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さて、44歳、リクルートを辞めて

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タイトル通り44歳男性が、16年くらい務めたリクルートという会社を退職しいわゆる「元リク」となる直前までの記録。2014年に京都嵐山で妻と「発酵食堂カモシカ」というブランドを立ち… もっと読む
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記事一覧

創業者江副さんの遺産【連載12】さて44歳リクルートを辞めて

創業者江副さんの遺産【連載12】さて44歳リクルートを辞めて

「はじめに言葉があった。」
僕はどちらかというと古神道派で空海さんファンなので、キリスト教徒ではないのですが、「はじめに言葉があった」をしみじみと噛み締めるに至ったのは、リクルートに入ってからです。江副浩正さん達、創業のタイミングで残された言葉達が、その人たちが居なくなっても力強く風土として根づきリクルートという会社の土台となって来たと考えています。

「リクルートに、稲盛さんの京セラのように啓発

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人材育成の標準と亜流【連載11】さて44歳リクルートを辞めて

人材育成の標準と亜流【連載11】さて44歳リクルートを辞めて

「お前は何がしたいんだ?」と問う伝統が影を潜めて数年が経ちました。

もともとのリクルートの人材育成は、WILL、CAN、MUSTという考え方が土台にあり、それは、その人が何を今の仕事と将来に成し遂げたいのかというウィル、何が得意で何が不得意かのキャンとキャノット、最後に会社からのやって欲しいことであるマストが重なる部分での仕事にモチベーションとパフォーマンスが最大化するというもの。

ウィルキャ

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成長と成長の踊り場で【連載⑩】さて44歳リクルートを辞めて

成長と成長の踊り場で【連載⑩】さて44歳リクルートを辞めて

放置型マネージャーと言われながらも僕のグループから社内表彰や社外で評価を受けるメンバーがたくさん出たのには一つ考え方がありました。

それが、「成長の踊り場で重点的に介在する」ということでした。踊り場とは、階段と階段の間にある小スペース。

どういうことかというと、人には
①成長をそんなにしたくない時期と、
②めちゃくちしたい時期と、
③その間の成長の踊り場の時期
があると思います。

①の成長意

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味噌のように、信じて待つ【連載⑨】さて44歳リクルートを辞めて

味噌のように、信じて待つ【連載⑨】さて44歳リクルートを辞めて

「信じて、待つ」と、人も味噌もちゃんとその命なりに熟成していく。

マネージャーになって数年は手探りで気負いもあり、結構空回りしてメンバーからも上司からも信頼を失っていくように感じました。

でも、周囲の方々は僕がマネージャーとして得意分野を活かしながら、メンバーの育成がしっかりできる人物になれるようにと応援してくれていたと思えます。

その過程で腹に落ちていったのはもはやコーチングの古典とも言え

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可視化・言語化・型化とナレッジシェアの風土【連載⑧】さて44歳リクルートを辞めて

可視化・言語化・型化とナレッジシェアの風土【連載⑧】さて44歳リクルートを辞めて

リクルートをこれまで支えて来たのは優秀な人材ではなくて「ナレッジシェアを価値あるものとする風土」 ではないか。

2011年10月からスーモ住宅展示場のマーケティング担当から注文住宅領域の営業担当に。じゃらん時代の半年の営業体験は役に立たない。

30歳も超えての新人営業として、これまでの編集やデータ分析や企画のスキルを活かして仕事をしないといけないと思った。

そして自分の営業活動も、周囲の営業

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風土に馴染むのおっそ【連載⑥】さて44歳リクルートを辞めて

風土に馴染むのおっそ【連載⑥】さて44歳リクルートを辞めて

僕はこの風土に馴染むまで何年かかったのだろう。

言わずと知れたリクルート創業者江副浩正さんの言葉であり、最初の社是です。リクルート事件後に取り下げられましたが、社内では事あるごとにこの言葉が育成や戦略やイベントごとで使われて「言葉が風土になる」を象徴するものだと思っています。

さて僕の話。自ら、男性初の長期育児休暇という「機会」をつくった訳ですが、復帰後、普通にすぐ転勤、給与グレードダウンとな

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自ら機会を創り出しSUUMOの営業へ【連載⑦】さて44歳リクルートを辞めて

自ら機会を創り出しSUUMOの営業へ【連載⑦】さて44歳リクルートを辞めて

東日本大震災がある意味で、全ての再スタートだった。

2011年の東日本大地震は、個人的にも大きな出来事でした。まず被災したのは東京駅に隣接したグラントウキョウ サウスタワーの32階。会議中に大きく揺れて、目の前のビルがしなりこちらにぶつかるような動きで一瞬「あ、死ぬのかな」と思いました。

その日は電車が動かず、同僚達と階段で下に降りて、中華を食べてエレベーターが動かないので歩きで30階のフロア

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リクルート初の長期男性育休【連載⑤】さて44歳リクルートを辞めて

リクルート初の長期男性育休【連載⑤】さて44歳リクルートを辞めて

やっと中途の殻こもり期を抜けた先に、なんとリクルート初の男性の長期育休となる4ヶ月を取ると言う暴挙(だったみたいです、2007年当時)。

周囲とうまく絡めず仕事もうまくいかず殻にこもっていた僕を拾ってくれたMさんという女性マネージャーが居ました。「あなた、おもしろいわね」とくすぶりかけていた僕は、東京から押し出される力学と拾って頂く力学で、入籍直後に関西じゃらんへ異動。

単身赴任とはなりました

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殻にこもりながら聞いていた【連載④】さて44歳リクルートを辞めて

殻にこもりながら聞いていた【連載④】さて44歳リクルートを辞めて

「おまえさ、もしかして自分の為に仕事してない?」

じゃらんの営業から半年後に編集部に異動して僕は更に殻にこもることになりました。じゃらんという雑誌の編集企画担当という仕事は、営業部と編集部の間に入り、宿泊施設のクライアントにご提案する商品としての「特集」を考えるのが主。特集は、例えば「客室露天風呂のある宿」とかそういう宿泊のテーマをお宿さんが参画する(購入する)広告商品としたものです。

かじっ

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 リクルートと私【連載②】さて44歳リクルートを辞めて

リクルートと私【連載②】さて44歳リクルートを辞めて

"リクルートの私ではなくリクルートと私"(リクルート社内に伝わる言葉より)

2006年のリクルート入社までのこと。どんな背景をもってリクルートという会社を語ろうとしているのかの為の必要情報に絞ります。

北海道生まれ宮城県育ち。高校卒業後、大学はテキサスの4流大学に英語力ほぼゼロで入り首席卒業(ここはやれば出来る!と人生初めて自信を持てたポイントです)。

大学卒業後、PwCコンサルティング(現

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誕生日に退職申請【連載①】さて44歳リクルートを辞めて

誕生日に退職申請【連載①】さて44歳リクルートを辞めて

今日は2021年9月16日。僕の誕生日であり、16年以上務めたリクルートに退職を申請する日。今日から「究極の円満退社」をゴールにした年末の退職日まで、リクルート生活を振り返りながら、今のリクルートのリアルをまとめて置きます。ITコンサルからの中途入社、リクルート男性初の長期育休取得、スタッフ職から営業へ、副業7年目、など特殊性はありますがリクルートという会社と44歳男性のキャリアのリアルをお伝えし

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中途の殻こもり期【連載③】さて44歳リクルートを辞めて

大体リクルートに入る中途採用社員は長さは別に「殻にこもる」。

2006年に中途で入ったリクルートの所属は当時の国内旅行カンパニー「じゃらん」でした。まだまだこの頃は雑誌の「じゃらん」が主力事業で、じゃらんnetは黎明期と言える時代

最初の半年、箱根や河口湖、御殿場や沼津の旅館やペンション、コテージやレジャー施設の雑誌広告の営業をしました。

思い返せば、よく半年でいろんなエリアを見せていただき

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