マガジンのカバー画像

ショートショート集『希望抽象』<15作収録>

16
全15作のショートショート集。一定期間が経った無料作品を有料に設定し直し、最初から有料の作品5作をこのマガジンに追加しました。
¥300
運営しているクリエイター

記事一覧

短編小説『あたたかい楽器』

 地方に出張したとき、楽器屋の前を通った。民家に紛れ込んでいて、気づかずに通り過ぎてもおかしくなかった。ガラス越しに美しく滑らかな管楽器が飾ってある。サクソフォン、ホルン、トロンボーンだ。少し離れていても手入れが行き届いているのがわかる。看板は雪が覆っていて見えない。  店の入り口には屋根から落ちた雪が積もっていて、誰も通った形跡がない。しかしガラス戸越しに人影が見えた。  雪をふんずけると雪が鳴いた。ガラガラと戸を軋ませながら私は中に入った。 「いらっしゃい」  その

有料
100

短編小説『私の爪は苦い』

 わたしは電車に駆け込んだ。外よりずっと温かい車内は、混んでいるわけではないが座席はすべて埋まっている。わたしは鼻からため息を漏らすと仕方なく吊り革を握り、もう一度ため息をついた。  わたしの吊り革を掴んだ手が真っ赤だったので、手袋を家に忘れたことを思い出したのである。  視線を下げると目の前の座席に寝ている女がいる。彼女はすっかり頭を垂らし、後頭部を見せているみたいだった。無防備な寝姿には似合わず、手は膝の上にきちんと重なっていた。  彼女の指先に目が行く。それはまる

有料
100

短編小説『あなたにとって世界一の美容師は、あなた。』

 やっときた土曜日。  わたしは平日に溜めたストレスを晴らそうと外出したけど、特に目的はない。街を散策していると、無意識に男物を目で追っていることを自覚する。久しぶりに恋がやってきた。  散策を続け、人通りの少ない路地に入ると、気になる看板が目に留まった。 『「あなたにとって世界一の美容師は、あなた。」    ImaginatIon』 「美容院」や「サロン」の言葉がないのが気になるが、伸びてきた前髪を流して誤魔化すのも面倒になっていたところだったと気づく。全体的に髪も重

有料
100

短編小説『希望抽象』

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

短編小説『1mm法師』前編

 僕は自殺している。  先ほど飲み込んだ毒薬のカプセルが胃の中で溶け始めるのを待っているのだ。  1Kのボロアパートの湿っぽいベッドの上で仰向けになり、僕はこれまでの人生にゆっくりと想いを馳せる。  27年という短めの人生だった。特に悲しいことも嬉しいこともなかった。……と、思い出す思い出もなかったと気づくのは早すぎた。  こんな感じで死んでしまうのか。それ、なんか怖いぞ。油に近いべっとりとした汗が額に浮かび始める。 「やっべ。やっちゃったよ」  と言ってももう遅い。

有料
100

短編小説『1mm法師』後編

 電子レンジを見つめながら、気まずい。1Kの部屋の中、僕の右耳には小さな人間がいる。  疑っていたが、確かに耳の入り口辺りで何かが動いている感じがする。 「すいません。このうどんってどうするんですか?」 「これを鼻から入れていただきます」 「僕死にそうなんですけど、大丈夫ですか?」 「うどんを鼻からすすっていただいて、私はそのうどんを伝って胃の中に入ります。そこでカプセルを取り出します」 「ふーん、なるほどね」  腹が立ってきたのでリアクションを抑えた。

有料
100

短編小説『地獄が地獄でなければ地獄』

 改めて振り返ってみます。  突然ですが、私は今地獄にいます。もう、2年くらい経つでしょうか。  自分でも信じられないのですが、地獄は実在しています。実在、と書くと誤解を招きそうですが、死後の世界には実在していたという意味です。わかりづらくてすいません。  私は大罪を現世で犯してしまいました。殺人です。人間のやることではありません。  しかし私の罪は法に裁かれることから回避してしまいました。自慢かよ、と感じられたら本当に申し訳ないですが、こんなことを書くと反省していないと

有料
100

短編小説『尻尾』

 結婚して12年になる妻が家を出た。  原因は、どれだろう。仕事にかまけてあまりかまってやらなかったことか。子宝に恵まれなかったことか。6年目にバレてしまった浮気か。今日、初めて手を上げてしまったことか。  原因を探っていても答えがわかるわけではないし、家を出たのも今回が初めてではない。明日には帰ってくるだろう。前も、その前もそうだった。俺は明日に備えてベッドに潜った。  次の日、俺は目覚めると、尻尾が生えていた。

有料
100

短編小説『背景』

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

短編小説『言葉の樹』

 天国で、天使がせかせか働いている。背中の小さな羽根を細かくはためかせてすばしっこく飛び回る。  天使の仕事は、地球の生き物を数えたり、増やしたり減らしたりもするし、幸不幸の量もコントロールする。  天国には「言葉の樹」という大樹が生えている。その樹を観察するのも天使の仕事である。言葉の樹は、地球にある国ごとに生えていて、その国で交わされる言葉によって育ち方が異なる。  言葉の樹の最大の特徴は、葉が言葉になっていることだ。葉が文字になっていて、風に揺れているのだ。

有料
100

短編小説『おいしい』

 地球から遠い遠い宇宙のどこかに、地球に似た惑星があった。  その星の住人たちは地球人と見た目はほとんど同じだが、明らかにちがうところがあった。  味覚である。視覚や聴覚からも味を感じてしまうのだ。

有料
100

短編小説『その日は、今日だった』

「先生、息子は無事なんでしょうか?」 「……」  その医師は眉間にしわを寄せ、口を一文字に結んだ。その口に小さな穴が空いて、ふーっと息が漏れた。 「命に別状はないでしょう。ただ……」  再び口を閉じ、俯いて目を閉じた。顔の上半分が影になって表情はよく見えない。 「ご子息は、ゴリラです」

有料
100

短編小説『歌は祈り』

 バイバイと言ってから10分も経っていないのに、伊吹純はもう寂しい。  鼠色の雲が深く空を覆っている。純の頬に、チクチク刺さる北風がぶつかり、頭に被っていたフードを引き剥がした。  大晦日になるとさすがに遊んでくれる友達はほとんどおらず、無理矢理遊んでもらった友達も昼の3時で解散した。  帰り道は閑散としていた。普段から賑やかなわけではないが、人の気配がある。  たまに家の中から掃除機の音や子どもの声がする。純は、親戚の子どもでも来ているのだろうと推測した。  純は自宅

有料
100

短編小説『改めまして、初恋』

 わたしに孫ができたことにさえ、感慨深いものがあったけれど、孫と恋愛の話をするなんて想像もしませんでした。  社会人になった孫が、東京からわざわざ来ています。何歳になっても孫はかわいいもので、何歳であろうと、女性が2人集まれば恋愛の話が始まります。 「おばあちゃんきれいになった? もしかして、恋してるの?」  と、年寄りをからかう孫に恥じらいを覚えつつ、思い出している恋がありました。  わたしが初めて恋をしたときのことです。  といってもそれはまだ一昨日の話。

有料
100