マガジン

  • よりみち読書録

  • ChatGPT曰く、

    最近話題のChatGPT、気になることをこのChatGPTに聞いてみて、回答をもとにいろいろ考えてみたいと思います。

  • 自分の受けたい教育を考える

    教育はどうなったら嬉しいだろうか。自分だったらどんな教育が受けたかっただろうか。

  • 鈴木の現象学

  • 私の哲学

    身近な所から感じられる問題を、なるべく素朴に自分にとってわかりやすい形で考えてみようと思っています。

最近の記事

  • 固定された記事

わたしについて

わたしはいつも悲しかった。 大企業の社員である父と、専業主婦の母という平均から見れば恵まれた家庭、そして一つのマンションの部屋の中に妹と四人で閉じ込められて。 息の詰まるような平凡さ。サランラップで呼吸を止められてしまっているような窒息感に、慣れていた。そしてそれに慣れてしまっている自分の平凡さにも、嫌気が差していた。 父は自分の言う事を聞かないと、平気でわたしを殴った。左耳に平手打ちをされて鼓膜に穴が空いた事もある。言う事を聞かないというだけでなく、もっと些細な、そして

    • 「PLUTO」AIと感情

      修士論文を書かなければいけないのに、ふとしたことからNetflixを開き、手塚治虫と浦沢直樹の「PLUTO」を観だしてしまった。しかもこれが非常に面白いというか、生成AIもなかった時代の人がこんな話が作れるのか、と思うくらいで、これは絶対観た方が良いと思う。 ロボットと人間が共生している時代の話なのだが、元々はロボットは人間の召使として開発されてきた名残のようなものもあり、今ではロボットにも人権を認めているような状況である。とはいえロボットは人間に危害を加えてはいけないなど

      • 「きみたちはどう生きるか」を観て

         ふと思いつき、昨日大分遅い時間で宮崎駿最新作の「きみたちはどう生きるか」を観てきた。広告をしていなかったにも関わらず、すでにかなり観た人は多いようだが、一方で難解だというような噂もあることを観た後で知った。実際のところ皆さんは何を感じたのだろうか。  僕は実のところこれまでのジブリ作品よりも殊更難解だとは思わなかった。かなり千と千尋にストーリーの運び方は似ていたように思う。両者ともに、日常からふと異世界のようなところに迷い込み、また何もなかったかのように日常に戻っていくと

        • Q. ”あなたのようなAIが感情を持つことはあり得ると思いますか?あるいはすでに少しは持っていると言えますか?” Chat GPT曰く、

          ”現在の技術水準では、AIが人間のように感情を持つことはあり得ません。AIは、数学的・統計的なアルゴリズムに基づいて決定を下すコンピューターシステムであり、感情を持つことができません。 ただし、最近の研究では、AIによる自然言語処理や画像認識技術が大幅に進歩しており、AIが感情を認識することができるようになっています。例えば、AIを用いた感情認識システムが開発されており、人の顔の表情から、その人がどのような感情を感じているのかを分析することができます。また、自然言語処理にお

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        わたしについて

        • 「PLUTO」AIと感情

        • 「きみたちはどう生きるか」を観て

        • Q. ”あなたのようなAIが感情を持つことはあり得ると思いますか?あるいはすでに少しは持っていると言えますか?” Chat GPT曰く、

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        • よりみち読書録
          19本
        • ChatGPT曰く、
          1本
        • 自分の受けたい教育を考える
          1本
        • 私の哲学
          6本
        • 鈴木の現象学
          5本
        • とらぬタヌキの寝床
          4本

        記事

          落合陽一 東浩紀の対談を聞いて(Weekly Ochiai)

          Newspicksで唯一ほとんどの回を観ているWeekly Ochiaiで、東浩紀との対談の回が少し前にアップされていた。なんとなくいかにも観たくなりそうな感じだったので、一旦観ないでおいたのだが、結局観た。そして結局一番面白かったような気がする。 東浩紀が落合陽一のデジタルネイチャーを批判したみたいなこともあったらしいが、対談を聞いているとほとんど二人は同じようなことを思っているように感じた。東さんは落合さんがVenture Capital型の先進的な分野を担う少数の人々

          落合陽一 東浩紀の対談を聞いて(Weekly Ochiai)

          教育を考える <国語、数学、理科>

          教育を変革すべきだ、というようなことは、よく言われる。そして非常にゆっくりではあるが、日本の学校教育も変わってきているようである。最近でもセンター試験が廃止されたことが記憶に新しい。だが現存の教育のシステムを援用していくという前提があるから、カリキュラムなんかも本当にゆっくりとしか変えられないのが、社会システムの性である。こういうことを見ていると生物の進化のようだと思う。あまりに突然変異の割合が大きいともし適応できなかった時にすぐ絶滅してしまうので、変化をなるべく少なくしよう

          教育を考える <国語、数学、理科>

          ヤマザキマリ 壁とともに生きる

          この本はテルマエロマエを書いた漫画家のヤマザキマリが、自身が貧しい芸術家だった時代に読み耽っていた安部公房の作品について、当時の作者と自分の境遇を重ねながら、説明していくものだった。 僕自身も一時期安部公房の作品をいくつか読んでいたことがあって、中学の時の読書感想文を赤い繭で書いた記憶がある。一番最初に読んだ新潮社の「壁」の第三部にある作品である。 自分が今ちょうど就職をしようとして就職活動などをしていることから、壁というものを人間社会へ人を同調させる圧力だという議論には

          ヤマザキマリ 壁とともに生きる

          疑問への疑問

          私は何者なのか、そんな問いに答えはない。あるいは答えなんて分かりきっているとも言える。人間社会においては1998年に生まれた今は大学院生の男性で、就活もろくにせず他に何かしているというほどでもない生活をしている人間だ、と言えるし、科学っぽい言い方をすれば有機物の分子の集合体が膜の中に入ったり出たりしながらも形を保って24年間ウヨウヨしてきたものでもあるし、あるいは私という自意識にとって私だと思える唯一の意識だ、という説明もできるだろう。 でもそんな答えだったらあってもなくて

          疑問への疑問

          有限恐怖症と怖いもの見たさ

          左のもみあげに出来たにきびから血が流れている。それが借りてきた本に付かないように手を洗いつつも、久しぶりに見た自分の血に、少しの高揚感を感じる。唯一私が自由に流すことのできる血のはずである。 二日間風呂に入っていないので、体からも衣服からもどことなく獣のような匂いがする。これも当たり前のことでありながらどことなく新鮮で嬉しい。日々訳のわからないことで頭を悩ましながらも、実際には何もしていない人間の出来損ないのような自分でも、動物ではしっかりとあるらしい。いくら自我と他者の意

          有限恐怖症と怖いもの見たさ

          決断主義のその先を考える(2)

          (1)では、「大きな物語」の崩壊により自らの身体性に基づいて自分が生きるための「小さな物語」を要請された個人が、少数のインフルエンサーの提供する価値観を「編集し、リミックスした個性」を決断主義的に作り、その物語に自分を適合させていくという過程について考えた。 そのようにして、ゼロから作ることなく、比較的手軽に自分の物語を作成することでアイデンティティの危機をやりすごそうとするのであるが、このようなつぎはぎされたアイデンティティには常に不安定さが含まれるのではないかという懸念

          決断主義のその先を考える(2)

          決断主義のその先を考える(1)

          以前宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」を読んだ。そこで言われていたことの中で最も僕の中に残ったキーワードは、「決断主義」というものだった。これは宗教や、国家、経済成長、などといった「大きな物語」が解体されて、個人個人が紡ぎ出す「小さな物語」だけが残った、という現代の状況の中で、まるでゲームをクリアしていくように、目の前の課題を、深く考えることなくどんどん判断して解決していく、という姿勢のことのようだ。 こういった考えの延長で、2010〜の現代の個人がどのような価値観を持って生き

          決断主義のその先を考える(1)

          花は美しい?

          以前noteの中で、木についての記事を書いたことがある。 木は、僕らにとっては葉っぱの部分や枝の部分が主要な部位に見えるけれども、実際には地面に埋まっていて普段は目に見えない根っこの部分が、土壌中の様々な細菌などと相互作用しながら情報を密に交換している。これは人間でいう脳みそのような働きを根っこがしているように僕には思えて、木は実は頭を土に突っ込んで逆立ちしているようなものなのではないか、と書いたのだった。実際これはそこまで的外れでもないようで、少し前のNHK特番でダーウィン

          花は美しい?

          実現したいことリスト

          ・紅の豚のように、自分で飛行機を運転してアドリア海を飛ぶ ・郊外の家と景色の良い自然の中の家との二拠点生活をする(サブスクリプションなどを利用した多拠点生活もありかも) ・自分が読書をする用の小屋をセルフビルドする ・家の中の景色の良いところにハンモックを置く ・家にアトリエを置き、絵画や彫刻、陶芸などをする ・作曲をできるようになる ・ピアノを弾けるようになって「愛の夢」や「幻想即興曲」を弾く ・フランス語を読めるようになり、「人間の土地」をフランス語で読む ・ガロア理論を

          実現したいことリスト

          自分テーマ

          自分が常日頃考えてしまっている、あるいは興味を持っていることを自分のテーマ、として、メモしておこう。 こういったテーマの中から一生追求したいものが分かってくるかもしれないし、自分の興味は何か、どういったことに軸を置くのかってことも多分分かってくるんじゃないかなと思いまして。 これも随時追加していくタイプのリストにしたい。すぐ忘れてしまいそうだけど。ちなみに忘却ということの意味を考えるのも面白いテーマかもしれない。 <テーマ> ・資本主義、新自由主義の弊害、そこからの脱却

          自分テーマ

          持続可能な社会と、持続不可能な私

          「持続可能な社会」、という訳語の日本語に違和感を感じる、という話もあるが、まあそれはさておき、持続可能な社会、という言葉に若干の空々しさを感じるのは何故だろうか。 持続可能、というのを文字通り受け取れば現状と同じ生活を保持できる、ということになると思うが、一方で世の中では持続可能な成長、というようなものを思い描いていることも多い。 しかし、成長し続けるなんてことは普通に考えてあり得ないだろう。今までしてきたことというのは、結局のところ、成長し続けていると思ったら有限の資源

          持続可能な社会と、持続不可能な私

          トラウマと、私の中の小さな他者たち

          最近「トラウマによる解離からの回復」という本を読んでいる。 なぜ気になったかといえば、外の人からは「悟っていて」親切そうにみられていても、近親者からは不躾で、横暴だと思われていたりする、といった内容や、頭痛、激しい眠気、ガチガチになって上がった右肩、人と親密になりすぎることを拒絶する、人を理想化して失望する、人の表情を常に窺ってしまう、などといった傾向が、自分の傾向や、今悩んでいる症状にとても似ていると思ったからである。こういったことに悩んでいるひとは結構いるのだろうか。も

          トラウマと、私の中の小さな他者たち