白いなと思ったことがあって、今はこの知識で火山の煙を描いているのかもしれないですね。火とか火山とか、スリリングな要素で扱ってみたくなってるのかもしれません。近くにも岩手山っていう活火山がありますし。 自分が生まれる前の年に一瞬岩手山の火山活動が起こりかけたとか、そういう話も記憶に強く残っていてモチーフとして現れているのかもしれませんね。

右:《volcano car》2023
左:《こんにちは火山》2023
左:《風が吹く日》2023
右:《明くる日の挨拶》2023

「洞窟の内部は様々ですが、それはどれも魅力的な内容で……」

洞窟の内部は様々ですが、それはどれも魅力的な内容で、どうにか覚えておこうと必死にメモを取ったりもしましたが、全くすべてを写すことはできませんでした。そのメモくらいしかそこにいたという証拠はありませんが、これが僕のこれまでの23年間の仕事の全てです。

(「伊山桂 特集」のための文章」より)

Q:「メモ」と、「Art Field Iwate」への参加の経緯について教えてください。

伊山:
 「メモ」は、どこかに行くための地図や図形のような作品のことですね。 自分が作る作品は何種類かにわけられると思っていて、先に出た「洞窟」の中で制作した作品、それ自体が「洞窟」になっている作品、その洞窟の内部や、洞窟への行き方を記録しようとした作品、この3つくらいに大体分けられると思っています。 「メモ」というのは、ここでいう3つ目の、記録的な作品ということですね。
 一度2021年に「Art Field Iwate」(盛岡市中央公園、2021)という屋外展示に参加したことがありま した。《GIFT》という作品を、当時大学生だった姉と一緒にコンセプトから考えました。 屋外のススキが伸びた場所に6畳くらいの空間を作り、椅子や机、ソファ、イーゼルを設置。そこに二週間弱、観察者として自分が滞在しました。ススキがいい感じにプライベートを守ってくれる壁になっていたので日差しが強いこと以外は居心地は良かったです。

《GIFT》滞在制作の様子
《GIFT》滞在制作の様子
《GIFT》滞在制作の様子

 自分自身や訪れる人がどういう流れで動くのか、いわゆるアフォーダンスを記録して、その日の夜に仙台にいる姉にデータを送ってまとめていくという、パフォーマンス的作品でした。その後その動きのデータからインスタレーションを造形して二週間を一つの部屋の中で「見える化」する予定でしたが、残念ながらそこまではお互いの時間が取れなくなってしまい実現できていません。
 この作品のパフォーマンス中、一応部屋までの道があるにもかかわらず、壁代わりになっていたススキをかき分けて横断していった人が印象的でした。その人の動きを元にした作品が《侵入経路の手記》になります。日記みたいなものですが、これも僕がいたススキでできた洞窟の壁をすり抜けていった人の記録だとすれば「メモ」的な作品になるんだと思います。部屋を横断される様子を僕は悔しがりつつソファで寝転びながら見ていました。

伊山桂《侵入経路の手記》2021

 こんな調子が僕の23年だと思います。 「全くすべてを写すことはできませんでした」というのは本当ですが、自分自身はすべてを写す必要はないとも思うんです。それは自分以外がそれぞれやってくれていることだと思えているからだと思います。

「伊山桂 特集」を開催して……

Q:今回展示してみてどのような感想を持ちましたか?

伊山:
 忘れていたことが多かったです。いつもやったことを忘れているんですが、その集積を見たような気がしました。これがあったから今ああいうことを考えてるのかなって、変遷も感じることができました。 考えていることやテーマみたいなものは小さい頃から一貫してあるなとは思っていましたが、今回インタビューしていただけて明確になって、何だか良かったです。人間はいろんな単位の集団を持って活動していますが、その中に人間の気持ちよさや悲しさ、寂しさ、愚かさだったり、喜びだったりがあることを見ると、私は一定の哀しさを覚えるんですけど、人間とはこういうものだと少しずつ前向きに再確認し続けているんでしょうね。こういう機会をいただけて大変うれしいです。

Q:自分の制作について大事にしていることはありますか?

伊山:
 制作だけでもないんですが、常々頑張らないでいます。特に描くことや表現することには努めていないと思います。 これは完全に体質なんですが、一生懸命やるとか頑張るとかっていうのが、自分には無理なんです。運動音痴と言うのか、意気込むと体がどこもリラックスしないんですよ。そうすると出るものも出なくなる。心拍数や呼吸が乱れてしまう。
 これは昔からそうでした。勉強もゲームも頑張ろうと思っても続かないんです。根っこから興味を失っちゃうというか、僕にとって不自然なことなんだと思います。それで割と早めに頑張らなくなって、リラックスして取り組むことを大事にしはじめました。
 明確にそれがわかってやりはじめたのは高校生の頃ですかね。 ちょうど自分が高校生の頃に成人年齢が18歳に引き下げられたと思います。それで自分の学年の担任がよく責任という言葉を使っていた記憶があります。それで僕も責任について考えはじめました。自分が絵を描くことやモノを作ることの責任についてです。これはいつも大事に思っています。
 あらゆる表現というのは多面的で、いくら純粋であっても微量の加害性が秘められているとも思うんです。 それを僕たちは内側や外側から見たり感じたりして楽しんでいます。そういうモノを時に美しいと感じるわけですが、僕は美しさを一種のバイアスだとも感じていて、そういう美しさに自覚的になることで自分の「責任」 を持とうと思っています。

Q:これからやってみたいことはありますか?

 今は空いた時間にメキシコのオアハカ州で作られている木彫りの人形の作りを模した木彫をただただ作っていて、まだ発表とかは考えていないんですが、いずれ面白いのが作れたらそれだけで展示をやってみたいですね。
 あとは最近密かにやっている「生垣を読む」という、街中の生垣や植えられた木などを見てたしなむ鑑賞活動を映像作品にしたりだとか、《Egg brick》で家を建てるだとか、演奏会を開きたいだとか、一つの作品を複数人で制作する共同制作のような活動など、作ることに関しては草案が溢れていて全てをやるのは多くて大変なので、これからもゆっくり制作を続けていき、いつかお見せできるようにしたいです。
 あとは、色々な地域で制作をしたり、発表したり、ゆっくり過ごしてみたいですね。レジデンス施設での滞在制作もしてみたいです。僕はしばらく前から地形が作った人間の形というのに興味があって、どれだけインフラが整備された都市や町であってもその地形に生きる人々の生活は勿論、心にも地形が少なからず影響を与えているように思うんです。それは気候的な部分なのか、景観の部分なのか、まだ細かくこのことについては整理できていませんが、少しずつ色々な場所で活動する中で知れればいいと思っています。

(インタビュー 終)

「伊山桂 特集」会場の様子

「伊山桂 特集」開催中です。

 ここまでロングインタビューを通して「「伊山桂 特集」のための文章」を読みながら、文章への注釈として伊山の制作活動の歩みをゆっくりと辿ってきました。わずか原稿用紙1枚半の文章にもたくさんの記憶や想いを詰め込んでいるということがお分かりいただけたでしょうか?
 もちろん「伊山桂 特集」のための文章」と同じように伊山の作品も、一つ一つの線や色、質感にその時々の想いやこれまでの記憶が表現されています。
 ぜひこの注釈を参考に、伊山桂の作品を見直してみてはいかがでしょうか?

スタッフS 

☆展示作品はこちらで一部販売中です!

●展示概要

「伊山桂 特集(Cyg art gallery 常設展)」

・会期
2024年1月20日(土)─2月13日(火)
10:00-18:00
[水曜日・木曜日 定休] 1月23日(火) 臨時休業
※営業時間・休業日の最新情報は Cyg art gallery ウェブサイト・SNSにてご確認ください。

作家在廊予定日 2月11(日)
※休憩などで不在の時間帯もございます。

入場無料

ウェブページ
https://cyg-morioka.com/archives/3211

・作家プロフィール

伊山桂|IYAMA Kei
2001年生まれ。岩手県盛岡市出身。美術家。自然と人間の関係性を美術実践の中で考察することを目的に作品を制作、発表している。

【個展】
2020「RELATIONSHIPs」彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2021「太陽の正位置」implexus art gallery / 岩手県盛岡市
2022「遠景のドキュメント」implexus art gallery / 岩手県盛岡市
2022「伸びる真空管」企画画廊くじらのほね / 千葉県千葉市
2023「かわらないトーンおかえりのターン」彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2023「HOLE」企画画廊くじらのほね / 千葉県千葉市
2023「伊山桂 展」ギャラリーカワトク / 岩手県盛岡市

【グループ展】
2020「la eclósion」ギャラリーAN / 岩手県奥州市
2020「Cyg SELECT 2020」Cyg art gallery / 岩手県盛岡市
2021「Art Field Iwate 2021」盛岡市中央公園 / 岩手県盛岡市
2021「Cygnus parade」Cyg art gallery / 岩手県盛岡市
2021「プリン同盟20周年記念展」石神の丘美術館 / 岩手県岩手町
2021 屋外展示「Art Field Iwate 2021」盛岡市中央公園 / 岩手県盛岡市
2022「Future Artist Tokyo 2022」東京国際フォーラム / 東京都
2022「うたの心 -絵筆に託す-展」東京九段耀画廊 / 東京都
2022「クリスマス金の板展」(美術家・柴田有理と共同企画)彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2023「art festa iwate 2022」岩手県立美術館 / 岩手県盛岡市
2023「asterisc」旧石井県令邸 / 岩手県盛岡市

【受賞歴】

2021「第7回F0公募展 ミニアチュールzero 2021」大賞 彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市
2022「第8回 F0公募展ミニアチュールzero 2022」マルマン賞 彩画堂S-SPACE / 岩手県盛岡市

【連載】
エッセイ「経点」『てくり(30号〜)』(発行 まちの編集室)

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・note note.com/k20010703/



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