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答えが決まっていない限り、間違いはない

答えが決まっていない限り、間違いはない

意味:答えが決まっているから間違いがあるわけで、答えが決まっていなければ間違うことはない。

類義:答えがあるものには間違いはある

(例)いやぁ、今まで何度も間違えてきたと思って生きてきたよ。でも、学校のテストなら答えと違えば間違いになるけど、人生に答えがあるわけではないから、間違いだと思ってたことが間違いなんだなと思うよ。まさに「答えが決まっていない限り、間違いはない」ってことだね。

今回は、人生における教訓のような創作ことわざになりますね。別に何か特別なことがあったわけではないのですが、思いついてしまったので、記しておこうと思います。

人生に答えはない

何の為に生きているのか。なぜ生まれてきたのか。誰もが一度は悩み、明確な答えを持っている人もいないのではないかと思いますが、特に思春期においては、ただただ答えのない悩みに苦しみ、問答し、中には自ら命を絶ってしまう人もいます。こういう悩みがあるからこそ、「宗教」が存在し、何らかの答えを提示することで、信じる人にとってはそれが救いになる人もいると思います。宗教がそれで収まっていればいいのですが、同調できない人にまで強制したり、そういう救いになる部分と、その神の栄誉(自身)を守る為に、敵を生み出し折伏するという面が戦争を生んでいるのもまた事実です。

別に、宗教について言及するつもりはありませんが、「答え」を外に求めることで良しとするのは、危険ではないかと思います。

なぜそう思うかと言うと、今までの自分の人生がそうだったからです。外にある答えを「これが答えだ」と思い、あたかも自分の答えにして、間違えないように生きてきましたが、そんな生き方をしてきたって、堅苦しいだけでした。その時は、「これでいいんだ」と思いながら、違和感を打ち消して生きてきたと、今から見たらそう思います。

今の私にとって、「何の為に生きているか」「なぜ生まれてきたのか」ということに対して、明確な答えはありません。正確に言えば、自分の中にはあっても、それは自分にとっての答えでしかなく、それを誰に押し付けるつもりも一切ありません。もしかしたら、共感してくれたり同調することもあるかもしれませんが、その答えだって、今後変わっていくと思います。

現状に不満があるから悩む

そもそも、なぜ答えを求めるかと言うと、それは人間の本能でもあるし、学校教育によって培われてしまったものでもあると思います。テストでは、基本答えは「一つ」しかありません。それ以外は間違いになります。それと同じように人生を捉えてしまうと、それこそが「間違い」ではないかと思うのです。だって、テストは先生が用意したものであり、先生が設定した「答え」に基づいて、正解か間違いになるからです。

日本の教育というもの中に、そういう要素があるのが一つと、「自分がなぜ生まれてきたのか?」と考えるのは、大抵自分が悩んでいたる不幸の中にある時ではないでしょうか?幸せの絶頂にいるときに、「何の為に生きてるんだろう」「なんで生まれてきたんだろう」と思うことはまずありません。つまり、今を幸せに生きていれば、今を見て生きることになっていくと思います。過去に縛られるわけでも、未来への不安に縛られるわけでもなく、確かな今を生きることが、幸せに生きる一番の秘訣だと思います。

もちろん、今まさに問題の最中にあったり、辛いことや苦しいことの中にいる人にとって、「今幸せだ」と思えることは難しいかもしれませんが、「今不幸だ」と思ってしまうと、答えのない問題の答えを求めようとして、間違ってしまうのかもしれません。

答えを与えられた方が楽だし、仮初めの幸せを感じることができるかもしれませんが、誰かに与えられた答えや幸せの中に、自分の本当の幸せはありません。誰かによって決められた「答え」に基づいて、自分が間違ったと思うことで、自分を責めたり、悩んだり、苦しんだりするのは、そのシステムをわかっていれば、客観的に見たら滑稽でしかありません。

自分が弱っている時、誰かに助けてもらいたかったり、すがりたくなるのも当然です。ただ、誰に助けてもらうのか、誰にすがるのかというのを気をつけないと、コロッと洗脳されたり、いいように使われて、仮初めの幸せにハメられて、本当の自分とはかけ離れていってしまうこともあるかもしれません。

答えなんてなくてもいい

「何の為に生きるのか」「なぜ生まれてきたのか」それ以外にも、答えなんてなくてもいいんじゃないかと思います。特に、答えがわかりにくいようなもの、いく通りも答えがあるようなものは、それらしいことを言ってくる人はたくさんいます。自分というものをしっかり持っていなければ、耳障りのいい答えに惑わされることもあるでしょう。

そして、宗教、教育以外に大きい影響力を持つのが、「両親」です。特に両親という存在は、物心つく前から、その家庭のルールや親の価値観によって育てられるので、自分でも気付いていない深層心理に根付いていたりします。それを「毒親」と断ち切るのも一つですが、厄介なのは、それが「親の愛」によるものだということです。愛があるからこそ、厄介なところです。親の愛が「呪縛」となって苦しみ続けている人もいると思いますが、親の呪縛を脱却し、自分を確立しない限り、本当の自分や、自分にとっての本当の幸せはないのかもしれません。

人生に悩んでいる方に言いたいのは、「答えなんてなくてもいい」「答えは一つじゃない」ということを伝えたいと思います。「答え」があった方が、生きやすいということもあると思うので、今の自分にとって「答え」を設定するのはいいと思いますが、それが絶対ではなく、他にも答えがあっていい。間違って縮こまるくらいなら、答えなんて考えなくていいんじゃないかなと、思います。

人生において悩む時、苦しいときに思い出したい創作ことわざなればいいなと思います。

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