ゆっぺ

どこかで生きているあなたへ。 これからも出会うことがないだろうあなたへ。 ありふれた人…

ゆっぺ

どこかで生きているあなたへ。 これからも出会うことがないだろうあなたへ。 ありふれた人間の日常を言葉に乗せて。

最近の記事

散歩。

 地元の夜を1人で歩くのは片手で足りるほどの回数しかない。  雨。  エドシーランと歩き始める。  地元の夜の静けさに発見はあった。  幼稚園の頃嗅いだ、ジャスミンのような香り。  当たり前に流れていた井戸水は諸行無常を教えてくれる。  祖母が手伝ったと言っていた旅館の埃のような香り。  雨の降り始めのペトリコールと降り続けている最中の香りは全く違うということ。地元の雨の匂いは、外から家に帰ってきた人の香りがした。思わず地元を歩く自らに「おかえり」と呟く。  香りの話しか

    • 今日のこと。

      今日の夕方のことです。 私はテレビを眺めていました。 そこに映っていたのは、学生時代に過ごした地域。街歩きのロケが行われていました。 その懐かしい風景に心奪われていました。 いや、風景なのか思い出なのか、未練なのかは分かりません。 とにかく、その地に行きたい。あの頃に戻りたい。みんなに会いたい、、。そんな想いが押し寄せてきたのです。 今に比べたら、学生ということもあり自由だったし、何でもできるという自信もあったはずです。それなのに、今を俯瞰すると何もできずにもがいている

      • 学生の頃の自分。

         部屋の片付けをした。  何の変哲もないただの日常。  講義のレジュメを主に捨てた。  今は大学4年生。座学はほぼない。国家試験の対策講座を控えるくらいだ。  青春なんて、高校生くらいのものかと思っていたが、大学4年の今レジュメを見ながら、皆んなで机を並べていた頃をふと思い出す。  充分な青春じゃないか。何が青春したいだ。  そんな当たり前のことに感謝せずに過ごしてきたなんて…。  ここで考えた。  当たり前の日々は刻一刻と過ぎ去っていく。  そんな中で、その日々に感謝を

        • 東京と自分。

           この日は職場の見学の為に東京へ来ていた。  田舎から出てきた自分は東京の街並みと人の多さに圧倒された。  時間のあった僕は上野の街を1周する。  人の目が気になる。  自分を見ている人はいないとは分かっていても、人の多さ故に視線があると勘違いしてしまう。  夜は当たり前のように星が見えない。  月が寂しそうに見えた。この街を歩く自分のように1人ぼっちだった。  月から見たらこの街は無数に輝く星に見えるかもしれない。 ホームレスやライブ配信をする人、イチャつくカップル、、、

          学生の頃の自分。

           老衰ならともかく、その他の死を経験するっていうことは、最後に苦しみが待ってるってことだよね。消えたいけど苦しいのかな。  それなら、今めちゃくちゃ頑張って生きよう!とか自分はそう簡単にはなれないな。  僕だって早く立ち上がりたいよ。でも、なんて言うんだろ、この心にまとわりついた足枷が重すぎてさ。少し休みたい。これまでも休んできただろって言われてもいいよ。もうどうでもいい。  あー、明日が来る。本当は来てほしくないけど。残酷だね。  今日は眠いし寝ようかな。  おやすみ。

          学生の頃の自分。

          学生の頃の自分。

           「〇〇はどこの大学を出て、□□に就職して、立派な生活をしているんだよ。」  だからなんだ。  それを遠回しに自分に強要しようとしないで。  誰かがそうなら自分もそうしなければいけないの?もしそうなら、自分は誰を模倣して生きているの?誰かの足跡をたどって、誰かのコピペの人生で、楽しい?  まあそれを問うたところで、何の解決にもならない。自分には自分の人生がある。生きることですらやっとの事なのに。横からチャチャいれるな。  消えてなくなりたい時だってあるよ。そんな時はこう

          学生の頃の自分。

          学生の頃の自分。

           YouTubeでは最近、なーすけさんときんにくんに助けられた。  最近、心が痛み、体作りに精が出ないことが続いた。そんな自分に「自分を責めずに、自分のペースでやっていこう」とあたたかい声をかけてくれた。周りから見たら、そんな生ぬるい考えとかもっとストイックになれよ、とか思われるかもしれないけど、今の自分にはそのやり方が合っていると思った。  さらにはそう言った人たちの考え方は自分に合わなければ排除していいとも思った。  この考え方は、何事にも応用できる。  しかし、大学と

          学生の頃の自分。

          学生の頃の自分。

           何か娯楽を探そう。  読書。作者や本の主人公はみんな成功していて、まあ小説の中では時に失敗していることもあるけど、彼らのストーリーの終わりは見えている。  でも僕たちは違う。ルポルタージュとして取り扱ってしてしまえば、生活の一部分を切り取ったものになるのかもしれないが、人生は長い。小説のようにそう簡単にはいかない。なかなか終わらない。終われない。  何か物事を長期的に努力したことのない、もとい、できないと思い込んでいる僕にとって、人生を無事走り終えることができるのか。い

          学生の頃の自分。

          学生の頃の自分。

           小説の中の主人公にさえ嫉妬してしまう。  10ページ目で悲劇が起きても、190ページには喜劇に変わり、ハッピーエンドで幕を閉じる作品もある。  自分もそんなようにハッピーエンドの物語になれば・・・なんて考えることがある。  さらには、彼らのストーリーにはページ数という名の終わりが見える。良くも悪くも、どちらに転んでも終わりが来る。それも読み手からしたらたかが半日くらいのこと。  今の自分は10ページ目のどん底。いつになったら190ページまで読み進められるのだろう。  誰

          学生の頃の自分。

          あなたへ。

          いつかの花火を想って、手紙を綴ります。 発電機と揚げ物の香りが充満する路地を横目に、人混みを縫って歩く。「あゝ夏だな」と心の中で呟いた。 仕事終わり、近くで祭りがあるということで1人歩いていた。目的は花火。 道を歩きながら打ち上げの時刻まで時間を潰す。 今年の初花火は手前にある木々に遮られた。 まあ僕らしいと言えば僕らしい幕開け。 そんな僕を横目に夜空に花が咲いていく。 この花火はいったいどんな表情で僕たちを見ているんだろうか。 考えてもどうしようもないことを反芻

          あなたへ。

          幸せの瞬間。

           今日は春の陽気というのにふさわしい1日となった。  仕事終わり。太陽が首を傾げる頃、心地よい風を車内で浴びながら帰路を辿る。 スピーカーから流れる音楽が心地いい。  僕の家は山の横に位置している。自然の音なんかが四六時中聞こえてくるような場所だ。  家に着き、窓を開ける。風圧が作用して部屋の中に風が土足で入ってくる。不思議と迷惑ではなかった。それは頬を撫でながら通り過ぎていった。  ソファに腰掛け、スマホを手に取る。  ふと、外から聞こえてくる声に耳が傾いた。  

          幸せの瞬間。

          今日の気付き。

           職場に職業体験の中学生がくる予定だったが、いまだ続くコロナウイルスの影響により来ることができなくなった。  その代わりに、職場の方に質問シートが送られ、それに回答する形で職業体験を終わりとするらしい。  質問の内容は、「仕事のやりがい」や「どうしてこの職業を選んだのか」などよく聞かれるものが続いた。そんな中、「進学や就職に関するアドバイスをください」といった項目があった。  小さい頃から「将来の夢は?」とか「こういう道を進んだ方がいい」といった人生の指標などを大人たちに話

          今日の気付き。

          学生の頃の自分。

          『本当に消えてなくなりたい』  そんな時に腹が減っている自分に腹が立つ、というような言い回しの言葉を耳にしたことがある。表現の類のものだと思っていたが実際にその場面に直面すると、本当に腹が立つことが分かった。  お腹が空くと満たそうと体が反応する。  それに対して、心がこんなに空っぽになると、満たされようとするのではなく消えてしまいたいのはなぜ?満たしたいと思えないのはなぜ?  昼頃に目が覚め、読書をして、絵を描いて、少しの買い物に行き、YouTubeを観る。そして1日

          学生の頃の自分。

          親友へ。

          いつかの冬の出来事。 今日は季節外れの小春日和。 外はすっかり春の匂いだ。 夜のこの匂いで、どこか寂しい気持ちになるのは僕だけだろうか。 人肌恋しい季節とは決別するはずなのに。 何がこんなにも哀愁をもたらすのだろう。 現状に対するやるせなさか、はたまた過去への羨望か、、。真実は分からない。 過去への羨望と言えば、昨日親友に 「適応障害になりながらも、挫けず前の仕事を続けていたら、また今よりも良い、違う生活ができたのかな」 と口にしてしまった。 僕は以前、親友とは遠く離

          親友へ。

          あなたへ。

          改札を抜けて君はまた帰ってしまうー。 空元気を振り絞り、君に手を振り返す。 君の後ろ姿を眺める僕の背中はどれだけ小さく見えるのだろう。 「またね。」とか「すぐ会えるよ。」とか、言葉にはするけど、本当の言葉じゃない。 次の会う場所を決める時間や待ち合わせというイベントが楽しい、というカップルもいるらしい。 それはそれですごい楽しいとは思うけど、それ以上に「またね。」が苦しいと感じてしまう。そんな言葉を使わなくてもいいように、君と一緒にいられたらなと思った。 ある日、会

          あなたへ。