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25.来日するイタリア人との日々

日本で暮らしていてふだんの生活でイタリア語を話すことはほとんどないと思います。
留学から戻って一番の気がかりは、そうした環境でイタリア語を忘れてしまわないかということです。
そのため、イタリアから日本にやってくるイタリア人と積極的にコミュニケーションを取るようにしていました。


スローフード大学の学生たち

最初は留学から戻ってすぐのことでした。
イタリアのスローフード大学の学生たちが日本研修に来たとき、一緒に築地のマグロの競りへ行きました。

築地の朝、競りの見学が終わって朝ごはんをすることになったのですが、案内したコーヒーショップにはデニッシュパンが置いてあったのです。
彼らはそれを見て、こういう朝ごはんが食べたかったのだ!とほとんど半狂乱になっていました。

スローフード大学の研修旅行は、日本食文化を実際に体験して探求する機会です。
日本式の宿に泊まり、日本式の朝食がセットされていたのは想像に難くありません。
朝から焼いた魚が出てくること、卵が生のままであること、白米やみそ汁などしっかりとした食事が出てくることはイタリア人にとって相当つらいことだったのでしょう。

カフェラテとデニッシュパンを手にみんなが幸せそうな顔をしていたのが忘れられません。

タオルミーナの先生たち

留学から戻ってちょうど1年、タオルミーナからなじみの先生2人がやってきました。
日本イタリア文化会館で開催される「イタリア留学フェア」に参加するためです。

このイベントは今でも行われていまして、イタリア各地にある政府公認の語学学校の紹介をしています。
実際に教師や広報担当が来るので、生の情報をうかがうことのできる絶好の機会になるとともに、学校側にとっては生徒募集にうってつけの場となります。

この時に来た先生は、日本文化が大好きでとりわけ坂本龍一の大ファンでした。
カターニアで行われたコンサートにも行ったことがあるほどです。
たしか1週間ほどの滞在だったのですが、家に招いてホームパーティーをしたりゴハンを食べに行ったり、楽しかったです。

次の年には広報担当がやってきて、女性ひとりだったので一緒に鎌倉へ行ったり東京で遊んだりしました。
ちょうどこのとき、シェフがピエモンテ州アルバのトリュフ祭りから帰ってきたばかりというイタリア料理店へ行く機会がありました。
現地から貴重な白トリュフを持ち帰っていたのです。

白トリュフのリゾットにご満悦

イタリア人なのになんと初めて白トリュフを食べたと言ってました。
南イタリアから来て、日本で人生初めての北イタリア名物を食べることになった彼女の驚きやいかに……日本ってホントに何でもあります。

アパートのオーナー夫妻

タオルミーナで借りていたアパートの日本人オーナーとは、その後も連絡を取り合っていました。
ダイビングショップをやっているので主に閑散期の冬は日本で過ごしていたようです。

留学から戻った年とその翌年と、2年続けて自分でやっていた料理教室の特別コースとして「イタリア人から習うイタリア料理教室」を企画しました。
オーナーは日本人ですがご主人がイタリア人だったのです。

ブルスケッタとインボルティーニのトマトソース
手打ちパスタのパッパルデッレとマッケローニ
アルデンテに茹でたパッパルデッレをキノコクリームで和える
パッパルデッレ・アッラ・クレーマ・デイ・フンギ

このオーナー夫妻、とくに日本人妻がなかなかのやり手で、2年目の冬にいらしたとき、春になったら新しくB&Bを始めると言っていました。
タオルミーナに大きな一軒家を購入するのでそこをB&Bに改装するとのこと、ついては夏になったら手伝ってくれないかと言われたのですが、このことはまた別の機会に。

スローフード協会から来るイタリア人たち

会報誌の創刊や大規模イベントの実施など、日本でのスローフード市場の広がりを受け国際本部からも視察や研修で人が訪れるようになりました。

そんな彼らの自由時間を一緒に過ごすのも私の仕事の1つ。
食とそれにまつわる全てのことに興味を示す人々なので、一緒にいてとても勉強になりました。

ただし、この時の私のイタリア語力などたかが知れています。
カタコトのイタリア語で上野の合羽橋を案内したり、浅草へ行って天丼を食べたり、銀座の焼き鳥店へ行ったり、うちで天ぷらパーティーをしたりしたのですが、その時々の彼らの素直な反応は私にとって、日本文化に対する生のイタリア人の反応としてとても興味深かったです。

日本では一般的な、お客さんの目の前で焼き鳥を焼いたり天ぷらを揚げたりというスタイル。
イタリアでは営業認可を取るのが難しい、ということもこの時に知りました。
そして、2024年の今でもたしかに見ないかも。
お寿司を目の前で握るのは「アリ」ですが、大きな火力を厨房の外に出すのは安全面から難しいようです。

そういうのはみんな、青空の下でやるのです。
イタリア人は外で食事をするのが好きなので、屋内のカウンターで炭火焼き鳥とか、なくてもぜんぜん困らないのだと今になって思います。

こんなふうに日本でせっせとイタリア語を磨きつつ、次の渡伊にむけて準備を重ね、ついに留学から戻って1年半後、再びシチリアへ渡ることになりました。

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