人間関係って、難しい。 ASD やADHDといった障害を言い訳にして甘えたい訳では無いけれどしんどい。 普通の人の些細な言葉がしんどくなる。 普通の人は出来る事ができない。 なんで? 疑問しか出てこない。 仕事、今年で2回も辞めてる。 対人関係が楽な工場系のバイトは決まったけれど。 やっぱり、非正規雇用は周りがうるさいし、損している気分 #ADHD #ASD #発達障害 #非正規雇用
8月、上司に色々差別的な事等を言われた。 精神的にも身体的にもきつくて仕事を辞めた。 ずっと、遅刻欠勤ばかりだったからもう、体と心が無理だと言っているのだと思った。 8月の前半で出勤を最終にし、9月末までの1か月半休みつつ、転職活動をすることにした。 8月の後半は家から出るのも億劫で起き上がることさえしんどかった。 9月になってやっと少し動けるようになったので、単発バイトをしてみた、 以外にも楽しかったり、新しい発見もあったりと楽しかった。 転職は自分の本当にやりたかった
続きです 障害者になるという事は、世間から取り残されて、今まで普通の人として見られていた自分が、 『他の人と違う扱いをしなければならない人』 として見られたり扱われたりするみたいな感覚だ。 子どもの頃から障害者として生きてきたならまだ、違う感覚だったのかも知れない。 でも、私は大人になってから障害者になった。 だからこそ、すごく戸惑う 障害者として生きたかった訳ではない。 何なら普通の人として生きたかった。 障害者という見えるようで見えない壁がある。その壁が辛い。 今
集団行動は嫌いだ。 何故、好きでもない事を好きでもない大勢の人達としなければならないのか。 幼いながらに思った。 好きでもない事とかを何で皆でやらないといけないんだろう? 輪の中に入らないと、怒られたり、変な子扱いされる。 意味が分からなかった。 何故、その行動をしなければならないのか、何故輪の中からはみ出てはいけないのか、 納得出来る理由が欲しかった。 幼いながらに物事に理由を求めていた。 でも、理由を求めている事に気付けなくて 嫌だ!やりたくない!等の言葉と逃げると
私は幼い頃から『家庭内暴力』(身体的、心理的、半ネグレクト)のある家庭で育った。※以下の文章は暴力的な事や生々しい虐待の事実が記載されています。 苦手な方は見ないでください。※ ○ ○ ○ ⚪身体的虐待について 殴る.蹴る.階段から突き落とす.水風呂に着衣のまま沈める.声を出せないように口周り周辺に強力なガムテープを貼る.釣竿や木の端材で打つ.髪の毛を抜く.動けない様に縛る.地面に全身を打ち付ける.首締め.刃物や文具等で刺す…etc… どれも辛く
ある時から、咳が止まらなくなった。 息が苦しくなった。走ったら息切れするようになった。長く喋ると息が切れるようになった。 風邪でもない、感染症でもない、変な物を食べた訳でもない。 原因がわからなかった。 寝れないくらい咳が出て、強いと一般的に言われる睡眠薬を使って眠ると、排出出来なかった痰で窒息間際になって嘔吐を繰り返した。 ああ、これって病院行かないといけないやつだ。と思い、症状が落ち着いた時に病院へ行った。 初めは『咳喘息』という診断名だった。 でも、薬を使って症
私の親は、偽物?とよく思う。 本当の親ならば、殴ったりしなかっただろうし、体型や体重のことを思春期に押付けて来ることも無かったのではないか?と思う、 弟達は、思春期に異常なくらいブクブク太っても、何も言われなかったし、コントロール(支配)もされなかった。 食べ物への支配もされなかった。 殴られては居たけれど、それなりに私よりお金を掛けて育ててもらっている。 学費も、携帯代も、交通費も、交際費も全部。 親が与えている。勿論、20歳を超えても家賃は一銭も入れていない(私は1
私には弟が2人いる 弟達と私は、親からの扱いが全く違う まず、弟が2人いるので、呼び方を 長男→A 次男→B とする。 Aは勉強ができる。 小さい頃から顔立ちが良くて皆に可愛いと言われて育った。赤ちゃんの時はモデルにスカウトされるくらいだった。 Aは小さい頃から、要領が良くて賢かった。小学校入学前には ひらがな が少し書けたり、簡単な足し算引き算ならこなしていた。 勿論、簡単な本なら一人で読んでいた。 Aは小学校入学と共に中学受験をするための塾と習字やピアノ等を始めた。
皆様は睡眠障害を知っていますか? 言葉は聞いたことがあるけれど、内容はよく分からないという人が多いのではないだろうか、 ⇩田辺三菱製薬さんのHPが分かりやすかったのでリンクを貼らせて頂きました。⇩ 私は睡眠障害を持っています。 症状としては、 🟡不眠症(入眠困難・中途覚醒・熟眠障害) と言われている。 まあ、簡潔に言うと 『寝付きが悪く、夜中何度も目覚めて、薬で寝ても疲れが取れないし寝た気がしない』 という感じ。 発症原因は、確実ではないけれど家庭や仕事でのスト
2019年わたしは、自殺未遂をした。 まあ、幸か不幸か未遂で済んで今こうやって生きている。 自殺未遂は何度も繰り返した。 その度、死ねなかった。 自殺未遂、何度もしている癖に記憶は殆ど無い。 でも、写真がある。毎回毎回私はスマホで自殺未遂をした自分や場所を撮っていた。 頭がぐちゃぐちゃになると、言葉が上手く紡げなくなる。 遺書の代わりに写真で遺書を作っていたのだろう。 今でも、その写真は消さずに保存している。 他人から見れば、過去の黒歴史、 ましてや、自殺未遂の写
摂食障害の沼にのめり込んでいった。 そう簡単に抜けられる沼ではない。 "過食嘔吐"を始めてから、唾液腺が腫れて顔が変な風にパンパンになった。 力むから、顔の内出血も沢山できた。 誰がどう見ても、『変だな』と思うような顔だった。 鏡を見るのが恐怖でしかなかった。 ボロボロの肌にパンパンの唾液腺、目の周りの内出血…… そんな状況になって、こんな顔、嫌だ! と思っているのにも関わらず、過食嘔吐をする毎日。 次第に、過食嘔吐の内容も変わった。 初期の頃みたいに、『食べたい物』を
認めたくない。認めたくない。 私は、普通の人間だ。 小学校から専門学校までずっと普通の学校だったし、クラスだった。 小さい頃の発達検査でも特に異常なし。と言われていた。 ただ、私が覚えている限り、小学校から専門学校まで学校の授業や行事は大嫌いだった。 それは、行動にも早くから出ていた。 ・・・・・・・・例えば・・・・・・・ ★授業を全く聞かないし、授業を放棄する ★同級生に友達ができない(年上や年下は少しできた) ★授業中の45分、席についていることが出来ず、教室を飛び
前回のnote.です 下剤、どんどん増えていった。 1週間に1回だったのが毎日になって、 飲む数もどんどん増えていった。 でも、毎日これだけ飲んでいると、流石に親バレする。 たから、学校で下剤飲み始めた。 最初は体育の時間だけ。 苦手な球技の時に飲んでいた。 後は授業抜け出してても許してくれる先生(仲良しで事情少し話していた)の時… ずーっと学校のトイレでコソコソ腹痛と戦ってた。 その時ばかりは陰キャというか、個性を尊重し合えるクラスで良かったなと思った。 そんな生
休み、頭が重い
女としてうまれて、女として生きていて、女としての自覚を持っている。 でも、私、現実世界での一人称は 「ぼく」
下剤を買った私。 初めは用法用量通りに飲んでみた。 ピンクの小粒を寝る前にコソコソ錠飲んだ。 取敢えず3錠飲んでみた。 深夜3時頃、とてつもない腹痛で飛び起きた。下腹が絞られる様な腹痛だった。 トイレに直行した。 勿論、下剤を飲んでいるから下痢が出る。 量も半端じゃない。そして気持ち悪くなってくる。トイレから出ることもできない。 さすがに母親が心配してトイレまで来た。 どうしたの?と聞かれた。 私はとっさに「分からんけどお昼に持っていったおにぎりにやられたかも!」と