橋本士郎

1973年4月熊本県人吉市生まれ。心理カウンセラー(公認心理師・元臨床心理士)をやりな…

橋本士郎

1973年4月熊本県人吉市生まれ。心理カウンセラー(公認心理師・元臨床心理士)をやりながら、大学院の博士課程にも在籍しています(修士・教育学・東京大学)。実家では猫を32匹飼っていたことがあります。趣味といえばガンプラで部屋にはプラモデルが溢れています。

最近の記事

Blogの懐かしい感覚

noteは、数年前に登録だけはしていて、まったく使っていなかったのだが、Blog、Twitter、YouTubeなどで知ってもらった方々がいない場所で、ネット活動を再開してみようと思って、再開(?!)してみた。 感想は、Blogを始めた頃の感覚はこんな感じだったなぁと。 閲覧者はほぼゼロで、日々画面打ちしているようなこの感覚。でも、何だか言いたいことが言えて、書き終わったらスッキリするみたいな。 私はBlogは約20年、記事は10000記事を超える記事を書いてきたので、

    • アカデミック・ハラスメントの実態

      通称、アカハラと呼ばれるものにも何件か遭遇してきた。 あれもパワハラ同様に、果たして「した」方に非があるのかというと、どうもそんな感じがしないケースがほぼ100%のような気がしている。 要するにパワハラ同様に、「された」方に能力的な問題や社会常識が欠けているため、「した」方は、「注意」をしただけか、あまりに繰り返されるので、ついつい堪忍袋の尾が切れて、怒鳴ってしまった、無視してしまった、みたいなのが実態のようだ。 ただ、これを「した」方が言うと、いかにも言い訳染みている

      • DSM=劣等コンプレックス事典

        今は亡き、野田俊作先生がDSMは劣等コンプレックス事典であるみたいなことを言っていて「なるほどな」と思ったことがある。 アドラー心理学的には「症状」には目的がある。 その目的はライフタスク(仕事、交友、愛)に取り組むことを回避するために、症状を作り出すことで取り組めない理由づくりをすることである。 ■ 「仕事しなさい!」。仕事に行きたくてもいけません。なぜなら足が動かないからです。 ■ 「なら家で仕事しなさい!」。家で仕事したいけど仕事ができません。なぜなら目がみえな

        • 昭和の日(らしい)

          今日は、昭和の日らしい。 私にとっては天皇誕生日である。 その後、みどりの日になり、今に至るらしい。 考えてみると、令和生まれの子たちが物心ついたときには、昭和生まれの我々は、我々が明治生まれの老人たちを「明治か〜」と感じたように感じることになるのだろう。 確かに年齢的にはそのころには爺になっているし、辻褄が合う(笑)。 こちらでも刻一刻と死が近づいている感が出てきた。 あ、話題は昭和の日であった。 何が言いたかったかというと、私が物心ついたときの天皇は昭和天皇

        Blogの懐かしい感覚

          意識高い系の生活、食事と運動

          意識高い系の人たちの生活は、食事に気をつけ、運動(筋トレ含む)もしてと、日々の向上心のみならず、意識高い生活を送っているようである。 私は意識低い系なので、食事は食べたいものを食べ、運動はしないという自堕落な生活を送っている(笑)。 まあ、これで早死一直線かどうかは、これまた生きてみないとわからない(と思いたい)。 しかし、努力もまた才能だとすると、食事や運動に気をつけた生活ができることも才能なのではないか。 意識低い系の自堕落ぶりで苦しんで死ぬことになるかもしれない

          意識高い系の生活、食事と運動

          学会参加の準備

          ネット上では、9月に開かれる日本心理学会の第88回大会に参加するための動きがチラホラ散見するようになった。 私は参加申込みをしたのとホテルの予約をしたくらいで、まだ交通手段の予約はしていない。 私は2018年の学校メンタルヘルス学会で発表したのを最後に学会発表はしていない。しかも、参加もしていない(笑)。 9月の学会も参加するだけで発表の予定はない。 もともと2018年で学会は引退する予定だったのだが、出身地である熊本で心理学の最大手の学会が開かれるということで、一度

          学会参加の準備

          「好きなこと」があるだけでも運はある

          好きなことを見つけなさい、とはよく聞く言説である。 しかし、そんなの見つからないよ、という人が多そうではある。 そもそも論として、好きなこととは、どうも仕事上のことのようである。 好きを仕事にすれば、努力が苦にならなくなるし、幸せになるということなのだろう。 興味深い現象としては、別に好きでもなかった仕事が、やっている内に好きになっていくという現象だ。 大半の人は、仕事をやっている内にポジティブ・フィードバックがかかって、ある程度は好きになるのではないか。 ただ、

          「好きなこと」があるだけでも運はある

          大学院での楽しみ

          私の場合、大学院での楽しみは、論文の構造が少しずつ解って来ることである。 論文とは、始めは読めども読めずというか、読んでいてもいざ書くとなると、アイデア云々以前に、型が解らないので、書くことができない。 でも、その型を解っている人から色々習うと、少しずつ解ってくる。 私はそれが一番楽しいと思っているし、それが大学院に行く意義だと思っている。要は、論文の赤ペン先生(たとえが古いかもだが)という感じだろうか。 ちなみに苦しみとしては 1.アイデアはあるが書き方が解らない

          大学院での楽しみ

          死ぬ間際まで催眠がかかっている保証はない

          よく死ぬまで人生が成功だったのか失敗だったのかは判らないという話がある。 これは確かに言えてはいて、一時点の盛衰では計り知れないところがある。 成功した者は世間的に価値のあるものを手にしたことで、幸福である可能性も高いことだろう。 しかし、いかんせん、世間的に価値があるものなので、その価値を保証しているのは、通貨と同じで、ある種の幻想、(集団)催眠である。 となると、それが死の間際に解けてしまう可能性が実はゼロではない。 また、逆に失敗した者でも、ギリギリで何やら自

          死ぬ間際まで催眠がかかっている保証はない

          修士2年時の共同研究体験から得たもの

          某大学の大学院に居た時、修士2年になると共同研究なるものに(半ば強制的に)参加したことがある。 研究室的には共同研究で業績を稼がせる目的があり、別に悪意で参加させたわけでもないことは充分解っている。 そもそも修論進んでいないのに興味のない研究に参加したり、社会人院生なのに、講義時間外に時間を取られることになり「そんなの聞いてないよ」状態で、善意は解るものの、実に迷惑だったのをよく覚えている(笑)。 後にも先にも共同研究なるものを体験し垣間見たのはそのときだけなのだが、い

          修士2年時の共同研究体験から得たもの

          写真と動画、実物に近いのはどっちか

          写真詐欺ではないが、写真と本人が別人に見えることがある。 これはどうなのだろうか。 もちろん、本人が一番気に入っている写真をプロフィール等に載せているので、本人的には、別に盛っているつもりもないのだとは思う。 個人的には、写真と動画であれば、動画の方が実物に近い感じがするので、動画出演が可能なのであれば、動画の方がミスマッチは避けられるかも。 とは言え、お見合い写真レベルでない限り、ミスマッチしても良いのだとは思うのだが(笑)。 ちなみに、時々、プロに撮ってもらった

          写真と動画、実物に近いのはどっちか

          休日は受験勉強か研究かを24年

          考えてみれば、大学を卒業してこの方、休みの日と言えば、浪人時代は受験勉強、院生時代は研究をやっていた。 別段、苦痛ではないので、24年間、それを続けてきたが、考えてみると特異な感じかもしれない。 とはいえ、そんなにハードにやっていないので、長く続けられているのかなと(笑)。

          休日は受験勉強か研究かを24年

          自分の領域を相対化できるかどうか

          生物、心理、社会モデルというのがある(この順番だったっけ?!)。 それに合わせて、医師、公認心理師、精神保健福祉士(最近名前変わったらしいが失念)が、それぞれの領域に存在している。 そして、それぞれが、自分の領域が一番大事と思っていることだろう。 ただ、もっと話を広げると、そもそも自分の職や役職が一番だと思ったり、誇りに思ったりもしていることだろう。 しかし、他の職から見れば、どうでも良い存在になる。 もちろん、そうやって自分の領域を相対化してしまうと、誇りや自信は

          自分の領域を相対化できるかどうか

          「変えたこと」は新しく生まれた人にとっては当たり前に

          SNSの仕様変更や、古い店がなくなり新しい建物が建ったりすると、必ずと言って良いほど「前のほうが良かった」という意見が出てくる。 もちろん、そんな人もいずれ慣れてしまい大人しくなってしまうのだが、仮に大人しくならないとしても、新しく生まれて、それを体験する人は、それが当たり前なので、特に意見も出てこないだろう。 古い世代的には寂しい感じもするが、改良・改善の過程である可能性は高いので、こちらが慣れていくしかない。

          「変えたこと」は新しく生まれた人にとっては当たり前に

          自らが老害になるのを食い止める方法

          猫も杓子も発信する時代である。 そのような中、我々の世代や、それよりちょっと上の世代の昔語り、自己陶酔発信も目に入ってくる。 まあ、ある程度出世してしまうと、周りはイエスマンだらけになっているので、もう止められないのだろう。また、おそらくであるが、認知症も若干進行している者もいるかもしれない。 となると、自らが老害になっていると自ら気づくのは至難の業だろう。そこで定年退職というのがあるではないか。なかなか良いシステムだ。 一方、不思議に思うのが、最初に定年退職を受け入

          自らが老害になるのを食い止める方法

          日本人初のアドラー心理学研究による博士号誕生(?!)

          加藤慧さんが「異質な他者とのコミュニケーションにおいて⽣じる情動的困難さに対処するためのアドラー勇気理論 ―グローバル化社会における英語教育に着⽬して―」という博士論文を書き上げたようだ。 加藤さんとは、東京アドラー心理学研究会で一度ご一緒したことがある。私と同じ年に博士課程に入学しており、お互いに査読付き論文0だったこともあり「お互い頑張りましょう」と言い合った記憶がある。 よくよく見てみると、北米アドラー心理学会(だったっけ?!)の学術雑誌にも査読付き論文を書いていら

          日本人初のアドラー心理学研究による博士号誕生(?!)