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小説『くちびるリビドー』の続編【1-5】を(今ここにあるものはもう全部、明け渡すつもりで…)☞Let's世界に解き放つ♪☺︎♡

今回のテキストは、
文学フリマでも未発表の「初出し」部分となります♡



くちびるリビドー

2

(仮)











満たされれば
自然と溢れ出るのだろう?


(5)



「これからはもう、欲しいものは全部、自分で自分に与えていく。たっぷりと自分自身を満たしていくのだ!」

 そう決意してからここまで、私はどのくらい変わることができたのか――?

「与えること」や「満たすこと」に意識的になるということは、自分の本心に耳を傾け続けるということだ(もしくは「本能のままに生きる」ということなのかもしれないが、私はまだそのレベルには達せそうにない)。たとえば……仕事をがんばったご褒美にちょっとしたスイーツを買って帰ろうとするとき、これまでの私なら「なんとなく良さそう」と思うものの中から「一番お得そうなのは?」をパッと選び取っていたけれど、最近の私は「一番食べたいものは?」をストレートに自分に問えるようになってきた。だけど油断するとすぐに「安さ」や「お得感」で商品を選んでいる(それにも気づけるようになってきた)。たったの「30円差」なのに、食べたいものより安いほう――無意識のうちに私はずっとそんなふうに生きてきたのだと思う。

 そして案の定、恒士朗は最高の「お手本」だった。付き合ってから今まで、彼が何かを適当に選ぶ様子を私はほとんど目にしたことがない。一緒にスーパーに行けば、信じられないくらい時間をかけて食材を選ぶ。きっと別々に買い物をしたら、私がレジを終えても、彼はまだ最初の野菜コーナーで立ち止まっていることだろう。自分のために(なんて意識もなく、ごく自然に)たっぷりと時間を使い、欲しい物を見極めていく。値段ではなく素材そのものに目を向けられる彼の姿を、私はいつも憧れるような気持ちで眺めていた。

「王族の人みたい」

「なにが?」

「恒士朗が。こうしていると、身分を隠してスーパーで買い物する王子さまに付き添ってる〝ばあや〟みたいな気がしてくるよ」

「なにそれ」

「優雅だなぁ~と思って」

「ふうん。じゃ、ばあや。こっちとこっち、どっちのパプリカがいいか選んで」

「えー。じゃあ……こっち」

 暢気のんきだなー、とも思う。時間のことなんて頭からすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ(こういう人が毎日どうやって遅れずに会社に行き、どのように仕事を全うしているのか、私はいつも不思議になる)。早く帰ってゆっくりしようとか、私が言い出さない限り「急ぐ」という発想がないし(だからもちろん、一緒にいて私が彼に急かされるようなことは一度もない)、基本的に「先のこと」を考えたりしないのだろう。

 そう、食べるとき以外は。食事を前にすると「美味しいものは美味しいうちに」で、私を置いてフルスピードで駆け抜けていくけれど、あれはもう本能(まさに本能!)。

 結局、そういうことなのだ……と思う。

 先のことなんて考えず、時間も気にせず、目の前の「今」だけに存在すること。

 そうすれば「思考」に阻まれることなく「本心」や「本能」のままに行動できるのだろう。そしてそれはきっと、何も怖れていないから、世界を警戒していないからこそ、可能になるのではないか? ……だとしたら、私はそう。確かに恐れている。あんなふうに警戒心ゼロで世界を渡り歩いたことなんて、生まれてから一度だってなかった気がする。


――ねぇ。

――恒士朗くんっていかにも『母乳たっぷり飲みました』って顔してなぁい?


 いつかの寧旺ねおの言葉が、風のように頭の中に流れ込む。

 そう、あの顔。どんな赤ちゃんだったのか容易に想像できてしまうような、あの顔、あの唇(あとで本人に聞いてみたら、たっぷり飲んだであろうことを認めていた。その感覚が〝ある〟ということが、もはや私には大きな驚きなのだけど)。

 世界のはじまりに「満たされること」に成功した人間には、自然とそなわるのだろう。

 悲しみや絶望とは無縁の〝サイン〟としての泣き声に、世界が十全に応えてくれる――その経験の繰り返し。満足感とか充実感とか、ここに存在していることへの安心感、寛ぎ。

 お腹がすいたら声を上げ、むさぼるように乳首を吸い、そこにはたっぷりの母乳が用意されていて、好きなだけ飲んで満腹になったら急激に眠たくなって、無防備に落ちていく先には満たされた眠りがあり……? なんて健やかなサイクルだろうか。

「恒士朗はいいよな~」

 だけど、そこにしがみついていても何もはじまらないことはもう、わかってる。

 それでもやっぱり憧れる。憧れて、思いを巡らせたくなる。

 そんなふうにはじまる世界は、どんなふうに見えるのか――。

 想いが届くという実感、育まれることへの信頼感、きっと自分自身のサヴァイブする能力とも深くつながっていて、ここにいることを全面的に肯定されているような……そんな意識すら抱く必要のない、あたりまえに受け入れられている世界――?

「遠いなぁ……」

 素直にそう思う。けど悲観的になってるわけじゃない。

 自分にとっての〝世界のはじまり〟が、いつなのか(そもそも私の世界は、はじまっているのか?)。そこにいたのはママ、あなたじゃないの――?

 幾度となく巡っても、辿り着くのは毎回ここだ。

 それでも、まだまだ見つめていたい。クールに、被害者気分ではなく客観的に。

 そんなことに意味などないと誰かが笑おうと、私は納得したいから。

 ここから前へ、進むために。





 人はなぜ、そういうことを言葉にしてしまうのか。伝えたくなるのか。

 うちの母親の場合はおそらく「子どもを産むということの大変さを知っておいてもらいたい」なんて想いなどなく、単にその場のノリみたいなもので(それと酒の力で?)ついペラペラと喋ってしまうのだろうけど……。

「とにかく悪阻つわりがひどくてさ。あんたを殺してわたしも死のうかって、何度も考えた」

 そんな話を聞かされて、悲しくならない子どもなどいないんじゃないか?

 同じように、世の中には「女じゃなくて、男の子が欲しかったんだよ!」など様々なバージョンが存在するのだろうけど(そして悪意をもってそれをぶつけるような親もいるのだろうけど)、それでも「産んでくれたこと」に感謝できるような子に育てたいと願うなら、こんなセリフ言わないほうがずっとずっとマシだと思う。

 そして「それでもママは、私だけを始末しようとしたんじゃなく〝一緒に死のう〟とは思ってくれてたんだ」と考えられるくらいには、私も大人になった(だからって、悲しみが消えるわけじゃないけれど)。

 自分にとっての〝世界のはじまり〟を想うとき――それは「おぎゃー」とこの世に誕生した瞬間ではなく、もっと前の「母の胎内」のイメージで……もしもそのときの自分に感情のようなものがあるとしたら、私の場合それは「生まれたくない」であろうと、いつもそこに辿り着く。後付けの情報によって捏造ねつぞうされた記憶だとしても(だからこそ?)、この「生まれたくない」がもっとも自分にしっくりとくるのだ。

 大好きなママ……、私のせいで苦しい思いをさせてしまっているのなら、私……生まれなくていいです。ごめんね、ごめんね、ごめんね。……本当は「どんなに苦しくったって、吐き気で何にも食べられなくったって、あなたが来てくれて嬉しい! あなたに会うためなら、悪阻なんて全然へっちゃら。死にたくなんてならずに、乗り越えてみせるわ」って思ってほしいけど……ごめんね、ごめんね、ごめんね。ママが死にたくなるくらい辛いのなら、私はもう、このまま消えてしまいたいです。生まれたくなんかないです――。

 そんなふうに言葉にして、眺めてみる。

 涙が勝手に溢れてくるけど、これはきっと〝今〟の涙じゃない。リハビリみたいに(もしくは何かの儀式のように)繰り返し、泣きながらでも探りたい。見つけ出したい。納得できる、自分だけの「答え」のようなもの――。

 だから私は「生きようとする力」と上手につながることができなかったのだろう。消えてしまいたかったから。生まれたくなかったから。大好きな人に一瞬でも「殺してしまいたい」と思われてしまったこの命に、価値なんか見出せない。それでも生まれたくて、生まれたからには生き残りたくて、なんとしてでも母乳を吸い取って、生きる! 生きる! 生きてやる! そう思うには、私は繊細すぎたし、とにかくもうすっかりと「いじけて」しまっていたに違いない。

 これが、私にとっての〝世界のはじまり〟のイメージ。

 どんなにそうは感じられなくても、世界は、この人生は、幕をあけたのだ。


(つづく)






(4)←←← ☺︎

小説『くちびるリビドー』の続編(あるんです!笑)の
冒頭部分の公開は、
ひとまずここまでとなります♪

♡♡♡お読みいただき、ありがとうございました♡♡♡



(C)Kanata Coomi

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長編小説『くちびるリビドー』の「紙の本」ができるまで。


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「私がウニみたいなギザギザの丸だとしたら、恒士朗は完璧な丸。すべすべで滑らかで、ゴムボールのように柔らかくて軽いの。どんな地面の上でもポン…

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文学フリマ

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆