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「孤独は前提」ということば。

日々を過ごす中で、何とも表現しがたい気持ちになることがある。

寂しい
むなしい
退屈
不安

がみんな合わさってぼんやりしたような。

それは、一人で過ごす時間がどうしても長くなる一人暮らしや、
あまり忙しくなくて時間に余裕がある時に感じやすくなる気がする。

でも、実家で家族と過ごしていても、

集団の中にいても、

変わらず感じることのある感情だと思う。

自分のことを想ってくれる家族や友達がいると分かっていても、

まだまだ読みたい本や観たい映画があると思っていても、

時間が間延びして感じられるような、ふとした瞬間に
その感情は訪れる。


私はある日、こんな文章と出会った。

かつて、谷川俊太郎さんは、
「谷川さん、孤独なんですか?」と訊かれて、
「だって、孤独は前提でしょ」と言いましたっけ。

糸井重里「ふたつめのボールのようなことば。」p.118

うわあ、と思った。

素敵なことばを知った、知ってしまったと直観した。


もし、私がふとした瞬間に感じる寂しいような感情が、
人間が元々持つ孤独によるものだとするなら。

全く思い悩む必要はない。

だって、谷川さんが言う通り、
「孤独は前提」
なのだから。

人は、どんなに愛する人といても、
どんなに相手と心が通じたと感じても、

ずっとひとりだと思う。

でもそれは、全然悲しいことなどではない。

ひとりだからこそ、
ひとりがまた別のひとりが出会って、

共にいることができる。

自分の感じる喜びや苦しみを、
たとえどんなに他の人に共感してほしいと願ったとしても、

完全に共感してもらうことは不可能だ。

なぜなら、私たちはそれぞれひとりの別個の存在だから。

だからこそ、
私は私でいられるし、
あなたはあなたでいられる。

完全な共感はできないからこそ、
想像する力を使って、
相手に寄り添おうとすることができる。

それは、とても大きな希望だと思う。

これからも、私は変わらず寂しいような感情を覚えるだろう。

けれど、それは生きている証であり、
私が私である証だと思おう。

「孤独は前提」なのだから。

お読みいただき、ありがとうございます。