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遊びを忘れたぼくに生み出せるものは、なにもなかった。

ぼくが残念だなあ、と思うことでもっとも深くにあるものが「一緒に遊びたいのに、遊べない」という状態です。仕事のパートナーやクライアントさんと遊びたいけれど、難しい。友達ともうまく遊べないことがある。そんな「遊び」に関する難しさを、社会生活の中でいろいろと感じます。

今回は、年末なので抽象レベルでぼくが考えていること、それを現実にどう落とし込んでいくのかについて目論んでいることなどを書きたいなと思います。最近、エモい記事見てないな!という声がチラホラありますので、多少のエモを込めて(?)書きたいと思います。

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現代社会に埋め込まれている「経済システム」のおかげで、ぼくたちの暮らしは便利に、そして物質的に豊かになってきた。お金があれば一定の生活ができ、楽しく暮らしていくことができる。それは疑いようのない事実だと思う。

一方で、最近では高価なモノを個人で所有(私有)するよりも、意味のあるものごとをみんなで共有するような動きもさまざまな場所で見られる。ぼくも「武庫之のうえん(全然更新されてないけどめっちゃ活動している)」というコミュニティファームやシェアハウスなどの運営をしているし、事務所もある程度オープンにしていて、友達や知り合いであればいつでも遊びに来てもらって(使ってもらって)いいようにしている。仕事だって自社だけで完結させるのではなく、価値観や世界観を共有している外部のパートナーとともに進めていくことが多い。そうした中で「パーパス」という概念や言葉が最近注目されているのだろう(『パーパスモデル』にウチが関わる取り組みが載っている)。そのように、稼ぎ、購買し、所有(個人使用)するというここ数十年の基本的な前提が少しずつ変わってきているのは、自分の身の回りの暮らしや働き方を見ても明らかだ。

昨年末に学生時代の同級生と久しぶりに会った。以前は某企業で働いていたそうだが、離婚してから暮らしぶりが変わったらしい。彼と再会した頃はちょうど生活保護で暮らしはじめたときらしく、不安そうにその話を聞かせてくれた。一方でどこかの記事で読んだが、イーロン・マスクの個人資産は20兆円と言われているそうだ。

経済的な格差が前提、あるいは承認されている社会の中で、その格差による苦しみが大きなトリガーとなって、さまざまな病気や障害、犯罪や掠奪などが発生しているようにぼくには思われる。もちろん、学び(教育)や機会の格差も存在するし、大きな問題であるとは思うが、生活水準の格差・経済格差はさまざまな格差の中でもかなり重要なレイヤーの問題であるように思う。

経済的な格差は「自己責任論の帰結」だ。現行の経済システムのルール上でどれだけうまく立ち振る舞うことができたか。その競争と戦いの結果として経済的に豊かになることが許される。自分の、あるいは自分たちの会社の市場価値をいかに高めることができるか。その挑戦だ。それはやりがいのある世界かもしれない。なかった市場やニーズを生み出していくことはスリリングだ。もちろん、格差の結果はそのまま見逃して良い問題ではないので、所得の再分配や税の徴収(税制の調整、あるいは規制など)という国からの調整が入る。資本主義経済の論理として、持つ者はどんどん持ってもよいという前提になっているので、基本的にはこれでいいんだと思う。

いや、でも本当にそうなんだろうか。社会における分断(①搾取的傾向、②行き過ぎにも思える専門分化)と個人の内面的分断(①本音の抑圧、②生活上で関与するドメインの限定)。これら両者の分断的傾向は、お互いに影響しあいながらその幅を強めているのではないか、というのが自分の仮説だ。

たとえば、個人の内面が分断されていくと、うつなどの病気になる。本当はこう思っているのに、本当はこうしたいのに、それをしない/できない(本音の抑圧)状況が続くと人の精神は意外と容易に破壊されてしまう。それはよく職場や学校などで見られる(あるいは見られるようになってしまっている)光景であるが、仕事におけるストレスや人間関係におけるストレスだけではなく、社会から与えられる見えづらいプレッシャーによって個人が破壊されていく、ということもよく見られる光景であるようにぼくには思われる。

ぼくたちが暮らす社会全体がある種の搾取構造になっているのは、疑いようのない事実だろう。最近であれば「SHEIN(中国発ブランド)」が非常に過酷な労働環境・労働条件で同国の労働者を働かせていたことが問題になっているが、安く買って高く売るというのが商売の原理原則である以上(あれ?でも本当にそうなんだろうか?)、買い叩きというものは根本的にはなくならないと思う。それがいかにヒューマン・ライツを蹂躙することであったとしても、だ。もちろん一方で、サスティナビリティやトレーサビリティ、フェアトレードなどが世界的にも注目され、対等な商売・交易などが少しずつ見られるようになってきた。しかし、グローバルチェーンがすべての安価な労働力と資源を食い尽くすまでは(安い財を使い切るまでは)、その流れが止まることは絶対にないと思う。

そんな「社会の中に搾取が埋め込まれた状態(もちろん全部が全部そうではない。しかし安いものの背景にはなんらかの事情がある)」をぼくたちは、もうなんとなく、なんとなく暮らしの中で全部知ってしまっているのではないか、とぼくは思っている。「どうしてこの商品がこんなに安く買えるのか?」ということに関して、自分で明確な答えは与えないにしても、その背景をなんとなく知ってしまっている。ぼくたちは、人間が浴びてもよい量以上の「致死量の(暴力的な)情報」を毎日浴び続けている。

そうやって社会の至るところに、優位な状況の人が劣位な状況にある人のことを踏みにじったり、うまく使ったり、搾取したりする状況が蔓延っていて、ぼくたちはその構造からなかなか逃れることができないでいる。そして、その状況から逃れられないというそのこと自体が、ぼくたちの自尊心や人間であることの輝きを奪っていくんじゃないだろうか、と思う。

あるいは、構造的に搾取側になってしまうときもある。そのことも人間としての尊厳に傷をつけてしまう。いずれにせよ、逃げられない状況がそこにあるように感じられてしまう。

人を傷つけて喜ぶ人はぼくは本来的にはいないと思う。それは、限定的な状況やある環境で育った(あるいは生活している)人がそうなってしまう類のものであり、傷つけている裏側で別の感情が立ち上がっていることに気づかないでいるだけのものである。そうであるならば、ほとんどすべての人が誰かを搾取したり、傷つけたりすることを本当は心のどこかで傷に思っているのかもしれない。それは藤本の個人的な願いだろう、と言われればそれまでだが、ルドガー・ブレグマンの『Humankind 希望の歴史(まだ全然読んでないけど)』は、人間の性善説を論証しまくっている書籍としてぼくは注目しているし、読むといくばくかの希望を持つことができると思う。

どんなシステムを採択するか、どんな環境の中で生きていくのか、どんな存在として人間を見つめるのかによって、人間性の発動する部分が異なるだけだろうとぼくは思っている。たとえば人間をホモ・エコノミクス(経済的に合理的かつ利己的な判断をする存在)として措定するのであれば、どんどんそうなっていくだろうということだ。ホッブズの「万人の万人に対する闘争状態」は『Humankind』にも出てくるトピックだが、大学時代から「どんだけ人のことが嫌い(厭世的)なおっさんやねん」と思って見ていた。社会は人間が人間をどう見ているか、どう見たいか、そのためにどういうカルチャーやシステムを採択・育成するかにかかっている。そういう意味では常に「理想状態」がデザインされていると言ってもいいのかもしれない(時の政治家や王家や「インフルエンサー」にとっての理想状態かもしれないが)。

けれども、社会生活を営む上で、それほどに深い傷を日々感じていてはぼくたちは暮らしていくことができない。なぜ呼吸をするのか?呼吸はどうやってするのか?を毎日考えることはできないのと同じように。それほどに深い部分に傷が刻まれている。むしろ、その社会構造を否定することが、自分自身を否定するほどに同化していると言っても過言ではないかもしれない。

だからぼくたちは「傷なんて負っていないんだ」という振る舞いや言動をする。だってそれが自分の傷を守る、あるいは正当化する唯一の方法なのだから。しかし体や精神はまともで、感じていることは感じているし、そのダメージは勝手に蓄積していく。その蓄積したダメージがまた、さまざまな社会問題(身体で言うと病気や障害)のトリガーとなっている。それが現代日本社会において、社会問題が生まれてくるぼくなりの見立て(フロー)であり、社会における搾取的分断と個人における本音の抑圧的分断の帰結だ。

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貨幣価値に換算できる「働き」のみが、基本的には経済社会において評価される。新自由主義の元で、その発想やアイデンティティはより強化されていく。稼いだ者が勝ちという世界観は、結局そう思っているそれぞれの心の奥底に決して拭えない恐怖と動揺を自身で埋め込むことでもある。それは「自分自身も使いモノにならなくなったら終わりだ」という強烈かつシンプルなメッセージだ。

そうしたインビジブルなメッセージを抱えながら、どこかで恐怖を常に感じながら、他者からの蹴落としに怯みながら、それでもファイトポーズを取り続けなければならない。起業家とはそういった存在である、、、という「妄想」がぼくは大嫌いだ。

そのことは、起業家へのまなざしに限ったことではない。その価値観が圧倒的に人間存在を矮小化している。使えるか使えないかという機能的な側面にばかり目がいき、その存在の美しさや不可思議さは捨象される。いや、そもそも人間に意味も価値もへったくれもない。人間における生きる意味や価値などというものは、当人が生きるプロセスの中で、勝手に、自発的に、思い込みの中で獲得していく(ような気がする)だけのものだ。あれば豊かかもしれないが、なくても一向に構わない。そういった類のものである。それを外部の勝手な、そして部分的な評価の枠組みに押し当てないほうがいい。

なにが課題なのだろう。SDGsが「ブーム」になって、さまざまな社会問題に取り組むことが求められるようになっているが、本当の意味でドラスティックに社会を変えていくような動きとはまだそこまで出合えていない。当然、自分もやれていない。

生まれたときから圧倒的な差があるこの社会でなにを縁(よすが)にすればよいのか。借金をチャラにする徳政令の逆、つまり、貯蓄をゼロにする「逆徳政令」を社会構造に埋め込めばよいか。または減価していく貨幣が導入されるべきか(『モモ』の話、ゲゼルの話などは面白い)。

社会主義と全体主義、資本主義と民主主義。今は本当に後者の世の中だろうか。常にメディアや時代の「インフルエンサー」に踊らされていないか。資本主義の誤謬が露見しまくっているように思えるが、格差を生み出し続けるその論理は、しかし正当化され続けてもいる。搾取やヒューマン・ライツの冒涜の結果、自分たちの暮らし自体も揺らいでいる。自分も含めた「民主なるもの」は民主的であるだろうか。

エネルギーはどうか。社会システムは。医療と福祉の問題も大きい。来る災害に備えていく必要もある。

いや、そういったテーマを散々出して思うけれども、自分はなにひとつとして、自分たちの社会のことを知らないのではないか。関わっていないのではないか。どこかの誰かが、素晴らしいリーダーが、プロフェッショナルが、専門家が、スーパーマン/スーパーウーマンがよりよい社会にしてくれることを待っていないだろうか、と思う。

けれども、すべてのイシューに対して圧倒的な情報量を持ち、改善に向かわせることのできる人などいない。だから自分たちが、一人ひとりが立ち上がらなければならない。けれども、立ち上がるにはぼくたちは忙しすぎるかもしれない。自分の、自分たちの暮らしを維持するために日々働かなくてはいけない。これはいつの時代もそうだ。働かざる者食うべからず、だ。それは正しいかもしれない。しかし、格差が量産され続ける社会において、働けどまだ暮らしが豊かにならない、そういったことも生まれ続けている。そのこともぼくたちは知ってしまっている。それは個人の責任に帰すべき事由だろうか。働けなかったアイツが常に悪いのだろうか。社会側に改善の余地はなかったのだろうか。そして、アイツが働けないというその事実が、実は社会を変えていくことのできるレバレッジであるということにも、ぼくたちは気づいているのではないだろうか。

生活と仕事が分断している。仕事においても限定的な世界にだけコミットしているというドメイン的分断が起こっている。しかし、そうでなければ深い部分の調査や研究、実験は進まないという問題もある。けれど分野間の横断や統合はまだまだ進んでいない。そういった社会的な分断。それらの矛盾。二つ目の分断はこれだと思っている。

端的にまとめる。

①わたしがわたしであることを認め続けられる・実現し続けられる社会(構想・システム)をいかにつくるか。AとB(とC…)がいかしあえる状態をどのように保つことができるのか。
②細分化された社会の中でいかに多くの専門(分野)同士を接続し続けられるか。また、どのようにして生活者(素人)でも多様な分野にタッチできる機会を(仕事および暮らしの中で)増やし続けられるか。いかにしてその思考と実践を重ねられるか。

ということが自分なりの問いであり、チャレンジであると思っている。まだうまく言語化できていないとは思うが、とりあえずの現時点として置いておく。またみなさんとの対話や議論で発展させていきたい。


さて、はじめの「遊び」の話が全く回収できていない。

なぜ「遊び」の話を出したか。①や②の問いに対する実用的な接着剤として「遊び」が機能するんじゃないか、というのが自分の仮説だ。仕事(稼ぐこと)と生活(生きていくための身の回りのこと)と余暇(??)があるとすると、その余暇は、仕事と生活を接着させられる可能性を持つ。ケアや癒しの時間としての余暇も当然あるとは思うが、自分の生活や仕事を拡張する・深化させるための時間として余暇を使うこともできるように思う。

余暇を「遊び」に変換し、多様なつながりを自分の中に、あるいは地域社会にデザインすることが必要だ。もちろんここで言う「遊び」は、消費をして遊ぶことではない。創造的な「遊び」のことを言っている。いや、本来は仕事をこそ「遊び」的であったのではないか。創造の根源がそこにあったのではないか。それぞれの仕事は限りなくクリエイティであったのではないか。

たとえば、農園で野菜をつくってそれをみんなでシェアしてみたり、商店街の中で本屋さんごっこをしてみたり、商業施設の中ではじめてのおつかいやおにごっこをしてみたり、障害のある人とない人が一緒になって新喜劇をやってみたり。なんでもいい。やったことがないことを誰かと一緒にやってみることで、生活や仕事が拡張していく。深化していく。

そしてそれは、いつかつながっていく。だから、興味がある人は尼崎に来てほしい。生活や仕事を豊かにしていくいろんな機会が開かれている。それは学びであり、新しい価値観との出合いだ。

けれど、障害があって一緒に遊ぶことがままならない、お互いに気を遣い合うことが多い場面があるのも知っている。それに世の中には「(消費を際限なく喚起する)遊び」への誘導もまだまだ多い。ぼくはここに対してのオルタナティブを延々と提示し続けたい。新しい「遊び」の可能性は、新しい社会を創造していくために必須のものであると確信している。辺境から「遊び」を生み出していく。ローカルから「遊び」を生み出していく。それが今必要なクリエイティブと態度であると思う。

また(会社での)仕事の中に「遊び」の要素を持ち込むことで、よりパートナー的に顧客と関与できたり、スタッフがより楽しくその取り組みに関わることができたりする(自分ごとになりやすくなる)のではないかとも思う。お客さんと従業員を明確に分けるのではなく、遊びを通してつないでいくということもできると思っているし、試みてもいる。けれど、価値や成果、売上の観点から「遊び」を持ち込むことの難易度はまだまだ高い。また、会社としての意思決定やプロセスを超えて個人として関与すること、コミュニケートすることが難しいことも多い。ああ、本当はあなたとぼくがいるだけなのに、と思うことも正直多い。

大切なものごとを評価する軸をつくるのに、とても長い時間がかかるように思う。数えられる評価はとても容易だ。数字を知っていれば、誰でもわかる。けれど、数えられない評価は難しい。当然に判断が分かれてしまう。そして、その判断は「分かれてしまう」というそのことを理由に、捨象されやすいものに成り下がっていく。

本当はその評価しづらいものについて対話・議論していくということが社会としての成熟度なんじゃないか、とぼくには思われるが、なかなか数字の力に自分自身も抗うのが難しいと思うことがある(売上や事業規模、従業員数などでヒーッとなってしまう)。いかに価値を見ていくのか、というのは企業や大型の(あるいは体制が古い)組織との関わりの中で、常に自分として問いを持っているところだ。

そのように、暮らしの中に遊びを挿入することも、仕事の中に遊びを挿入することも割と難しい。そして、会社経営をする中で、自分自身もちょっとずつ「遊び」の感覚が失われていたように思う。

意義や目的、価値や成果、対価や利益、社会的承認とブランディング。そういった「限定的なこと」に視野が持っていかれて、本当にやりたいこと、やるべきことはなんだっけ?が見えなくなっているような気もしていた。経営者としてそこを考えないわけではない。めちゃくちゃ考えた上で、一旦手放してみる。自分自身がまず一番に遊んでみる。今年の反省はこれだ。ぼくたちはビジネス的な成功を収めたいんじゃない。そこから逃げるつもりはあまりない(でもまだそれが最適かもわかっていない)けれど、そことは違うものとして社会の中で存在していたい。

だから来年はいろいろな新しいプロジェクトや企みを採算度外視(もちろんまったく考えないことはないけれど)でやってみたい。ぼくとあなたからはじまるプロジェクトこそ尊い。そこに時間とお金をかける。ぼくとあなたの間にこそ、新しい世界や未来が広がっていくと信じている。そしてぼくとしては、そこにしかやりたいことやつくるべき未来はないと思っている。

一つ、いま書いている「物語」を貼っておきます。来年、これが確実に実現している未来に、ぼくとみなさんが生きていますように。

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ある日の一コマ。

「おつかれっすー」

夜。2階に住むシェアハウス住人が帰ってくる。でも、入った場所は1階のバーだ。このスペースでは、昼はカレー営業、夜はバー営業をしている。ちなみに、昼にオープンしているカレー屋さんはかなり変わっていて、日替わりでいろいろなカレーが楽しめるような仕掛けになっている。

帰ってきた彼は、バーの店主と思しき若い女性と談話する。

「最近は活動、どうですか?」

、、、最近の活動?ということは、この女性はバーの経営以外にもいろいろやっているのだろうか。話を聞いてみると、その女性は2ヶ月ほど前から尼崎に滞在しているようで、まちづくりやコミュニティづくり、地域活性や福祉などに関心があるようだ。3階のシェアハウスに無料で住む代わりに、週に1度はバーの店長ポジションをしているらしい。さながら日替わりママのようである。また「株式会社ここにある」というまちづくりや場づくりを行う会社で週に2日ほどインターンをしながら、尼崎のまちにどんどん関わりを深めていっている。

「どうも〜、やってる?」
「もちろんです!どうぞ〜」

次に入ってきたのは、一般のお客さんだろうか。

「なんかこれ、市場(いちば)でもらってきてん。よかったら使って〜」

と思ったが、一般のお客さんではなかった。客がお店で使う食材や材料を手渡す。なんだったら最初からいる別の客は片付けも手伝っている。

ここが普通のバーではないことにだんだんと気づいてきた。なんと表現するのがよいだろう。あの、ドラクエのルイーダの酒場のような。出会いと仲間が見つかる酒場。そして、そこから新しいチャレンジも生まれているような。

「こないだ言ってたイベント、うまくいきましたよー!いろいろチラシ配りとか手伝ってもらって、ありがとうございました!」

お客さん同士、いや、知り合い、仲間同士の語りのようなものが生まれている。

「こんばんは、、!入っても大丈夫ですか、、?」

今度のお客さんはどんな人だろうか。

「ちょっとインスタを見て面白そうだな〜と思って。初めて来たんですけど」

この人は正真正銘のはじめてのお客さんのようだ。けれど、店に来たというよりかは、仕組みや場の雰囲気などに惹かれて来てくれたのだろう。すぐに先にいたお客さんたちと馴染んでいく。

「どこからですか〜?」
「岡山からです」
「え〜!そうなんか。結構いろんなところから人が来るからなあ。ここのお姉さんは熊本から来てるみたいやで」

バーで働いているお姉さんは熊本から来ているらしい。なんともいろんな人がいろんな形で集っている。最初に帰ってきた彼も楽しそうにしている。

「そろそろぼく、2階行きますね〜」

彼が言う。

「お!ほなちょっと何人か手伝ったってーな。今来たお兄さんもちょっと」
「あ、はい」
「車いすの介助したことあるか?」
「いや、全然ないです」
「ほなちょっとそこ持って」

最初に帰ってきた彼は、車いすで生活をしている人だった。もちろんヘルパーさんの介助もあるのだけど、随時それがあるわけではない。ヘルパーさんがいない時間は、バーで働いている人、そこに来ているお客さんなどが彼の生活に関わる。ここは、そんないろいろな人が集い、なんとなく助け合い、なんとなく良い距離感で暮らしている、そんな場所だ。

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ぼくには、鈴東という友人がいる。障害があってもなくても楽しめるフェス「ミーツ・ザ・福祉」を通して出会い、もう5年くらいになるだろうか。彼はぼくが出会った頃から車いすで生活していた。聞いたことのなかったSMA(脊髄性筋萎縮症)という病気なんだ、ということを教えてくれた。

彼と出会って、けれどだからといって別に障害や病気のことについて調べたり学んだりしたことはない。でも、普通に友達として接する中で、いろいろな「届かなさ」や「どうしようもなさ」を感じることも多かった。

ほとんど選ぶことのできない仕事、一人暮らしをすることのハードルの高さ、どんどん食べられなくなっていく食事、かなり前もって予定しないと行けないイベントや飲み会。その度に「届かなさ」や「どうしようもなさ」を彼はずっと感じてきたのだろうと思うし、それを間近で体験することが何度もあって、ぼくも彼の身体や気持ちに少し同期したのだと思う。

小さなプロジェクトをともにつくっては進めたり、ときには終わったり。思いだけが募ってなにも起こらないこともあった。ぼくも不甲斐ない気持ちになった。

けれど、そろそろようやく、自分にもそのタイミングがきたのかなと思うようになった。尼崎で、自分の人生や今後の生き方を考えた時に、スペースをしっかり構えるということは一つの選択肢であるように思えたし、それがない中で「まちづくり」を継続していくことの薄ら寒さというか、そういったものも感じるようになってきた。

もっと根差すことができないか。そして、自分の、自分たちにとっての最高の場所を、集いの空間をつくることができないか、そう思うようになった。

鈴東と一緒に、このプロジェクトを進めていきたい。彼がいないとやりたいと思えなかったし、彼に駆動されてぼくはこれをやりたいと思っています。

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来年も、みんなで一緒に遊ぼう。今年もありがとうございました。また、よろしくお願いします。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。更新の頻度は不定期ですが、フォローなどいただけると大変うれしいです。