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ランニング男と怠惰女、人生を走る

ランニング男と暮らしている。

どんな病気も体調不良も、ランニングさえすれば治ると信じてやまない男だ。風邪をひいたことを話すといつも、「それなら走らないとね」と言ってくる。ランニング信者、ランニング至上主義者ともいえるだろう。

彼は毎週の土日に必ず10キロ走る。雨の日以外は必ず走る。熱があるときも、胃の調子が悪いときも走る。健康のためだという。

このランニングに毎週付き合わされているのが、私、怠惰女だ。

中高と陸上部に所属していたにもかかわらず、まったくといっていいほど持久力がなく根っからの長距離嫌い。

とくに大学生になってからは運動不足で体力が落ち、1〜2キロ走るだけでも息が上がるようになった。

長距離走といえば、「辛い」「苦しい」「疲れる」の三重苦。

そんなイメージしかない。

なぜせっかくの休みの日にわざわざ10キロも走らなければならないのか。苦行を強いられなければならないのか。

いくら健康のためと言われても、私には受け入れられない!

だからランニングに誘われても、一緒に走るのは断固として拒否している。ひとりで公園の周りをゆっくりと1、2週走り、それ以降は自転車に乗ってランニング男のペースメーカー兼応援役を務めるのが常だ。

ランニング男の走りは安定している。肩や腰の位置にブレがなく、左右の揺れもほとんどない。エネルギーロスが少ない走りだ。走っているときまで効率がいいなんて…!と思わず嫉妬してしまう(*1)。

さらにスピードも一定で、息遣いにも顔色にも、大きな変化はみられない。

そのせいか、ランニング中のランニング男は機械のようにみえることがある。同じ動きで、同じリズムを刻み続けるメトロノーム。いや、工場でムダのない動きを続ける鉄の塊。

動いているのにその場に止まっている。まさにそんな感じだ。ちゃんと前に進んでいるのかな?と疑ってしまうことだってある。

でも、彼は着実に前に進んでいる。
その足でぐっと地面に踏み込み力を伝え、反発を受け、腿を上げ、腕を振って風を切り、前に進んでいるのだ。

彼の筋肉もちゃんとタンパク質でできていて、血が通っていて、走れば疲労するのだろう。終盤になると若干息が乱れているのがわかるし、手をしっかり振ろうともがく様子もみえる。体幹もほんのちょっとだけゆがんでいる。ラストには力を振り絞ってスパートをかけることもある。

自転車で楽をしておきながら失礼な話だが、彼の微かな変化を見つけるにつけ私は安心する。

「ああ、ちゃんと疲れてるんだ。機械じゃないんだ」と。

一方の私はといえば、しょっぱなから縦にも横にもブレブレなフォーム。上り坂で一気にスピードダウンし、下り坂で一気にスピードアップする。 疲れたら疲れたと言うし、膝が痛めば目標地点にたどり着いていなくても歩き始める。気分によって走る距離もスピードも変わる。

途中からはひとかけらの後ろめたさも感じることなく自転車に乗り換えて伴走し、ランニング男を応援したり笑わせたりする。それにも飽きたら、つまんないなあ、とあくびをしながら惰性で自転車に乗り続ける。あるいはランニングを実況して暇をつぶしつつ、お昼はなにを食べようかな〜なんて考える。


そんな対照的な走りに、どうしても重ねてしまうものがある。

それはふたりの人生、生き方そのものだ。

大げさかもしれないし、こじつけかもしれない。ランニングに対するモチベーションや体力がそもそも違うんだから、比べるには無理があることもわかっている。

でもランニングには私たちそれぞれの人生が、そして人となりが集約されているような気がしてならない。

ランニング男は家でも職場でも15年以上、日々やるべきことをコツコツと確実にこなしてきた人間だ。厳しい男社会の現場でそこそこ上手くやっているし、家事が得意で生活力も高い。急な坂道にもハードルにも動じず、疲れても愚痴や弱音をほとんど吐かず、何事もなかったかのように過ごしている。

地に足をつけて働き、毎日のルーティンを欠かさずこなして暮らし(*2)を整える。ミニマリストで、同じものをずっと買い続けても飽きない。将来を見据えてしっかりお金を管理するし、毎日体重計に乗って内臓脂肪レベルをはかる(内臓脂肪レベルには問題アリなのだがそこには触れないでおこう)。

対する私は偶然や変化を好む性格で、縛られるのが苦手。官僚組織からベンチャー企業に行き、しまいにはフリーランスになった。思い立ったらそれしか見えなくなるから、自分で自分についていくのが精一杯という感じだ。

人の影響を受けやすく、すぐに笑い、すぐに泣く。嬉しいときも嫌なときもすぐ顔にでる。良くも悪くもとりあえずワクワクするほうを選び、石橋を叩き忘れる。遠い将来を見据えて動くのも、少しずつ進めるのも得意じゃない。好きなことでもない限りは、地道な努力を続けられない。

ひとつやろうと思ったらペース配分を考えずに突進する、短距離走のような人間だ。一気集中型で、目の前にあるトラックと十数秒間のことだけを考えて生きている。

きっと私は逆立ちしてもランニング男のようにはなれないし、ランニング男も私のようにはなれない。そのことがわかっているから、私は彼のことを心の底から尊敬していて、たぶん彼も私を尊敬している。互いのランニングスタイルを近くで眺めることが、人生のスパイスになっているのだ。



さあ、明日もランニングだ。


どんな景色がみえるだろう。どんな風が吹くのだろう。
どんな人生を走るんだろう。


楽しみにして、今夜も目を閉じることにする。



(*1)ランニング男は家事が大の得意。私にはまねできない作業効率でテキパキこなす。

(*2)彼にとって「暮らし」は特別なことばだ。「生活」と「暮らし」では天と地ほどの差がある。生きるために最低限必要な活動を「生活」、毎日を丁寧に生きることを「暮らし」と呼んでいる。


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