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ミニマリストを目指すようになって変わったお金の使い方

ミニマリストになりたい理由は、スーツケースひとつで世界のどこにでも行けるようにしたいから

私はミニマリストになりたい。

いずれ来たる海外移住のタイミングで、CDと本以外は、スーツケースひとつで世界のどこにでも行けるようにしたい。

それが私の理想であり、そのためにたくさんのものを捨ててきた。

ミニマリストになると、お金の使い方に気を配るようになる

そして、ミニマリストになると、部屋が片付いているから、新しいものを買う機会が減る。

既に持っているものを大事にしようと思う気持ちが増える。

たとえば、既に財布が3個あるから、それが古くなるまで新しいものは買わないようにしようと決めている。

そのお金があればニューエクスプレスという語学を学ぶための私が好きな書籍が1冊買えると考えると、財布ではなくニューエクスプレスにお金を回そう、となる。

そしてそのニューエクスプレスも、できることならいますぐに全巻欲しいのだが、いま持っているお金でもっと必要なもの(たとえば、プリンター)を買おうと考えるようになる。

ミニマリストはお金を量ではなく対価で見る

3000円が目の前にあるとする。

それは普通のひとにとっては、3000円というのはたとえばアルバイトを3時間して手に入るお金だとする。

ただ、私のようなミニマリストやミニマリスト見習いは、そこから「対価」を想像する。

たとえば、3000円あれば私の行きつけの居酒屋で1人前食べられる。

そういったときに、「ああ、3000円もするからやめよう」とか、「3000円なら安いから行こう」とか、ふつうのひとはそういったことを考えるだろう。

1万円のハードディスクと500円の牡蠣小屋。ミニマリストならどっちを選ぶだろうか

ミニマリストは、そのお金に価値があれば、たとえ1万円でも払う。しかし、価値がなければ、たとえ500円でも払わない。

たとえば、データが突然吹っ飛んだら困るから、どうしても必要だからハードディスクを買おう。それも、使い慣れた高品質のメーカーから買おうと思うと、安物では妥協できない。なら買おう。

Instagramやnoteの投稿をバックアップしておくのは、やはりハードディスクが必要になるし、そこに仕事のファイルや大学で使うレポートの課題も入れないといけないし、過去にした旅行の写真も入れたいし、留学先で撮った写真も入れたい。

お友達に地元の牡蠣小屋に誘われた。そこは500円で牡蠣が食べられるらしい。ただ、私はそのお友達と性格がかなり違うし、一緒にいたところであまり楽しくないし、つまりそのお友達とあまり仲良くなりたいと思わないし、なにより生牡蠣のほうが焼き牡蠣より好きだし、その店は美味しくないと聞くからやめておこう。

そういったように、「1万円だからやめておこう」とか、「500円ならいいか」といった基準でものを選ぶのではなく、その1万円あるいは500円を払った場合にどうそれが自分の利益になるかで考える。

自宅に3万円で買えるプリンターがあれば、いちいちコンビニで1枚10円払ってコピーしなくてすむ。その時間があればDuolingoでチェコ語のレッスンが結構な量できる。じゃあプリンターを買おう。

それでも、たとえ大量に印刷するとしても、トナーを揃えてプリンターを買って使うのはまあまあ面倒だ。それならコンビニで印刷しよう。

牡蠣小屋に行ったとしても、結局美味しくない可能性が高いし、屋外で暑い中あるいは寒い中食べるのは不衛生だろうし、私は屋台の類が一切嫌いだから、やめておこう。

あの子は思ったよりも優しい子だったし、もっと話してみたい。それなら牡蠣小屋ではなくて、近所の居酒屋に誘ってみようか。

そういった理性的な判断ができるようになり、お金に使われるのではなく意識的にお金を使えるようになる。

1000円で1時間ぶんの幸せを買えるとしたら?

たとえば、目の前に1000円あったとする。

その1000円があれば、近所の喫茶店で1時間幸せな時間を過ごせる。

そしてその1000円をどんどん貯めていって、貯金が1万円になったら、あなたの銀行口座には10時間分の幸せが貯金されていることになる。

もしあなたが今日死んでしまうとして、銀行口座に1万円を残したままだったら、あなたは10時間分の幸せを失ったまま死ぬことになる。

貯金をすることで失うもの

貯金は人生が苦境に陥ったときでも支えになる。それは紛れもない事実だ。

ただ、それを必要なときに使えないで、ひたすら預金残高の数字を増やすためのゲームと化しているのだとしたら、それは30年前の古服と同じで、ただクローゼットで30年あなたがその服を着るのを待っていて、いつも暗いところであなたが着るのを待っているだけの、不用品になる。

もちろん、お金を無駄に使えというのではない。

ある億万長者は、他人が狂喜乱舞するのを見たくて、お金の雨を降らせたことがある。

ただ、それは誰の役にも立たない単なる無駄遣いでしかなく、それからまもなく彼は破産した。

当然のことだ。

貯金は、あなたの預金通帳の数字を増やすだけのゲームではない

お金は限られた資源だ。

たとえば、20代の時に貧しい時代を過ごした苦学生が、貯金が100万円あってもそれを使わず将来に備えていたとする。

彼は一生懸命勉強して、年間100万円を貯金できる職に就いた。

そうしたら、彼が苦学生のときに持っていた100万円の価値と、彼が社会人になってからの価値は大きく違う。

たとえば、学生のうちに海外旅行をしておけばよかった。

いまは時間がなくてとてもできない。

しかも、これから彼の収入は増えて、そのうち1年で200万円貯金できるようになるかもしれない。

そうすると、100万円は半年分の労働の価値しかない。

それなら、学生のうちに、たとえば良い成績をとったときには、1000円ぶん居酒屋で食べるという贅沢だってできたはずだ。

あるいは、気になっている子をデートに誘って、たとえば喫茶店で1000円ぶん飲み食いして、貧しいながらも楽しい時間を過ごすことだってできたはずだ。

彼はひたすら預金通帳の数字を増やすだけのゲームをしていて、必要なときにお金を使えなかった。

そうだとしたら、彼はよほど苦しい状況にならない限り、お金を使うことなく、大量の預金を残して死んでいくことになるだろう。

その預金があれば人生は良い方向に変わったかもしれないのに。

悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段なら止めておけ

「悩む理由がお金なら買いなさい。買う理由がお金なら辞めなさい」

「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段なら止めておけ」

「迷う理由が値段なら買え、買う理由が金額ならやめとけ」

いろいろな言い方があるが、これほど素晴らしいアドバイスはないと思う。

そしてこの言葉は、ミニマリストの精神を表していると思う。

ミニマリストのゴールは、ものを減らすことではない

ミニマリストのゴールは、ものを減らすことではない。

ただなんでも捨てれば良いというのでもない。

ものを減らすことは、あくまでも手段であり、目的ではない。

ものを減らした先に、たとえば私なら海外移住を容易にしたいという目的がある。

ミニマリストになる目的

あるいは、探し物に時間をかけたくないといったことでも良いし、家を綺麗にしてお友達を呼べるようにしたいというのでも良い。あるいは、旦那と離婚したから旦那のいる生活ではなく新しい生活をはじめたいというのでも良い。

目的は、ただただものを捨てることではなく、あるいは我慢してなにも買わないのではなく、そのオンとオフ、メリハリを自分軸でつくるということだ。

海外移住を間近に控えているひとの自分軸

たとえば、海外移住を間近に控えているひとなら、「海外に持っていけないものは買わない」という基準がある。

逆に、日本でしか買えなくて海外では見つからないもの、たとえば炊飯器やマヨネーズや太田胃散といったものには、スーツケースの限られたスペースを割かないといけない。

その「スーツケースに入らないものは買わない」という基準と、「日本でしか買えないものをスーツケースに入れる」という基準は、自分で決めて選んだものだ。

だから、太田胃散は買うし、バファリンは買わない。

いくらバファリンが半額セールになっていても、タキピリーナ(tachipirinaというイタリアによくある頭痛薬)で代用が効くからだ。

たとえ太田胃散が地元の薬局でセールになっていなくても、必要になるし、海外では手に入らないから買う。

そういった理性的な決断ができると、海外移住がより良いものになる。

お金は意識して使うものであり、惰性で使うものではない

たとえば、毎日スターバックスに行って、400円払ってコーヒーを買うことをルーティンにしているひとがいるとする。

そのひとにとってコーヒーがなんでも良くてただのルーティンになっているだけなら、業務スーパーで1リットル80円のコーヒーを買って家で詰めてくればいい。

スターバックスで朝仕事をしたいといったような理由がない限り、それは単なる惰性での行動でしかない。

たとえば、なんとなく払い続けているサブスクだって惰性だ。

たとえば、音楽をあまり聴かないのに、Spotifyの料金を払い続けているなら、そのお金でCDを買うことだってできる。

そういった惰性での行動を辞めると、ほんとうにお金が自分の手の中にあるという感覚が生まれる。

お金は意識的に使うものであり、なんとなく払い続けていたり、なんとなくそのルーティンをしていたりというのは、ミニマリストではない。

必要ならするべきだし、必要ないならしないべき

たったこれだけにミニマリストの精神は縮約されるといっても過言ではない。

それがほんとうに必要なら、それがあなたに安らぎや楽しさや幸せを贈ってくれるなら、1万円払っても惜しくない。

それが不要なら、あるいは惰性やルーティンなら、たとえ500円でももったいない。

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