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OH! ママン

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だれもかれも、母という存在から生まれる。良くも悪くもどうしたって母という存在の影響は色濃くある。人と会うと、この人の母親とはどういう人か…?とフィルターをかけて見てしまう。「母」… もっと読む
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#パーキンソン病

いいことありそうだと感じた日

いいことありそうだと感じた日

週に一度は母を買い物に連れて行く。
「あんたと買い物に行けなくなったらどうしよう…。」
母はこの買い物へ出かけることをリハビリだとか、体調のバロメーターのようにしているようだ。
行くお店はだいたい決まっている。それぞれのお店の開店時刻に合わせて、買い物は朝のうちに済ませる。母はパーキンソン病を患って長いが、寝ている間にまだほんの少しはドーパミンを自ら作れているようで、朝の間は比較的調子がいいのだ。

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ネガティブは海の底に置いてきな

ネガティブは海の底に置いてきな

年のわりにキメの細かい母の左の頬が水膨れている。
一晩中、頬で体を支えていたせいだ。

母がパーキンソン病だと分かってから、大方10年以上になるだろうか。幸い気づいたのが初期だったこともあり、薬を飲めば症状はなくなった。あの頃はまだまだ若かった。10年薬を服用すればやはり薬の効果は薄れる。そして、人は誰しも老いていく。治る病気なら希望があるが、パーキンソン病はゆっくりゆっくり悪化していく一方で希望

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気長に待つよ

気長に待つよ

家族みんな歌を歌うのが嫌いじゃなかった。父も母も妹もどちらかと言えば、うまい方にはいる。自画自賛だが、私に関していえば、中学の文化祭で歌を歌った事実もある…。
父は、「ピーピーピーピーピーピーピー…」とイントロが始まれば、泥酔していてもマイクを探した。長渕剛のトンボが十八番だった。
母は、いとしのエリーが十八番。アナウンサー志望だったという美声で披露した。
歌スキが歌を歌えなくなるのは、傍で見るも

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母の覚悟

母の覚悟

「こちらのおばあさん、お願いします。」
そう言う店員さんの声を聞いて振り返ると、その「おばあさん」とは家の母のことだった。
そうか。「おばあさん」なんだ。と改めて気付く。そもそも、私だって「おばさん」なんだし仕方がないけれど。私に子供がいないから、即ち、母は家の中で「おばあさん」の役割を成していないわけで、「母」のままだった。「母」は年老いては来ているが、「母」であって「おばあさん」ではなかった。

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薬との調和

薬との調和

薬との調和をとるのはとても難しい。薬屋の孫だが、薬を100パーセント信じていないところがある。お医者さんによっても解釈が違うと患者としてはますます難しい。

母はもう十年以上前からパーキンソン病を患っている。最初は台所で野菜をリズムよく切ることが出来ない…から異変に気付き始めた。当時は、パーキンソン病という病気はマイケル・J・フォックスやモハメド・アリによって知っている程度であった。まさか近くにい

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皺は笑顔で消しましょう

皺は笑顔で消しましょう

久しぶりに母と公園を歩く。
日の光に照らされた彼女の横顔は少し皺が増えた様に見えた。年の割にキメの細かい肌をしている。若い頃に手入れを怠らなかった勲章だろう。我が家では一番の肌質を保っている。だが急に細かい皺が増えた様に見えた。
髪も伸びている。近頃、私の体調が悪かったので髪を切ってあげられずにいたのだ。家に戻ったら、髪を切ろう。

ずっと見てもらっていた先生が病院を移り、若くて合理的な先生に変わ

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幸福の蜜

幸福の蜜

なんだか急に、母が小さく見える時がある。
実際にはスプーンおばさんの様に何かの切欠で急に小さくなるはずはない。
ある時不意にそう見える。
年老いた小ささともうひとつ、全てにおいて鈍くなり、まるで子供のような幼さゆえの小ささ。
どんどん母と娘の関係が逆転していくような感覚。
悲しく、苛立たしく、そして愛おしい。
その相反した思いが張りつめる。
パーキンソン病はゆっくりゆっくり進行する。
確かな原因も

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