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例え話にも性差は出るのか

昔から文字を読み始めると、ものすごく集中してしまう傾向があります。

つい先日、会議前にロの字に設置された机についてパソコンでニュースの記事を読んでいたのですが、配線の関係で何度か机を動かされたものの、まったく動じずに記事を読み続けていたところを同僚に指摘されて思い出しました。

その時も話したのですが、小さな頃から本を貪るように読んでおり、日頃は意識していると大丈夫なのですが集中し出すといわゆるガチャ目になりがちで、母親からは「また片目で読んでいる」とよく注意をされていたのを覚えています。

斜視の状態で読んでいる時に自分の中でどのようになっているのかというと、嘘のような本当の話ですが、イメージとしては使用していない目の裏側に読んでいる内容が映像化されているといった感じでしょうか。

ですから、私にとっては絵本を卒業して絵がなくなった後も、文字だけの記事でも小説でも漫画同様に絵のついた娯楽の対象の読み物としてこれまで楽しんでくることができました。

そんな話をしていると、先程の同僚にまた別の指摘を受けました。

「そういえば、例え話が女性目線の場合が多いよね。」

こちらについては、これまでに全く受けたことのない指摘で、言われて初めて気がついたというか振り返ってみる機会となりました。

話している本人からすると何も意識はしていなかったのですが、聞いている側からすると不思議に感じることがあったようです。

自分でも覚えていたのが、確かに直前に話したくだらない例え話は女性目線でした。

その同僚の部署の企画した集合研修後の会食であったため、当然私に声がかかることはなかったのですが、参加メンバーにかつての部下たちが多くいたため、二次会で合流したいと複数の方からお声がけをいただいておりました。

声をかけてもらったのはとても嬉しいのですが、皆が正式な会食にて楽しく一次会をしている時間、私は別のことをして過ごさなければならず(仕事をしていればいいだけの話なのですが)、いきつけの飲み屋のカウンターにてひとりで飲んでいた時の心境をその後合流した時に話しました。

例えてみれば、正妻ではないのでお通夜や告別式には呼ばれずに、お式が終わった後に「せめてお顔だけでも」と手を合わせに式場に肩身の狭い思いをしながら寄らさせていただく二号さんみたいだと。

先ほどの読書に集中している時の話と同様に、相手に伝えたいことがあった場合、そのニュアンスを含んだ映像がまず脳裏に思い浮かび、あとはそのイメージをただ言語化しているというだけなので、実はこの時に性別がどうこうという意識は何もないのですよね。

ただ、何となく思うのは、この30年近くを女性8割の環境の中で働いてきましたから、相手に伝わるように話すよう心がけてきた結果、まずは引かれないようなイメージを受け渡すことを最優先してきたため、自然と女性寄りになったのかなという感じはします。

今も昔も性差を意識したことはありませんが、自分の中にあるイメージを向き合う相手にそっくりそのまま受け渡すには、やはり例え話は少しでもクスッと笑えるような想像しやすい要素を含んでいた方が伝わりやすいですし、聞かされる相手も不快な思いをすることは少ないですよね。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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