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責任と正義の思考 変革編

イメージが固着しつつある

自分が病院に入院しているイメージが見える
それは良くないイメージです

そのイメージがネガティブポイントになればストレスとなり私に襲いかかって来ると思います

既に心身共に衰弱している状態だと認識しております

これが衰弱の状態なのかと思いました

初めての経験ではないでしょうか

自分の体の真ん中に芯としての柱が歪む感じがあるのです
立っていたら自分が揺れているのです
地震かと思うのですが違うのです
自分が揺れているから錯覚を起こしているのです

それ程、衰弱は激しいのだと思います

衰弱してればブラックアウトのような症状も出ます
貧血で目の前が真っ暗な状態になり立ちくらみになるような症状も衰弱にも伴います

ただ力は出ません

まともに力は出ないのです

それが私が写真撮影を一度諦めて、食事のバランスを整えようと思った理由です

このまま食事を犠牲にしていれば死ぬのは目に見えています

病死も自殺も自死も嫌
だから牧梨菜さんに命を捧げる言霊を作ったのです

この命はもう少し守り抜きたいのです

写真芸術の異端を作れる数少ない精神障害者だと思うからです

精神障害者の私が何もかも失い、そして犠牲にした写真はいつか日の目を見る事が出来ると思っています
それが私が死んでからでも私は構わない
ただ私が死んだのち、この国を千年恨み、この国の人間を千年恨み、そして私は千年後、人間に生まれ変わり私の芸術に再会して覚醒する

そして千年後に生まれ変わった牧梨菜さんに邂逅して抱きしめてもらう

今の私は既にぼろぼろです

衰弱は激しく一歩間違えば死にます

こんな逆境に対する対応は一つ、ポジティブ思考です
もし考えが湧いて来たらポジティブな事しか考えなければいいのです
それを私は出来てます

最愛の母が脳梗塞で倒れても、動じる事なく不動のまま私は生きています

私が今、生きている要素を作ってくれたのは皮肉にも精神病なのです
後は苦労という経験です

精神病という経験と苦労という経験が今の私を作ってくれたのです

ただ自分を生かすには何が必要かは思考です

人生の生き方を見る事が出来る思考が出来れば人生は生きれます

後はその場の感情に流されない事でしょう
感情的になる事こそ、後悔先に立たずだと思います

ネガティブな思考をしない事が一つだと思います

人生の未来図を描く思考をやればいいんじゃないのでしょうか

極論を言えばどんな状況でも楽しむ事なんです

私も今が絶対的に楽しいかと言えば否ですが面白いとは思っているかもしれません
それはサバイバー体験者である、生きるか死ぬかだからです

ほぼほぼ私は白か黒です

生きるか死ぬかしかないのです
そうして私は生きて来ました

死にたくても死ぬ事は明日出来る
そして寝れば気持ちは変わるものなのです

死ぬ事を思う事とは脳の思考制御がオーバーヒートして制御出来ないのです

だから一度、寝る事で脳を休めるのです

そして思考とは哲学なのです

自分が考えた事は哲学

私はそれを分析心理学に応用したのです

生きるか死ぬかも自分次第です

ただ私は今の状況に追い込まれてもまだ死ぬを選ばないのです

私が本当に死に追い込まれたのは母が脳梗塞で倒れた日です

その死が母に感染した事は分析心理学で解明出来ました

私を放置した宮若市行政と宗像病院の医療的虐待で山川家は酷い目に遭いました

私の怒りは母を脳梗塞で倒されたという事です

ただ私は写真芸術をやり続けるだけです

芸術は尊い
その芸術を精神障害者が表現しています
いずれ理解は得られると思っています

世界のシステムは一人一人の思考で変わります

責任と正義の思考を願います

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