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26.イタリアで誠実でいることは難しい

留学したときにアパートを貸してくれた日本人オーナーが、今度はタオルミーナでB&Bを始めることになりました。
ちょっと改装するだけですぐに始められるような良い物件を購入したのだそうです。
オープニングスタッフとして働かないかと誘われたのですが……。


楽園のようなB&Bで夢の実現なるか

場所はタオルミーナのふもとにあるトラッピテッロという田舎町です。
アンティーク家具も残されているし、 敷地にはオレンジ、レモン、オリーブ、イチジクなどの木々が植わっているし野菜畑も作るので、B&Bというより「アグリツーリズモ」だと言われました。
遠くに海も見渡すことのできる気持のよい場所だそうです。

ちょうど私がイタリアに長期滞在するタイミングと、そのB&Bのオープンが重なったのも何かのご縁でしょう。
この時の私はシチリアでお寿司や日本食を作りたい、そして滞在中に培ったノウハウを生かして将来的にはイタリアでビジネス展開したい、と思っていました。

そんな話をしたら、宿泊費は無料で良いのでお客さんが来たときだけ朝食の準備や掃除などをして手伝ってほしい、あとは好きに過ごして良いから、とのことで、週に1度の「日本食Day」のオーガナイズと日本人向け「シチリア料理教室」、外国人向け「日本料理教室」をすることなどもトントン拍子で決まりました。

こんな良いお話、なかなかないと思います。
しかもタイミングがピッタリ、まさに両者の思惑が合致したウィンウィンな状況です。
私がやりたかったこともできるし、喜んでその話を受けることにしました。

インターネットのない世界

私がこのときに出した条件はただ一つ、インターネットのつながる環境です。
当時はまだスマートフォンもなかったので、建物にインターネット環境がないとネットにつなげませんでした。
長期休暇の許可を得ていたものの、イタリアからでもできる仕事、たとえば原稿チェックや進行管理など、できることはやろうと思っていたのです。

6月初旬のある日、カターニア空港からタオルミーナ行きの高速バスに乗り、指定されたバス停まで行くとオーナー夫妻が車で迎えに来てくれていました。
そのままB&Bへ連れていかれたのですが、そこは確かに自然に囲まれた閑静な場所、でも周りに誰も住んでいなくて、しかもインターネットどころか携帯電話すらよくつながらないような環境だったのです。

思えば留学中に借りたアパートの立地条件も、最初に言われたことと実際とが大幅に違っていました。
悪気なくマイナス面は無視して、物事のポジティブな面だけを見ている人だったのだと思います。

イタリア、それもシチリアですから確実なものなどなに一つありません。
でもだからと言って正直に「まだネット環境が整っていない」と言われれば、私はこの話に乗ることはなかったでしょう。
仕方ないので毎日ネットを求めて、途中に野犬のいるような田舎道を30分近く歩きバス停からバスに乗ってタオルミーナに通っていました。

この後、インターネット以外にもさまざまな不都合な真実が明らかになって行きます。
従業員部屋の改修が終わってなくて蚊に刺されまくったり、シャワーも満足に浴びられないような状況だったり。
でももうここへ来てしまったし、ほかに行く当てもないし、言ってすぐに改善されるようなことでもないし、耐えるしかありません。

スローフードの仕事の都合でもともと6月下旬には一瞬だけ東京に帰る予定でした。
なので、そのタイミングでこの場所から脱出することになります。
あのまま3ヵ月このB&Bにとどまっていたら、精神的に病んでいたかもしれません。

今なら分かるオーナーの苦労

そんなわけでこのB&Bのお手伝いは3週間ほどの短い期間となりました。
それでも滞在中にお寿司を作ってみたり、静かな環境で本を読んだり、レモンの木と木の間に渡したハンモックでお昼寝したり、ステキな時間も過ごしています。

オーナーにとってもインターネットがつながらないこと、宿泊客がなかなか来ないことなど想定外の出来事だったのでしょう。
それでもビジネスとして回して行かなくてはいけないなか、多少のことは我慢して生真面目に働く日本人は都合の良い存在だったのだと思います。

私が出て行ったあと、今度はまた別の日本女子がやってきました。
彼女はダイバーでもあったのでB&Bと海とを往復していたのですが、やはりB&Bについては「だまされた!」と怒っていました。

あれから16年。
最初のうちはグズグズ根に持っていましたが、今ではあれも良い経験だったと思えます。

とにかく、できないことでもできると言って前へ進むことがイタリアでは大切だということを学ぶことができました。
いちいち馬鹿正直に真実を言っていては、まとまる話もまとまらないのがイタリアだということです。

移住して10年経った今となっては当時の自分の甘さや、そうするしかなかった彼女の立場も分かります。
彼女は私に、イタリアで誠実でいることの難しさと大切さとを教えてくれた存在です。

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