小森俊司(書籍編集者)

1979年滋賀県出身。2004年致知出版社入社。1年半をかけて編集した『1日1話、読め…

小森俊司(書籍編集者)

1979年滋賀県出身。2004年致知出版社入社。1年半をかけて編集した『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』が31万部のベストセラーに。読者が選ぶビジネス書グランプリ2022 総合グランプリ受賞。約800ページの大作『一生学べる仕事力大全』の編集を担当。

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  • 人間学を追究する書籍編集者のnote

    一冊一冊の書籍の誕生にこめられた思い、編集秘話などを綴っています。

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「君みたいな人間は、東京に行って潰されてきたらいい」と言われた日。19歳の挫折と誓い

中学2年の時から、コピーライターになりたいと思っていた。 コピー1行100万円。 そんなマスコミの触れ込みにすっかり魅せられた僕は、将来の道を14歳で定め、すこ…

792頁の衝撃。一生学べる仕事力大全

きっかけは、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』の刊行後、 「この本の元となった記事の全文をぜひ読んでみたい」という声がたくさん寄せられたこと…

1年で約500店舗が減少。街の書店は本当に世の中に必要とされなくなっているのか?

今年4月。東京・赤坂の某書店にこんな貼り紙が掲示された。 書店員の悲痛な叫びが記されている。文教堂赤坂店の開店は1995年。一等地のオフィス街でビジネスマンによく利…

上島竜兵さんの死に想う−−ダチョウ倶楽部の生き様に教わったこと

上島竜兵さんが死んだ。 いまでもまだ信じられない。悪い夢でも見ているようだ。 死因は自殺と聞いている。そんな馬鹿なことがあるものか。 だって、上島さんはいつも何…

入社試験に一度落っこちた僕が、39歳で会社史上最大のベストセラーを思いつくまで

運命の雑誌との出逢い「7、8月は繁忙期になるので、うちでバイトをしながら、出版社への就職活動をしてみてはどうか」 東京の編集プロダクションの社長から、そんなメ…

2021年のベストビジネス書――『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

魂が震えるような文章に出合った。30代のある男性書店員の方が、個人のTwitterに投稿されていた一文だ。文章を読んで、これほど胸が熱くなったことはほとんど記憶にない…

ベストセラー解剖『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

「書籍の時代はもう終わったと思っていた。でもこの本を読んで、それは間違いだったと思った」 このほど、弊社より『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(…

『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』ができるまで

11月30日に刊行された『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』が売れている。 発売前から何度も増刷がかかり、12月8日現在で7刷、4万部を突破し…

24歳、無職の僕を救ってくれた二人の女性からの手紙

24歳のとき、定職に就くことができずに困った。 その頃、二人の女性から手紙をもらった。 その手紙に救われて、いまの自分があると思う。 一人は祖母。 当時、僕は滋…

社員のご遺族の葬儀に参列して――かなしみはみんな話してはならない

2008年に、月刊『致知』が創刊30周年を迎えた時、自社から配信しているメルマガの企画として、それぞれの心に残った言葉を社員一人ひとりが綴っていくこととなった。…

高校を卒業する僕らに「二度とこの学校には来ないでください」と口にした女性教師の真意

高校卒業を間近に控えたある日、家庭科の先生から言われた言葉が忘れられない。 その日は普通授業の最終日。各教科の先生方はそれぞれ、「ここはみなさんの母校です。困っ…

齋藤孝先生が“理想の小学国語教科書”をつくった理由。中2で習う『走れメロス』に小学1年生が歓喜する

精神の成熟に繋がるようなテキストを   致知出版社から、まもなく一冊の本が世に出ようとしている。   『齋藤孝のこくご教科書 小学1年生』   あの『にほんごであそぼ…

装幀界の巨匠・川上成夫さんから教わったこと――「魂を込めて作った本は必ず伝わるんだよ」

川上成夫先生が亡くなった。 いまでもまだ、信じられない。   秋に突然入院されたと聞いたから、慌てて見舞いに行ったら、事務所からMacを持ち込んで、「ここで仕事を…

本当の恩返しとは、いま自分自身が燃えて生きることーー亡き恩人へ捧ぐ

今年8月、僕の恩人が亡くなった。 「編集の仕事がしたい」という一心で、滋賀の田舎から夜行バスに乗って面接に押しかけた僕を、その編集プロダクションの社長は温かく受…

ママ、死にたいなら死んでもいいよ――17歳の岸田奈美さんが下半身麻痺の母に放った言葉

その日、岸田奈美さんから届く原稿を待っていた。 最後にひとつだけ残っている、巻末の「娘から母への手紙」。 約束は早朝6時。でも、もし早く送ってきてくださった時の…

一つの雑誌に、恋い焦がれるような感情を抱いた24歳の冬。

その出版社の採用試験に、僕は一度落ちた。心が引き裂かれそうだった。出している雑誌があまりに眩しすぎたから。他と比べようがなかったから。 どうしても忘れることがで…

「君みたいな人間は、東京に行って潰されてきたらいい」と言われた日。19歳の挫折と誓い

中学2年の時から、コピーライターになりたいと思っていた。

コピー1行100万円。

そんなマスコミの触れ込みにすっかり魅せられた僕は、将来の道を14歳で定め、すこし背伸びをしながらいくつかの広告雑誌に目を通してもいた。

大学に入学したのも、コピーライターになるのに有利だと聞いたからで、正直なところ、入れる大学があればどこでもよかった。

そして大学1年の5月から、宣伝会議が主宰するコピーライタ

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792頁の衝撃。一生学べる仕事力大全

792頁の衝撃。一生学べる仕事力大全

きっかけは、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』の刊行後、
「この本の元となった記事の全文をぜひ読んでみたい」という声がたくさん寄せられたことにありました。

さっそく選定作業に取りかかったものの、困ったのはどの記事を入れ、どの記事を削るかという問題です。

どの記事もぜひ入れたい、思い入れのあるものばかり……。

それならば、いっそのこと、すべて一冊に詰め込んでしまおうと発想を

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1年で約500店舗が減少。街の書店は本当に世の中に必要とされなくなっているのか?

1年で約500店舗が減少。街の書店は本当に世の中に必要とされなくなっているのか?

今年4月。東京・赤坂の某書店にこんな貼り紙が掲示された。

書店員の悲痛な叫びが記されている。文教堂赤坂店の開店は1995年。一等地のオフィス街でビジネスマンによく利用され、27年間続いてきたが、今年6月17日をもって閉店となった。

一方、東京・上野にあった明正堂アトレ上野店の創業は、1912年。老舗書店として今年創業110年を迎えたが、GW明けの5月10日をもって閉店となった。

いずれも地区

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上島竜兵さんの死に想う−−ダチョウ倶楽部の生き様に教わったこと

上島竜兵さんの死に想う−−ダチョウ倶楽部の生き様に教わったこと

上島竜兵さんが死んだ。

いまでもまだ信じられない。悪い夢でも見ているようだ。
死因は自殺と聞いている。そんな馬鹿なことがあるものか。

だって、上島さんはいつも何かに挑んでいる人だったから。いつも何かに食ってかかり、食ってかかることで存在感を発揮する人だったから。

         * *

上島さんは、僕が編集者の道に進むための力をくれた人の一人だ。

大学生の頃、将来は活字の世界で生きてい

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入社試験に一度落っこちた僕が、39歳で会社史上最大のベストセラーを思いつくまで

入社試験に一度落っこちた僕が、39歳で会社史上最大のベストセラーを思いつくまで


運命の雑誌との出逢い「7、8月は繁忙期になるので、うちでバイトをしながら、出版社への就職活動をしてみてはどうか」

東京の編集プロダクションの社長から、そんなメールをいただいたのは、25歳の時だった。

滋賀の田舎からアルバイトの面接に行った翌週、不採用通知のメールが届いたものの、その返信に10本の企画書を添付して送った熱意を買ってもらえたのか、ともかくも上京の機会を得た。

憧れていた東京の編

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2021年のベストビジネス書――『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

2021年のベストビジネス書――『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

魂が震えるような文章に出合った。30代のある男性書店員の方が、個人のTwitterに投稿されていた一文だ。文章を読んで、これほど胸が熱くなったことはほとんど記憶にない。

弊社社長もたいへん感動し、全社員の前で、全文を読み上げてくれた。読み終えた瞬間、示し合わせたかのように、万雷の拍手が湧き起こった。そしてそれは、しばらくの間、やむことがなかった。

もちろん、文章力自体が卓越しているが、その上手

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ベストセラー解剖『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

ベストセラー解剖『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』

「書籍の時代はもう終わったと思っていた。でもこの本を読んで、それは間違いだったと思った」

このほど、弊社より『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(藤尾秀昭 監修、致知出版社)を刊行したが、登場者の一人に見本書籍を送った後、こんな電話をいただいた。

本書は創刊42年の歴史を持つ定期購読の月刊誌『致知』のインタビューや弊社書籍の中から、人間力・仕事力が身につく記事を365篇選び抜

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『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』ができるまで

『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』ができるまで

11月30日に刊行された『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』が売れている。

発売前から何度も増刷がかかり、12月8日現在で7刷、4万部を突破した。いまも日々、全国の書店から注文が相次いでいる。この勢いは今後さらに加速していくことだろう。

本書をつくる基となった月刊『致知』は、42年続く定期購読誌だが、「この雑誌だけは読み捨てられない」といって、何十年分にもわたるバックナンバー

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24歳、無職の僕を救ってくれた二人の女性からの手紙

24歳、無職の僕を救ってくれた二人の女性からの手紙

24歳のとき、定職に就くことができずに困った。

その頃、二人の女性から手紙をもらった。
その手紙に救われて、いまの自分があると思う。

一人は祖母。

当時、僕は滋賀にある祖母の家に一年間、居候をしていた。大学を卒業する頃になっても就職活動はせず、フリーライターで食べていくと決めていたが、何の実績もない僕に、ライターとしての仕事など簡単に入ってくるはずもない。

周りの友人には体のよい理由をつけ

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社員のご遺族の葬儀に参列して――かなしみはみんな話してはならない

社員のご遺族の葬儀に参列して――かなしみはみんな話してはならない

2008年に、月刊『致知』が創刊30周年を迎えた時、自社から配信しているメルマガの企画として、それぞれの心に残った言葉を社員一人ひとりが綴っていくこととなった。

新人から役員まで、紹介される言葉や、まつわるエピソードは多岐にわたったが、自分の心に最も強く残ったのは、後藤直さん(当時60歳)という社員の文章だった。

      * *

致知出版社社員が選んだ『致知』の名言
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高校を卒業する僕らに「二度とこの学校には来ないでください」と口にした女性教師の真意

高校を卒業する僕らに「二度とこの学校には来ないでください」と口にした女性教師の真意

高校卒業を間近に控えたある日、家庭科の先生から言われた言葉が忘れられない。

その日は普通授業の最終日。各教科の先生方はそれぞれ、「ここはみなさんの母校です。困ったことがあったり、先生に会いたくなったりしたら、またいつでも遊びに来てください」と話し、最後の授業を終えていた。

そんな中、50代半ばくらいの、加藤登紀子似の家庭科の先生だけがこんなことを言った。

「卒業後、先生や後輩に会いに、学校へ

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齋藤孝先生が“理想の小学国語教科書”をつくった理由。中2で習う『走れメロス』に小学1年生が歓喜する

齋藤孝先生が“理想の小学国語教科書”をつくった理由。中2で習う『走れメロス』に小学1年生が歓喜する

精神の成熟に繋がるようなテキストを
 
致知出版社から、まもなく一冊の本が世に出ようとしている。
 
『齋藤孝のこくご教科書 小学1年生』
 
あの『にほんごであそぼ』(NHK Eテレ)の総合指導も務める齋藤孝先生が監修した、小学1年生向け“理想の国語教科書”である。
 
きっかけはこんなことからだった。ある日、打ち合わせをしていると、齋藤先生がふと、「いまの小学生の国語教科書は、絵と写真とひらが

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装幀界の巨匠・川上成夫さんから教わったこと――「魂を込めて作った本は必ず伝わるんだよ」

装幀界の巨匠・川上成夫さんから教わったこと――「魂を込めて作った本は必ず伝わるんだよ」

川上成夫先生が亡くなった。

いまでもまだ、信じられない。
 
秋に突然入院されたと聞いたから、慌てて見舞いに行ったら、事務所からMacを持ち込んで、「ここで仕事をするんだ」と笑っていた。
 
あれ? パソコンは使えない人じゃなかったか……と思ったら、会社のスタッフを通わせて、直接指示を出すんだ、という。
 
事務所からは、そこそこ距離もある。ここまで来る女性スタッフのほうが大変そうだな、と思った

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本当の恩返しとは、いま自分自身が燃えて生きることーー亡き恩人へ捧ぐ

本当の恩返しとは、いま自分自身が燃えて生きることーー亡き恩人へ捧ぐ

今年8月、僕の恩人が亡くなった。

「編集の仕事がしたい」という一心で、滋賀の田舎から夜行バスに乗って面接に押しかけた僕を、その編集プロダクションの社長は温かく受け止め、上京のきっかけをつくってくださったのである。

人生で、初めてまともに接する東京人。ひそかに憧れていた標準語のイントネーションも、切れ味の鋭い質問や、ちょっとした身のこなしも、そのすべてがまぶしかった。

僕はこの社長のもとでアル

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ママ、死にたいなら死んでもいいよ――17歳の岸田奈美さんが下半身麻痺の母に放った言葉

ママ、死にたいなら死んでもいいよ――17歳の岸田奈美さんが下半身麻痺の母に放った言葉

その日、岸田奈美さんから届く原稿を待っていた。

最後にひとつだけ残っている、巻末の「娘から母への手紙」。

約束は早朝6時。でも、もし早く送ってきてくださった時のために、深夜2時からパソコンをつけてスタンバイしていた。真っ先に目を通そうと思っていた。奈美さんの頑張りに応えることはもちろん、自分が純粋に、その原稿を早く読みたかったからでもある。

そして、午前2時30分。原稿は届いた。

「娘から

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一つの雑誌に、恋い焦がれるような感情を抱いた24歳の冬。

一つの雑誌に、恋い焦がれるような感情を抱いた24歳の冬。

その出版社の採用試験に、僕は一度落ちた。心が引き裂かれそうだった。出している雑誌があまりに眩しすぎたから。他と比べようがなかったから。

どうしても忘れることができず、雑誌の束を紐で縛り、押し入れに入れて、見えなくした。でも朝目覚めると、またその雑誌のことを考えている自分がいた。

一つの雑誌に、恋愛のように恋い焦がれる感情を抱いた。24歳の冬だった。

あれから16年。僕はその雑誌をつくる出版社

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