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何度でも読み返したいnote1

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
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記事一覧

あんぱんは、欠けて、満ちて

久しぶりにあんぱんを食べた。 それも横綱級のあんぱんだ。 まず仕事が終わって、職場近くの美味しくて安いパン屋さんに行こうと思っていたのだけど、風がとても強く吹いていたのと、空に広がった灰色の雲が今にも雨を降らせそうだったので、それをやめて、地元のパン屋さんに行くことにした。 地元のパン屋さんは、最寄駅を降りたらすぐ何軒かあって、たまたまふらりと入ったそのパン屋さんは、あんぱんがとても有名なお店で、けれど10時と15時しか焼いていなくて、しかも30食限定で、すぐ売り切れる

ぺれぴち特選おつまみレシピ

僕はお酒が飲めませんが、ノンアル飲料で晩酌をしていると以前記事にしました。 晩酌にはおつまみがつきものです。 でも毎回お刺身などを買ってきていては大変です。破産してしまいます。 もちろんお菓子や、さきイカなどの珍味を買ってくる事もありますが、雰囲気を出すために作りたいところです。 でもノンアル晩酌のために台所に何十分も籠っておつまみを作るのも何か違います。 そんなわけで、いつも作っている安くて10分以内に作れるおつまみを紹介してみます。 ちなみに以前から言っていますが、

朝の3分クイックルワイパーと畳まない洗濯、そしてお気に入りのある暮らし。

ツバキ文具店を読んだとき、鳩子さんは凄いと思った。朝から掃除をして、お茶を沸かして、そんな風に一日を始めるなんて。ギリギリまでベッドの上でうねうねもぞもぞしている私とは大違いだ。 きっと鳩子さんは、朝から深く息を吐いて、大きく息を吸って、その日その日の温度や湿度を感じながら朝を過ごしている人なんだろう。そして少なくとも私のような低血圧ではないのだろう。そんな一日の始め方、私にはきっと出来ない。そう思っていた。 自分に自信をつける為にはまず、毎朝ベッドメイキングをしましょう

人間は空の上でコンソメスープを飲める日が来るんだよって、1000年前の人に言ったらなんて返ってくるんだろう

飛行機の機内で飲むコンソメスープが、他のどのコンソメスープよりも好きだ。 初めて飲んだ時まだ私は小さかった。飛行機爆酔いの果てにCAさんに勧めていただくまま飲んで、染み渡るような優しい暖かさと少し強めの塩分でみるみる元気になったのがきっかけだったと思う。以来コンソメスープというものをとても好きになった。 なんならスーパーでJALのコンソメスープを買って家で飲んでたこともあった。が、やはり身動きの取りづらい機内で紙コップからいただくあのコンソメスープがことのほか美味しく感じ

座る場所ひとつ考えてしまう人が好きなのです

質問です。 カウンターに7つ、椅子が並んでいます。 スタバとかドトールとかによくある席です。7人座れる電車の座席でもいいです。 先客が2名。1番と7番(緑色になっている部分)に人が座っているとします。 自分が3人目として2~6のどこかに座る場合、何番に座りますか。1も7も赤の他人です。 ここで4番の席に座る人、いると思うのです。 1番の人からも7番の人からも距離を開けて、真ん中に座る人です。 ちょっと意味が分かりません。僕が1番か7番に座っていて、3人目が4番に座ったら(

ヒーローの目にも涙

子供の頃についた嘘を 大人になってもまだ訂正出来ずにいる 当時流行っていた戦隊物のベルトをつけて 妹にこう言ったことがあった 「実は兄ちゃんはヒーローなんだ!」って 強くもないし勇気だってない 空も飛べないしバイクにさえ乗れないのに まだ幼かった妹はその言葉を信じ込んで 目を輝かせながら予想以上に食いつくもんだから それが嘘だと言おうとしても 「みんなには内緒だよね!わかってるから!」 と打ち明ける前に言葉を遮って 本当のことを告げぬられぬまま今に至る ヒーローら

拝啓 竹内 〜2007年5月1日にインドのアグラからバラナシの夜行列車に乗っていた22歳の竹内へ〜

拝啓 竹内。 突然だが、竹内に長い長い手紙を書くことにした。 13年分の思いだからいつか読んでほしい、竹内。 竹内との出会いは今から13年前の2007年4月30日から5月1日に日付が変わったくらいの深夜。 インドのアグラからバラナシに向かう夜行列車が3〜4時間遅れていて、お互いに待ちくたびれていた時に、 アグラカント駅のホームで出会ったと思う。 インドをしばらく放浪していた私の元に、 妹がGWに休みを取って日本から合流しタージマハルを見た日の夜だからそれは確かだ。 心細そう

確か60デニールくらいの左足だった

一定数の人々の気分から波は消えないみたいだ。 彼らのバイオリズムからくる理不尽なあれこれというものは、それなりに起こる。 波を被って、ここ3週間ほどふまじめだった。 どんな風にかというと、12時まで起きていて本を開いちゃうとか、久しぶりにテレビを観たとか。いつもよりちょこっと遅く家を出たとか。 ところが置かれた状況は変わらなかった。 そして驚くことに、わたしのやってることも、全く変わっていなかった。家での過ごし方をマイナーチェンジしようとも、職場に行けば至って通常運転だっ

お客さんが自然にバイト化する定食屋

ぼくは定食屋が好きだ。中でも、個人で経営してて、孤独のグルメに出てきそうなところが好き。 使い古された中華鍋で、年季が入ったお皿に、変わらない味の料理を盛る店がいい。なんなら、店主はおじいちゃんかおばあちゃんがいい。 そこに行けば、長い年月が自分を受け止めてくれるような店がいい。 そんなぼくにとって、忘れられない定食屋がある。 🚶‍♂️ 「よさくくんがさ、絶対好きな定食屋教えてあげる」 ハンドルを握りながら、嬉々として先輩は言った。 ぼくは先輩の車でテニスコート

たまごに愛された男

誰もいないキッチンから、「ぱさっ」という音がした。 あぁ、またか。 想像したくないけど、きっとアレに違いない。 渋々、音のしたほうへと歩いていくと、悪い予感は当たっていた。 ふきん掛け(吸盤式)の落下。 ゆうべ洗ったばかりのふきんが、シンクで水を吸ってへたっていた。 落ちたふきん掛けとふきんを手に取り、なんか言ってやりたい気持ちになる。 ものにも心があるならば、言霊的にはけっして言ってはならない言葉だが、もろくもブチ切れた私の堪忍袋は収まりがつかず、捨て台詞のようなク

好々爺しげさんの独り言は         かるくて深くてせつない

この世を去った後に その人の存在が さらに 大きくなるということがある。 しげさんが亡くなったのはコロナ禍真っ只中の春だった。 葬儀はひっそりと行われ、家族だけに見送られて旅立った。 あれから1年半。しげさんの言葉は生き続けている。いや、その言葉の重みは増しているのだ。 しげさんの生前の生活は平凡だった。穏やかな日々。でも、だからこそ心豊かに生きるヒントがいっぱい。 ちょっと覗いてみましょうか。 第1章 縁側でにゅうめんを      すするしげさん しげさんの好物は

祖母のきんぴらを追いかけて

突然だが、私の母方の祖母が作るきんぴらごぼうは美味い。 祖父に先立たれ独り身となって10年以上。御年90を過ぎた祖母である。 私の実家のある北海道の田舎町で、古い一軒家を引き払って高齢者住宅へ入居し、長年使い慣れたガスレンジからIHクッキングヒーターへの変化にも軽やかに適応して、祖母は得意の料理を作り続けている。 毎年暮れが押し迫ると、仕事で忙しい娘(私の母や叔母たち)のために、正月料理をたくさん作って届けてくれる。 どれもとても美味しいのだが、特にきんぴらごぼうが絶品なのだ

大企業で部長だった人が定年後、ホテルの清掃係になっていた

少し前の話になる。私は会社の先輩と駅のホームで電車を待っていた。 「あれ?Ⅰさん。」 「おぉ、久しぶりやね。元気?」 先輩が声をかけたのは、数年前までお世話になっていた方だった。 スーツ姿のIさんしか知らない私には、ポロシャツにリュックサックを背負ったIさんがとても新鮮に映った。 私はソフトウェア開発の会社に勤めているのだが、自社業務というのはほとんどない。大手企業で”派遣”という形で仕事をしている。 その、派遣先の会社で部長という役職だったⅠさん。物腰が柔らかい方で

見知らぬあなたに、卒業おめでとうを、伝えたい。

きのう、同じハッシュタグをつけている 記事のひとつと、とても印象的に出逢った。 タイトルがわたしになじみのある学科の名前 だったので、なんとなくタップしてみた。 この3月21日に卒業された大学4年生の方。 無事に卒業証書(学位)を受け取って来たことが 綴られていた。 よくよく読んでいると、それはわたしの母校だった。 4年通ったあの大学だ。 いや、実を言うと4年よりも少ない。 半年ぐらい心の病で、休学していた。 ちょうど二年生の春か夏頃だったかも しれな