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『わたし、定時で帰ります。』は、働き方改革なのか?

意外と面白い『わたし、定時で帰ります。』

4月期から、TBSで『逃げ恥』の火曜10時枠で始まった、吉高由里子主演のドラマ『わたし、定時で帰ります。』が意外と面白かったので、紹介してたいと思います。

特に注目しておらず、食事しながら観ていたのですが、期待していなかったからか、中々面白かったです(笑)去年の冬に放送されていたガッキー主演の『獣になれない私たち』に通じるものがあるなと思い観ていました。どちらも、現代社会においての生き方を、違う角度から描いているなというのが印象です。

簡単なあらすじ

タイトルにあるように、吉高由里子演じる主人公の東山は、ホームページを製作するIT企業に勤め、毎日定時で帰るのが有名な社員。効率よく無駄なく働き、今日の仕事は今日うちに終わらすのがモットーで、きっちりと18時までに仕事を終わらせ、18:10までハッピーアワーで生ビールが半額になる中華料理屋で仕事終わりのビールを飲むのが、何よりの幸せだった。

自分にできる以上のことはせず、有給などの正当な権利は、自分も使い、社員なら当然の権利として指導もしていた。定時に帰る為に、この会社に就職したのも、以前務めていたのがブラック企業で、残業や休日出勤は当たり前。仕事を教えてもらえることもできず、病気にでもなれば会社を休めるのに、と思っていた時、階段から足を滑らせて重体になった過去があった。仕事しかしない人生に幸せはないと、残業もしなくて済む会社を探していて、出会ったのがこの会社だった。

順調に働いていたが、そこに新たな上司と元彼であるエース社員が異動してくる。そんな時に、仕事熱心なシシドカフカ演じる三谷は、東山を良くなく思っているが、その仕事ぶりに口は出せずにいた。しかし、新人を厳しく育て、残業を強いる自分の指導方針にも口出しをさせないようにしていた。三谷に教わる新人は、今時の若者で、怒られなれておらず、腹いせにパソコンをロックして辞めてしまう。体調が悪くても仕事を休まず働く三谷を上司が責めると、三谷は会社を飛び出してしまう・・・という1話。

現代の会社の抱える問題

このドラマは、「働き方改革」になるのか?と言われていたりしますが、実際に会社に務めていて、定時で帰るとか有給を使うというのは、権利としてはあるものの、実際には使えない空気がありますよね。以前会社勤めしていた時も、定時きっちりで帰ることはほとんどなく、そういう人もいませんでした。もはや、多少の残業は「当たり前」として、それが当然という「空気」があります。

このドラマを見ている方に中には、現実にはそうはいかないと反感を持っている方もいるそうで、色んな見方があるようです。

残業しないといっても、終わらせなければならない仕事があります。「仕事も終わらせてないのに、早く帰るのは如何なものか?」ということで、残業への考え方があるかと思います。少なくとも東山は、今日できる仕事をきっちりと終わらせているから残業が許されるわけで、そうでもないのに残業しないのは、違うでしょう。大事なのは、定時で帰っても大丈夫なような仕事能力を身につけることが一番だと言えます。その上で、定時で帰れる「制度」を設け、「空気」を作っていけるといいのでしょうね。

特に日本人にとって、「空気」というものは強い力を持ちます。「当たり前」というものもあるし、「いじめ」だって空気だったりします。良い意味でも悪い意味でも、「空気」というのは「日本人らしさ」と言えるかもしれません。

日本文化対欧米文化

欧米文化では、「自分の意見をはっきり言う」のは当然だったりします。YesNoとはっきり言うし、自分の意見をはっきり言います。こと社会においては、欧米文化というものは必要です。しかし、それは意見が言える立場や能力があるからで、立場が弱かったり新人の時にはそうそう言えるものではありません。

このドラマは、ある意味日本文化と欧米文化を描いていると思っています。主人公の東山は自分を通せる欧米的なキャラで、三谷は日本人らしく、空気を読んで仕事とはこう言うもの、と考える日本的なキャラです。この二人を通して、日本文化と欧米文化を描いているように感じます。

東山は、定時に帰る為に、効率よくきっちりと仕事をこなし、周りのことを考えていないように見られていますが、三谷は自分が新人の頃から厳しく仕事を教わり、仕事とはこういうもの、会社とはこういうものだと考え、そういうものだとして自分にも他人にも接します。一見、東山の方が良いように見えますが、必ずしもそうではありません。

東山は東山で過去の苦しみがあり、自分を通して周りを気にしていないように見えますが、自分を貫くということは、その分反感もあります。上司による圧力や、同僚の目があり、自分を貫くことは簡単にはできません。かといって、周りのや空気を気にして、周りに合わせるだけでも、苦しくなるのは自分です。

この世界が日本だけであれば、お互い空気を読みあいながら、優しさを発揮することはできますがそうではありません。逆に、欧米のような文化だけでも個を重視し過ぎて、実力主義により、他人を蹴落としたり、殺伐とした空気にもなりかねません。

日本には、「和を以て貴しとなす」ということわざがあるように、人と人との和を重んじます。それが日本人の素晴らしさだとは思いますが、それが行き過ぎても、元も子もなくなってしまいます。

これから生まれる新たな価値と認識

時代と共に、人種の認識も変わります。江戸時代では「藩」「国」の認識でした。明治の世になり、「日本」「国」という認識になりました。昭和、平成においては「アジア人」という認識になったかもしれません。そして、これから「令和」という時代になり、本田圭佑が言うような「地球人」という認識になっていくのだとしたら、日本文化も欧米文化も、地球文化の一部でしかありません。
そうなると、どちらの文化の方がいいかと言うことではなく、新たな認識が必要になってくるんだろうと思っています。

いちドラマの一部分が、壮大なスケールの話になってしまいました(笑)価値と価値がぶつかることで、新たな価値が生まれるものです。このドラマは「働き方革命」より「認識革命」と言える作品かもしれません。このドラマにおいても、今後どのように展開しどのようなことを観せてくれるのか、楽しみにしたいと思います。

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