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第22夜 「酒博士」坂口謹一郎の名言 63歳記者がお酒コラムを書きながら考えたこと

 〈世界の歴史をみても、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ〉。応用微生物学の権威で、「酒博士」と呼ばれた坂口謹一郎・東京大学名誉教授の名言だ。坂口博士の有名な著書『日本の酒』の第1話冒頭に置かれている。
 「うるわしい」という形容詞に、お酒への愛とリスペクトを感じる。歌集『醗酵(はっこう)』を出し、宮中新春の行事「歌会始の儀」に召人(めしうど)として招かれた人らしい表現だと思う。
 この後には、「すぐれた酒を持つ国民は進んだ文化の持主であるといっていい」という一節が続く。日本酒王国・新潟に住む人間としては、ちょっとうれしい。坂口博士ご自身、新潟県内でも雪深い上越市高田の出身だ。
 今回、原稿を書くために坂口博士の本を、改めて読んだ。「なるほど」と感じる文章が多かったが、「へえ、意外だな」という思いが湧いた部分もある。その一つが、歌文集『愛酒樂酔』に書かれた次のくだりだ。
 〈私は日本の「酒呑(さけの)み」という言葉に強い反感を感じる。それほど下等に見られたくない〉。自他ともに認める愛酒家の坂口博士が、酒呑みの呼称をこんなに嫌っていたとは。
 酒を飲むことが悪いのではなく、度を超えた酔態が嫌なのだという。〈世の大酔人の傍若無人の姿はむしろ人というより鬼を思わせる〉とまで、記している。鬼とは尋常ではない。心から酒を愛するからこそ、見苦しい振る舞いをする輩(やから)が許せないのだろう。新聞社で、いわゆる馬鹿酒を飲んできた身としては、恥じ入るばかりだ。
 一方、博士はこうも書いている。〈しかし友と酔心をともにするほど、人間として樂しい境界はない。この辺の差は言葉につくせぬほど微妙である〉。よく分かります、この感じ。文庫本をめくりながら、一人でワインをなめるのもいいけれど、どちらからともなく、「飲みたいね」となった相手と万障繰り合わせ、ゆったりと酒を酌む時間は、至福の部類に入る。
 酒席を共にするのは、酔いという船に一緒に乗るようなもの。自慢話やマウンティングが止まらない人、愚痴ばかりの人とはご一緒したくない。もちろん、仕事や付き合いなどでままならない場合もあるけれど、プライベートで飲む時は、自由で対等な空気の中にいたい。特別な酒やごちそうはなくていい。気のおけない相手と交わすよもやま話こそが、最高の肴(さかな)になるのだ。
 2022年9月から1年近く、このコラムを書いてきた。noteと新潟日報デジタルプラス(末尾参照)、2つのサイトに計44本をアップしたことになる。連載中に63歳の誕生日を迎えた。取材にかこつけてやや飲み過ぎた感はあるけれど、幸い健康で、夜には90歳の母と晩酌を楽しんでいる。
 連載を読み返して気付いたのは、酒と肴をテーマにしつつ、結果的には人との出会い(あるいは別れ)の物語になっているということだ。作家や書家が味わった酒と人生の苦楽、第一線で日本酒やウイスキー、ワイン造りなどに挑むプロフェッショナル、港町新潟の味を守る料理人。取材先にパワフルで魅力的な人たちが多かったのは、飲食という行為が生きる喜びに深く関わっているからかもしれない。40年に及ぶ記者生活で酌み交わした人たちの思い出も、書かせてもらった。泉下に去った人もいるけれど、コラムの中でもう一度、杯を交わせたような気がする。
 このコラムは、今回でいったん終わりますが、お酒の世界は奥深く、人生は長い。またどこかでお会いしましょう。できれば、酒場で。
 (写真は新潟市中央区の白山神社。スキ♥を押していただくと、わが家の猫おかみ安吾ちゃんがお礼を言います。下の記事では、坂口謹一郎博士の「酒縁」と古里上越の物語を紹介しています)

https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/254896

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