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総理総裁の血統・・・

こんなのは知ってる人は
最初から知ってる話なので出す程でもないと思いますが、
岸田文雄新総裁の血縁について折角確認したので少々…。


小泉の(後継論争辺りの)頃から、
個人的にそう考えている…という事ですけども、
総理大臣になる政治家の多くは近親者に総理経験者がいる…というのが
その頃からの傾向です。

先々週辺りはそういう所は余り、情報も出ないので珍しく違うのかな?
・・・と見ていた
んですが、新総裁が決まって昨日改めて確認してみると、まあ終わってみればあの4人の中で親類に総理大臣経験者がいたのは
実は岸田氏だけ
だった…というのが一つの結論です。
(*菅総理はそういう関係は確かに薄いか無い最近で少ない例。)

まぁ確かに話題にならないだけあってかなり遠いには遠いんですけどね。

因みに河野氏は父洋平、祖父一郎共に副総理を経験しています。
(父は総裁に上り詰めながらも野党時代で村山内閣の副総理だったとか。)

多少の詳細について関心があればこちらで・・・。


さて、では岸田家にゆかりの総理とは誰だったでしょう?

思いもよりませんでしたが宮澤喜一元総理が遠い親戚にあたるそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E6%96%87%E9%9B%84


衆議院議員を務めた岸田文武は父[3]。戦前戦後に衆議院議員を務めた岸田正記は祖父[4]。参議院議員・経済産業大臣を務めた宮澤洋一は従兄弟[5]。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%BE%A4%E6%B4%8B%E4%B8%80

内閣総理大臣などを歴任した宮澤喜一は伯父にあたる。

生年月日 1950年4月21日(71歳)
所属政党 自由民主党(岸田派)

親族 曽祖父・小川平吉
祖父・宮澤
祖父・岸田正記
父・宮澤弘
伯父・宮澤喜一
従弟・岸田文雄

*岸田文雄は母方のいとこ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%BE%A4%E5%96%9C%E4%B8%80

評価
岸田文武によると「たしかに宮沢一族には官僚が多いですね。別に意識してそうなったわけでなく、強いていえば環境でしょう。親族の冠婚葬祭などで全員が集うと、まるで官僚あるいは官僚OBの集まりといった具合です。」という[49]。

作家の神一行によると、「いまや宮沢家は超名門エリートと思われているが、もとから宮澤家が名門であったわけではない[50]。竹下、安倍が大地主で酒造業、醤油製造業を営んでいたのに対して、宮沢の場合はぐっと落ちて小農の出である[50]。宮沢は東京生まれであるが、父裕は広島県沼隈郡金江村(現在の福山市)に生まれた[50]。取材当時その実家を訪れてみたが、福山市とは名ばかりの山の中にそれはあった[50]。」、「宮沢一族の閨閥は、系図でもわかるように、ただただ華麗としかいいようがない。系図には約九十人の人物が登場するが、そのなかから宰相になった者が五人、国会議員となった者が二十人、はては麻生家を通じて皇室まで連なる“一大名門閨閥”を築きあげている[51]」という。麻生家を遠縁とする見解について、系図を全体観察すれば[52]遠縁が疎遠を意味しないことは明白である。

wikiにしては分かりにくい文章なんですが、平たく言えば宮澤家は
出はそうでもなかったが何か才覚や良縁があって
(その当時の)今や官僚多数、その閨閥系図にある所で
5人の宰相経験者を送り、国会議員になったものも多数、
遠縁の麻生家を通して皇室までゆかりを持つ当代屈指の名家である・・・

というような感じじゃないでしょうか?

*閨閥(けいばつ)ー 妻方の親類

ちょっとその親類関係の確認は流石に今取りませんが
その内容を信頼すれば、つまり岸田家も麻生家と多少の縁があって、
ひいては後援も最後には引き寄せる事が出来るような家柄、
関係…と言えるのかもしれません。

また、官僚が多かったというのも現在も続いているかどうか?
そういう意味での政策実現性、或いは傀儡的、いずれもが
起こりうる下地、関係性が同様にもしかするとあるのかもしれません。

4人の討論、質疑の際、一番歯切れがよかったので
恐らく現実路線として岸田氏が次の総裁に押されるのでは?
・・・と予想していましたが、その歯切れの良さの自信や政策実現の根拠は
もしかするとそういう交友、横の繋がりからの影響からだったのか?
・・・とも思えます。


まあ取り敢えずこの話は宮澤喜一まで辿るだけなので
この辺でまとめると…

岸田文雄—―岸田文武(父)――岸田正記(祖父)

その祖父の娘(文武の妹)が宮澤弘の妻として嫁いだようで
そこで宮澤家との繋がりが出来た…という事でいいんでしょうか?

そしてその宮澤弘は宮澤喜一の弟…とのことです。

宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。
消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。
戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟[1][2]。
自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父[1][2]。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。
娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。


見た目の印象もそうですが・・・まぁ家柄的にもどう考えても
実務的な印象なので、こう何と言うか、いわゆる”政治家”に適格適任な
人材が枯渇気味の時に確かに台頭しそうです。

それと、これも運命か或いは(主従・歴史の)再現か、
ちょっと面白いのは、まだ勿論決まってませんが、

宮澤喜一改造内閣時期約8か月の内閣官房長官を
河野太郎の父河野洋平氏が受け持っていたという点。
(引き続き何かの役職に留まるのではないかとして。)


今回もそういう流れがもしかあれば…本人はどういう気分かは知りませんが
運命のいたずらというか・・・まあ家柄、そういう星の下というのを
遠目には感じてしまいそうです。


一方でだから一般人として越え難い出身、血統の壁、
或いは才能の壁…というのをより強く感じる事になるかもしれませんが…。

最初の資格・・・法律や憲法上は否定されてますが、
まあ・・・です。

・・・一応確かに、紛れもなく、絶対ではないとはいえ。


それはそうと事実としてこういう事があるから
僕は若年層に ー そうでなくても ー 早く結婚した方が良いとか、
子供を多く持った方が良いとか、(そこからの関係を大事に)
人との繋がりをある程度多く保った方がいいと、こぼすんですけどね。


‥‥凡人にとっての唯一の逆転の道だと。

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加筆

小川家
(長野県諏訪郡富士見町、東京都) 
小川一族について、佐藤朝泰の著書『豪閥 地方豪族のネットワーク』442-457頁による
閨閥地図を広げれば、新旧の政治家、高級官僚、財界人の名がキラ星のごとく輝いている。地図上には歴代総理大臣が四人。地図をもう少し広くとれば、この倍以上にはすぐ増える。だが小川姓の総理がいるわけでない。輝く星の一つ一つがそれぞれ大きな星座を形成している。たとえていえば、有力家系を縦横に繋げる真綿や星雲のような一族なのである。政界人なら元首相宮澤喜一鈴木善幸、古くは林銑十郎吉田茂。閨閥地図をもう少し広くとれば、鳩山一郎岸信介・佐藤栄作兄弟などにも繋がる。小川一族がこのような存在になったのは、女系の強さにもよるから、字義どおりの大閨閥なのである。この大閨閥の源は信州の諏訪。戦前の代議士、司法大臣・鉄道大臣などを歴任した小川平吉だ。この人が大閨閥の真綿の大元、つまり繭玉である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E5%B9%B3%E5%90%89


加筆ついでにもう一言。

現代人が深い所で自信をなくした、或いは持てない理由は
もしかするとこういった家柄とまではいわずとも
そのルーツによるところが余りに無くなったからではないか…
というのもあります。

だから偉くなるというかそれなりの役に就く人の
こちらからは知れない深い自信…その源泉の一つであるように思います。
(しつけといえば躾けなのかもしれませんが。)

もし何かあれば報奨金として頂戴します。