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美しすぎる幸福学の問い

しゅんしゅしゅんです。

テクノロジーの進化は幸福学にも影響を与えているらしい。

これまでの幸福学は「幸せなのか誰か。金持ちか。貧乏人か。若者か。老人か」と問いかけてきた。対象者を分類し、調査を1、2回行い、あるグループはその他のグループよりも、平均して幸福なのかどうかを判断しようとする程度だった。

ところが、現在は無数の人がスマートフォンを持ち歩いている。その一瞬ごとに何をしているか、どう感じているかというデータを、膨大な数の人々から収集できるようになった。

つまり、瞬間の幸福度を測ることで、どんな状態の人が幸せなのかではなく、どんな瞬間の行動が幸福に繋がるのかが明らかになるのだ。

ハーバード・ビジネス・レビューの「幸福学」の中に、そのようなことが書かれていた。まさにこのnoteに書いたようなこと。


この進化による現在の幸福学の「新たな問い」が美しいなと思ったのでここに紹介。

Q:このような研究により、私たちはもっと幸福になれるのでしょうか?

A:私たちは幸福を最大化させる方法を学んでおり、今後も続けていきます。したがって、答えはイエスです。幸福度を高めるうえで研究は役に立っており、今後もそうであることは間違いありません。

しかし、大きな疑問が残っています。それは、どのような種類の幸福を私たちは望むべきか、ということです。たとえば、幸福な瞬間の平均値をできるだけ高めたいのか。それとも幸福な瞬間の合計値をできるだけ高めたいのか。これら二つは別物です。痛みや苦悩なしに暮らしたいのか。それとも、そのような経験に価値があるのか

科学はまもなく、私たちが望み通りの人生を送る方法を教えられるようになるでしょう。しかし、どのような種類の人生を送ることを望むべきかについては、けっして教えてくれません。それを決めるのは、私たちです

かっこよすぎる。

個人的には、幸福の合計値を高めたいわけではない。幸福な瞬間の平均値を高めたいわけでもない。一つひとつの幸福度はそこまで高くなくてもいいので、幸福を感じる頻度を高めたい=小さなことでも幸福に捉えたい。そんな人生を送りたい。心がふらふらさまようことを避けたい。ベース幸福な平常心を保つ。そんな人に、僕はなりたい。

だから痛みや苦悩なしに暮らしたいわけではない。そのようなことはどうしたってあるだろうし、起こるのだと思う。その経験を前向きに捉え、平常心に力強く回復していく。そんな過程の中にでも小さな幸福を見つける。そんな人に、僕はなりたい。

みなさんは、どのような種類の人生を送ることを望みますか?

では。


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