陽子

自然豊かな農村で生まれ隣町の酪農家に嫁ぎ38年。様々な体験活動を提供させていただき、6…

陽子

自然豊かな農村で生まれ隣町の酪農家に嫁ぎ38年。様々な体験活動を提供させていただき、6次化も果たし中。 第三の人生を、放牧場の中腹に建てたカフェを舞台に始めたばかり。

最近の記事

みんなで農業

 農業に携わって 平均50年以上の女性たちから湧き出る溢れる想いは このまま 何処へも共有されないまま消滅させてはいけないでしょう。悶々とするこの何処へ向けたら解決するのか 分からないこの問題は かなり大事な ほんとに大事な問題なのだ。  人間の身体は、その人が食べた物から出来ている。それは、当たり前の事だけども 実感されにくい事。どうしたら実感できて 人々の行動を変えることが出来るでしょうか。  病気になれば 薬を飲用して 体調を戻す。身体に薬を取り入れた事で 治していくの

    • 60歳は60歳なりに 

       人生100年時代 私は60歳。  ずいぶんと世の中は変わりましたよね。 私たちが生きてきた60年間だけ見ても 時代の変わり様は誰にとっても 凄まじいですよね。言うまでもない。  昔は良かったとかいう話ではなくて、ここではこの流れの中で 私たちはどう生きるかって話をしたいんです。といっても 固い話では全然無くて。  若い人たちの若い人たちなりの生き方があると思うのと同じで、私たち60歳も 私たちなりの生き方をしていこう。60歳なりの生き方をして行けば良いんだ。ってふと気がつい

      • 友達くらいは 気軽に立ち寄れる牧場作りの始まり

         キツい 汚い 臭いの3K職業と呼ばれた酪農業 蓋を開けてみれば、加えて  危険 そして、臭いからこっちに来るな! の 5Kだった!  バブルの全盛期で 友達はみんなきらびやかな世界を満喫していた その時代に 私は小学校の教師になれきれない講師勤務を続けていた。そして夫と知り合い結婚した。  教員生活にピリオドを打って 見知らぬ世界に飛び込んでしまった。そこは毎日牛舎に通う酪農家の世界だった。おそらく飼養していた乳牛は70頭弱くらいだったと記憶している。  昔ながらの繋ぎ牛

        • 奇跡を読み解く

           50代のうちに黄綬褒章を受章したこの奇跡   これは 本当に有り難い事。  ただがむしゃらに 目の前のことをひとつひとつ 毎日毎日 こなしてきた訳ですが、その道は山あり谷あり。    谷あり谷あり  自分にとっては 当たり前の事だと思って 普通の事と思って 酪農家を過ごしてきたけれど やはり 違うらしい。  何が 他の人と違ったのか 客観的に見てみると ひとつは、  牧場のフィールドに生き 日々否応無しに五感をフルに使ってきた事で、五感が研ぎ澄まされ ついに第六

        みんなで農業

          五感の宝庫 牧場をご案内します

          冬は空気が澄んで 星たちは私の為だけに光ってるみたいに 牧場の朝空をひとりじめして なんてロマンチックな事が頭に浮かぶのは、一瞬だけ。 牧場の朝は忙しい。 毎朝8時に 集乳車と呼ばれるタンクローリーはやって来てくれて 搾りたての生乳を運んで行く。だからその時間までに、全ての生乳を搾り終えていないと困るのだ。80頭のお母さん牛たちは順番にミルキングパーラーまでやって来てくれて、私たちは搾乳機をセットして一頭一頭 健康状態を見ながら丁寧に生乳をいただく。8時までに!  この

          五感の宝庫 牧場をご案内します

          五感を怠けさせないで 生きてみて

           繋がった  針の穴に一本の糸が すっと通るように 今まで閊えていたものが 抜けていったよう  分かった 奇跡の起きた訳 この大地に住んで 風に教わって 動物たちに生かされて 感性が研ぎ澄まされ 母性は私利私欲に走る事はなく ただ社会に必要だと信じて進んできた やはり 必要なんだ。 グリーンツーリズムと一言で言えば そうなんだうとも 言える。誰しも田舎に住める訳では無いから せめて 休日には グリーンツーリズムしてみて。 そこで感じられる心の旅は、 脳を活性化し

          五感を怠けさせないで 生きてみて

          親指の長さと型 左右違う ただそれだけの話

          25年ぶりかで、あたらしい包丁に変えた。 ずっと包丁一本で料理してきたの。わたしの手に馴染んでびっくりするほど思いのままに動いてくれる包丁で、大好きなわりにはたまにしか研がないから、そこまでキレは良くないんだけど でも自由自在に動いてくれる そうね、相棒だね。 25年ぶりかで、あたらしい包丁を買った。 別に嫌いになったわけじゃないよ。わたしはずっとピーラーとかも使わないし、桂剥きも魚のさばきも全部あなたでやってきたよね。それで料理のうでが爆上がりしたんだよね。 そうだ

          親指の長さと型 左右違う ただそれだけの話

          素敵な60代を過ごすために

          がむしゃらに頑張ってきた時代は過ぎた。人は好きなことを見つけたり、夢を持って邁進したら、道が開けると言いますね。それはそうなんですが、やっぱり自分こそがオーラを持つ事って大事ですよね。 身の回りにオーラを持った人はいますか? 今までになら、オーラを感じた事あると思うのですが。 60を過ぎてもなお オーラを持てる人でいたいよね。 シワが増えてもシミが増えても 内側から出るオーラを出せる人に。 そのためには、   キラキラした人と一緒の時間を過ごす事 自分だけのキラキラした

          素敵な60代を過ごすために

          やり切って 次へ

           世の中 問題は山積みですが やり切った感満載で 次へ進みます。  13年前に 娘が開いた牧場内カフェは、彼女の門出とケジメを付け 昨年閉店しました。  その後の心の揺れに やはりカフェの必要性を否定出来なく リスタートを決めました。  場所を変え 未だ水道も電気も引いていない山林を 自ら削り 小さな小さなカフェを建て運営にチャレンジです。  ようやく建築確認が取れたので これから始まっていきます。  果たして どんなメッセージを込めたカフェになるでしょうか!  牧

          やり切って 次へ

          子ロバに引きずられた話

           生後3ヶ月のメス子ロバと6ヶ月のオス子ロバを飼い始めた事があって、その子らは仲良くすくすくと育ち夫婦になった。可愛い子ロバにも会わせてくれて 最後の一頭が老衰で亡くなるまで 15年くらいロバとの生活を楽しんだ。  それは出会って間もないある日の事。慣れるまではと、2頭は牛舎の片隅に繋がれていた。小さいながらもその鳴く声は何とも言えない独特な鳴き声だ。 大きく息を吸い込んで思いっきり叫ぶ。 「ひーっほっほっほー!!」 隣近所とは100メートルは離れていたけれど、それでもかなり

          子ロバに引きずられた話

          ただの酪農家では収まらなかった私

           酪農業の発展のために取り組んで来た事 というテーマで 講演依頼されているので 少し考えをまとめていきます。  そもそも酪農についてはど素人で嫁に来た私にとって 全く 酪農業界の発展の為に やってきた訳では無いけれど 結果 そういう事になってきたという事です。微力ではありますが。  だって これが大きな力だったら 今 この業界の危機をもっと前に なんとか出来ていたかも知れないもの。ほんとに微力だ。  そんな点を前提に 私が 私の中の何かに動かされてやってきた事を 整理して

          ただの酪農家では収まらなかった私

          やってみせ やらせてみせて またやってみせ by ケケ(母三毛猫)

           三毛猫母さん名前はケケ 感心するケケの子育て  牧場猫ケケファミリーは、基本的に外暮らし。牛舎や納屋の至るところを知り尽くして 何処が快適かも知っている。  お産が近づくと暖かく安全な藁小屋に潜んで 赤ちゃんを産み落とす。大抵は4匹とか5匹とか生まれてくる。みんな父親が違ったりして 子猫の毛色は違った子が生まれて来る事もしばしば。最初は赤子の丸裸で もちろん目も開かない。ミャーミャーと小さな声で母を探す子猫たち。  ケケ母さんは慣れたもので1匹1匹確かめるように綺麗に舐め

          やってみせ やらせてみせて またやってみせ by ケケ(母三毛猫)

          愛猫Mに起こった奇跡😺

           それはまだM君が 先住猫に受け入れてもらえなかった頃の話  先住猫はみんなファミリーで しっかり上下関係も出来ていて 1番年上の母猫ケケの規律に従って平和が保たれていた。その子たちは牧場猫。  一方、子猫Mは拾われっ子。本当の母猫のおっぱいも知らないでしょうし、もちろん父猫なんての存在も考えた事も無いでしょう。  人間に命を救われ 気がついたらスポイトから出てくるミルクに縋り付いていたね。もしかしたら人間にこそ 母親と離されたのかもしれないのだけれど。  縁あってうちに来た

          愛猫Mに起こった奇跡😺

          今日は何も書く気になれないところに 猫がやってきた

           月の初めとあって 神社にお参りしてきました。残っていた仕事を片付けて 今日も一筆と座ったところ。  なんだ今日は、何も浮かばない。  そうそう 猫の話にでもしようか。 今また、牧場への迷い猫が3匹になった。1匹は狸みたいな顔したオス猫で、なかなか慣れないし先住猫たちに怒られながら 顔色を伺いながら 出たり入ったりしてる 名前をタヌタヌと仮に付けられて久しくて もう誰が見てもタヌタヌにしか見えなくなった。2匹目は細い体して白とグレーの混じった美人猫。たぶんメス。首にピンクの

          今日は何も書く気になれないところに 猫がやってきた

          牛屋への嫁入り 昔の話

           結婚披露宴に来てもらった限られた友人以外には、私の牛屋への嫁入りは あえて言わなかったし 知られないまま 此処での生活は始まって これまでの世界とは全く遮断されたような区画の中で 生き始めた感じ。  お隣さんや組うちの方々とは それは外で会えば立ち話はするし お嫁さん良くやってるねーって褒められる事はあったけど。全く今までの生活スタイルと違って チャイムが鳴らないから 永遠に仕事が続くわけ。  学校に勤めていた時は、チャイムがなって生活リズムが決まっていたけど 酪農家は違う

          牛屋への嫁入り 昔の話

          孫を抱ける幸せ 過去と現在 転機はゆっくりやってくる

           可愛い孫が今4人 孫は目に入れても痛くないと言うけれど このことわざは 本当に真をついてるな  ただただ可愛いとは💕   3kとも4kとも言われた酪農業 汚くて危険で臭くてキツい職業の家に、私が嫁いだその時代は、バブルの全盛期で こともあろうに牛屋に嫁で入るなんて事実に私の友人らの驚きは計り知れないし、自分でも信じられない。  でもそれは事実で 4時間もの時間を使い盛大な結婚披露宴を挙げた翌る日から 朝5時半起きの生活が始まった。  今は可愛い孫にも会えて 自由に何

          孫を抱ける幸せ 過去と現在 転機はゆっくりやってくる