記事一覧
岡村靖幸という衝撃 その1
岡村靖幸を知って、ライブに行くようになって随分経ちました。Twitterでは幾度となく呟いてきた、岡村ちゃんとの出会いから初ライブ(ファンの間ではDATEと呼ばれています)、そしてファンになるまでの道のりをそろそろ一つか二つくらいの記事にまとめたいと思い、何年かぶりに仕事以外でパソコンと向き合っているところです。完全なる自分語りですがお付き合い頂けますと幸いです。
はじまりはビバナミダなんか面白
結婚に伴い本籍地を移したらちょっとさびしくなった。
結婚しました。
なんで結婚したかのプロセスとかは恥ずかしいし、誰も求めていないと思うので割愛させていただきますが、それに伴い、生まれ育った宮城県仙台市より本籍地を移しました。
実家もとっくの昔に仙台から移動してしまっているし、本籍地に別にそこまでこだわりはないつもりだったんですけど、いざ本籍地を移してみたら、なんとなくさびしい気持ちになりました。自分が宮城県人であった証明とかいうか、そういった
出せない手紙を出そうとしている
中学1年の時に出会った教育実習の先生がいる。
先生は私たちの中学の卒業生で、母校での実習なのだと言った。
背はちょっと低かったけど、かっこよくて、くしゃっと笑った顔が素敵で、フレンドリーで、あっという間にクラスの人気者になった。私もすぐ大好きになった。
実習の最終日はお別れ会をしてクラスで泣いた。
私も泣いたし、先生も泣いていた。
ひとりひとりと、握手をしてお別れをした。
これはあとから聞い
青春時代はスガ シカオと、
スガ シカオと出会ったのはいつだったか。
明確な時期は覚えていないけれど、母親がレンタルショップで借りてきてCDをダビングしたカセット群のひとつにスガ シカオの3rdアルバム『Sweet』があった。発売時期を考えると、おそらく自分が小学校の中学年の頃だったのではないかと思う。半透明の白色をした、ちょっと可愛いカセットだった。
母親は車で一時期それをよく聴いていて、時には家でも聞いていた。
有無
知らない町で、しばらく何もせずに暮らした
去年の夏に仕事を辞めてから、新しい町でしばらく何もせずに暮らしました。
1人は嫌いではなかったし、週末は彼と過ごせるし、
心身ともに疲弊していたし、長い休みなんてなかなか取れない仕事をずっとしていたのでそれまでのご褒美だと思って思い切って何もしないことにしたのです。
最初の1、2ヶ月はバタバタしてました。
役場に行ったり、新生活に新しく必要なものを買い足しに行ったり。本当に右も左も何もわからない
住んでみたかった神奈川は存外田舎だった。
7年ほど暮らしました神奈川県。いわゆる「西湘」と呼ばれるエリアで生活していたんですけど、まあ、思っていた以上に田舎でした。
これは仙台人が住んだ、小田原(not仙台市)の話です。
東北コンプレックスと首都圏への憧れこれは東北人あるあるだと思うんですけど、1度はね、関東圏にね、憧れを抱くんですよ。
大きい美術展とか展覧会なんか頻繁にやってるし、大きなテーマパークもあるし。でも気軽に行ける距離で
クリスマスを少し過ぎた時期にポケットの中の戦争を観た
クリスマスに腎盂腎炎の疑いがかかり(うまく採尿できなかったせいできちっとした検査が出来ず、はっきりと病名はもらえなかった)、数日間高熱と頭痛と関節痛で寝込みっぱなし、やっと日中起きてられるまで回復するも、大好きなイエローモンキーのナゴヤドームライブ行く体力はなく。
そんな悲しみの中、クリスマスを少し過ぎた時期に
【機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争】を観るなどした。
前々から周りの有
田中泯さんと遭遇した話
遭遇したっていうか、泯さんが出る対談企画を見に行った時の話なんですけどね。
田中泯さんを知ったのは『メゾン・ド・ヒミコ』が初めてだったと思います。初めて見た時は、ただただオダギリジョーが美しいなという感想だったんですけど、そのあとDVDを買い、何回も見直してていくうちに元ゲイバーのママ・ヒミコを演じる田中泯さんの持つ雰囲気に惹かれていきました(これを書くにあたって、ついこの間、数年ぶりに見直した