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ひとりではできないから


2024年1月9日(火)朝の6:00になりました。

キミと出逢ってから僕は、自分が変わっていくコトが怖くない。

どうも、高倉大希です。




役割とは、読んで字の如く「役目を割り当てること」を意味します。

ひとりではできないからこそ、みんなで分担するわけです。


数ヶ月前に、山梨県のとある町が大きくニュースに取り上げられていました。

役場が町民に対して「7年後には財政破綻する恐れがある」と説明したのです。


それを受けて、町民からはこんな声が上がりました。

「今まで何をしていたんだ、謝罪はないのか」


一般的にお役所仕事は非効率的で、その原因は役人の怠慢にあると思われているが、そしてそのような場合も多いのだが、(中略)無限とも思えるほどの煩雑な規則によって非効率性を強制されている点も見逃すべきではない。そしてお役所仕事を非効率的にしているこれらの規則は、役人に対する国民の不信から生まれたものである。つまり国民は、役人を信頼しないことで巨大な無駄を生み出している。

山岸俊男(1998)「信頼の構造」東京大学出版会


こう言いたくなる気持ちも、わからなくはありません。

ただその一方で、この期に及んで何を言っているんだとも思います。


町とは本来、そこに住む全員でつくっていくものです。

ひとりがすべてを担うことはできないから、みんなで役割を分担します。


一部の役割が機能していなければ、みんなでサポートしなければなりません。

これが、チームで動くことの強みであったはずなのです。


今日の社会では、依然として「個」の思想が強すぎるのだ。決して全体主義に陥ることなく、わたしたち個々の人間が、個体としてだけではなく、同時に「種」としての時間を生きる認識が生まれるのにはどうすればいいのだろうか。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


ところがわたしたちは、機能しない役割を担っていた人を処刑台に送ります。

みんなでその人に石を投げて、満足してしまうのです。


目の前の現状は、何も変わりません。

それでも、自分は知ったこっちゃありません。


なぜなら、その役割を担っていた人が悪いからです。

「今まで何をしていたんだ、謝罪はないのか」


デューイは、学校の役割が「シティズンシップの形成」にあると述べている。シティズンシップの観念は、投票に行き、法の主体になるという政治的な内容だけではなく、身体的にも、知性的にも、社会的にも、道徳的にも「有機的な全体」として把握することを意味している。学校の責任は、子どもにもそのような「生活」を維持し、「社会の幸福」を発展させることにある。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


役場側に、一切の非がなかったとは思いません。

もっとはやくに動けることは、いくらでもあったのでしょう。


ただその一方で、とても勇気がいることだったのだろうなとも思います。

自分が担う役割が機能し切れていないことを、正直に伝えたわけです。


それにも関わらず、仲間たちは誰も手を差し伸べてはくれません。

こうして多くのものごとは、手遅れになってから明るみに出るわけです。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。