存在承認

自己肯定感を高める承認活動【存在承認】

自己肯定感を高めてあげるって大切ですよね!

では、今回は自己肯定感を高めるための承認活動について書いていきます!

目次
1.存在承認ってなに!?
2.存在承認を実践しよう
3.存在承認のまとめ

1.存在承認ってなに!?

存在承認とは存在を認めてあげることです!
つまり、「ここに居ていいんだよ。」
「ここに居てくれてありがとう。」
と感じさせてあげることです。

小学生や中学生の時にクラスで

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CAの夜会巻き

なぜ大半のCAの髪型はお団子や夜会巻きなのか?

一番の理由は私たちが「飲食物を扱うから」です。

異物(髪の毛)が入った飲食物は口にしたくないし、髪を触った手で飲食物を扱われるのも不快に思われるからです。

目の前にお客様がいらっしゃるのに寝癖が気になって接客に集中できないなんて本末転倒。

だからジェルやスプレーで髪の毛の落ちにくい・触らなくていい髪型を作るのです。

(ハゲ

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無意識さんが欲しいものは?

昨日は、講座の後一人反省会。

いつも行くお店じゃなくて、
久しぶりに系列店へ行ってみた。

いつも話す店員さんが、不在・・・

キッチンの店員さんが料理をサーブしてくれるとき、
 いつも話す店員さんが今日はおやすみなこと
 いつも行くお店の現状
を、教えてくれた。

なんかね、じんわり。。。
覚えててくれてるんだなあ。

今までになく予想通りじゃなかったんだけど(苦笑)
思いがけないギフトをいた

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結果承認、変化承認、存在承認。3つの承認を織り交ぜる凄さ。

承認について考える。

いろいろな承認があるけど、やっぱり、

「君のような人がいるだけで。」

存在承認、本当に本当に嬉しい。

そして、実はこの言葉の前に、結果承認と変化承認もさりげなく添えられている。

その言葉の奥深さを見て、結果承認・変化承認・存在承認を織り交ぜることにより、なんとも言えない自己重要感に包まれる。

3つの承認って、単独で伝えるより、三次元的に奥行きを持たせて伝えることで

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自分が苦手だと思っている人にほど、ちゃんと承認をしよう♪

あかん、、、

苦手だと思っている人に、承認の割合が少なくなっている。

承認は大事だと、人にも伝えているし、自分でも大事だということは、理解しているつもり、、、なのに、できていない。

ついつい、承認を忘れ、確認事項などに行ってしまう。

「あれ、どうなりました?」

となってしまう。

もちろん、毎回承認はいらないけど、イメージ的に承認の絶対数が足りていない?閾値に達していない?、そんな感じ。

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人が欲望する対象は、誰でもが欲望できる対象である。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔23〕

人は、誰もが持ちうる欲望、他人の欲望でもありうる欲望を、「自分自身の欲望として」欲望する。それが他人にとっての欲望の対象でもありうるから、それは誰においても欲望の対象でありうるのであり、つまりそれは「自分自身においても欲望の対象である」ことができるものとして、その対象に対する欲望が、他者に、そしてまた一般的に、「欲望として承認されうる欲望」となる。
 『欲望』とは、まず「欲望というもの」があって、

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人は、自分自身のアイデンティティより他人のアイデンティティに関心を持つ。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔21〕

アイデンティティとは、人の社会的関係の、それぞれの側面において、その人の立場を説明するものとして、言い換えると、その人を「意味するもの」として表れるものであると言える。それはまた、その人の社会的な関係の、それぞれの側面によって、「それぞれ違う意味として表れるもの」なのだとも言っていい。
 『私』は、たとえば会社にいるときは「スズキ課長としてのアイデンティティ」を持っており、それに応じて『私』は、そ

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アイデンティティは、その人の立場の承認であり、その立場にあるその人自身の承認となる。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔20〕

人が「社会的に行為する」ということは、「他の人と社会的に関係する」ということである。言い換えると、社会的に関係する対象への、つまり「他の人」への働きかけが、人が社会的に関係する=行為することそのものなのだ、ということになる。
 そして、『アイデンティティ』とは、社会的に関係する対象、つまり「他の人」に対して、人がそのように関係するところの自分の「立場」を説明するものとして機能するのだ、と言える。そ

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私を他人がどう評価しているのかを知るには、私を他人として評価することで可能となる。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔19〕

「他の人たちが私のことをどのように見ているか?」を気にかけるというのは、その他の人たちの間=世間において「私がどれだけ価値のある者として受け入れられているのか?」を気にかけているということでもある。そのような世間の『価値』に基づいて、「私が、他の人たちにとって価値のある者として承認されている」ということが証拠づけられば、それが「私の幸福」であると感じられるし、その幸福が「私にとって価値のあるもの」

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私の自我は、私の意識の対象であるがゆえに私の所有の対象となりうる。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔18〕

一般に『自我』とは「私自身が形成するもの」だと考えられているとすれば、そのように「私自身が形成した、私の自我」とは、「他の者が形成した、他の者の自我と、同様に自我である」ということにおいて、「誰にでも形成しうる、一般的な自我である」と言えるが、しかし「私自身が形成した自我として、その自我を、私自身が持つ」ことにおいて、その「私自身が所有する自我が、すなわち私自身の自我である」ということになる。
 

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