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ありのままの自分と特上のお寿司

■カウンセリングで感じること

なかなか本当の自分で生きるのは難しいものだと思います。

人は人の中で生きるので、やっぱり人に影響されますし、それが嫌だからと一匹狼の道を選んでも、孤独を感じれば拗ねたり偏屈になったりしてしまう。

学者やクリエイターが強いのは、その孤独を感じないほどやりたい事がひっきりなしにあるからなんだろうと思います。変人扱いされても何処吹く風の人が多いように見えますよね。
最近亡くなられたムツゴロウさんはその代表ではないでしょうか。子どもの頃はTVを見て憧れたものです。(ご冥福をお祈りいたします)

人の暮らしに馴染み、受け入れられることが多くの人達の望みです。それが安定感のあるメンタリティの基礎とも言えます。吉野源三郎さんのベストセラー「君たちはどう生きるか」に出てくる「共同体感覚」ですね。

ただ、それが叶わなくなっている。
と言うより、共同体(社会の枠組み)の中で暮らしてはいるけれど、本当の自分を見失ってしまって孤独を感じている人が多いように思います。
そもそも見失っていることにも気づけず苦しんでいるようにも見えます。

ちゃんと仕事して家計を整え、自分のお世話も家族のお世話もしているのに「自分はダメだ」と思ってしまう。
はたまた、誰かの言葉、誰かの態度が気になって夜も眠れないほどイライラしたり不安になったり。

人として十分社会性もあり、お話しも上手だし、笑顔も素敵。安定した幸せな日々を暮らしておられるような方たちが自分を責めてしまう。私などはお話しを聞いていて「いいなぁ」と思うことも度々あります。

■特上のお寿司

一番多く感じるのは「私には自分を幸せにする力はない」と頭から決めてしまっているケースです。悪く言うと自尊心の欠如。良く言うと従順で素直な人たちです。

幸せの定義にもよりますが、人は誰しも自分を幸せにする力は持っています。他人を幸せにすることは出来なくとも、自分は自分で幸せにできます。

その幸せの定義が自分の力の及ばないほど大きなものだった場合、人は「誰かに幸せにしてもらおう」となります。
もしくは完璧な人間像を目標にしてしまい、そこにたどり着けない自分を否定し続けることで現実を見ないようにしてしまいます。
どちらも自分の器、持って生まれた個性、運、などを慈しみ愛することができない苦悩があります。ありのまま・・を受け入れられないんですね。

今の私には幸せになる力がない。そう信じてしまうと、今の自分はダメで、いつか幸せになった自分が正解だと勘違いしてまいます。

例えば
「私は毎日特上のお寿司を食べるのが幸せの基準」
という人と
「私は1ヶ月に1回特上のお寿司を食べるのが幸せの基準」
という人とでは、幸せになる為の必要なお金が全く違います。

特上のお寿司を3,000円とした場合、毎日の人は9万円が必要になります。
片や、月一の人は3,000円で幸せになれます。
この低迷している日本経済で90,000円を捻出するのはかなりのハードルです。

毎日特上を食べなければ幸せになれないと信じてしまうと、稼げない自分や衝動買いする自分を否定することになります。「なんて無能なんだ」「なんて意思が弱いんだ」と自分で自分を責めます。

特上のお寿司は特別だから高いんですね。ありのままではなく特別です。でも、現代人の多くは自分に特別を求めすぎているように感じます。

■湧き出る幸せ、人にもらう幸せ

私の友人に食べることが何よりの楽しみ!という人がいます。仕事で帰るのが20時になり疲れていたとしても、そこから台所に立って食べたいものを作る日もあるそうです。

以前遊びに行った時に驚きつつ笑ったのが、カップ麺でさえお湯を入れた瞬間タイマーをかけたこと。どんなものでも一番おいしい状態で楽しむのがポリシーなのだとか。私は食に対してあまりこだわりがないので、伸びていても硬くても気になりません。彼女に言わせれば「幸せになるチャンスを逃している」状態なのでしょう。

彼女は自分を幸せにすることができる女性です。人から見てどうかは全く関係ないんですね。自分の中から湧き出る幸せに素直に反応すれば、誰でも自分を幸せにするのは簡単なことなんです。

反面、昔、「いいのいいの。大丈夫よ〜。」が口癖のような知り合いがいましたが、言葉の端々に「私って凄いのよ。」が垣間見える人でした。話していると小さなナイフがたまにチクチク刺さるような感覚とでも言いましょうか。楽しく話しているのになんとなくモヤモヤしたものが残る相手でした。

その人は幸せとは自分らしくあることだと頭では理解しているけれど、心が自分らしさを受け入れられていないので、「自分の凄さをアピールせずにはいられない」不安定なオーラを放っていました。
その不安定さを小さなマウントや控えめな自慢で打ち消そうとしていたんですね。

実はこういう人は意外と多くて、昔の私もそうだったように思います。自分の中の影の部分を一生懸命隠そうとする。だから話の辻褄が合わなかったり、人に会うとボロが出ないように緊張したりします。要するに理性と感情が内部分裂を起こしている状態。どっちが自分か分からないんですね。

こういう状態は、相手の評価によって自分の幸せや価値が決まるのでいつも不安定です。カップ麺の食べ方さえ正解を探すことになってしまいます。自分の「おいしい」の基準を信じられないのですね。

そしてちっぽけで臆病な自分を隠すために人を使ってしまう。
「あなたより優秀ですよ」とマウントを取ったり、「私はいい人ですよ」と笑顔で相手をコントロールしようとしたり。ありのままの自分を相手に評価してもらうのが怖いんです。

ただ、一見嫌な人に見えそうですが、本当のその人はきっと愛すべき個性を持っています。ナチュラルに自分を表現できれば、誰だって深い人間関係が作れるはず。自然体でいられないその根っこに目を向ける必要があります。

マウントを取ったり嫌味を言ったりする人の根底には、そんな不安や恐怖があるものです。

■自分を愛する力

こんなチグハグの表現をしてしまうのは、自分を愛する力が弱いから起こる現象です。自己愛(自分を愛する力)の問題を抱えている状態。日本人にはとても多いと言われています。

相手にこう思わせよう、というのはコントロールです。
例えば愛想笑いという技があります。愛想笑いは相手におもねる態度であってコントロールではないように見えますが、実は笑顔によって「敵意はありません」と示して安心させようというコントロールなんですね。

人は誰しもコントロールされたくありません。自由意思で生きていたい本能があります。なので宗教の勧誘や不安をあおるような営業をうざったく感じるのはその為なんですね。

これが人付き合いに持ち込まれると、人はその人を敬遠するようになります。なんだか居心地が悪いんですね。
「ありのままを見てください」と言われるのと「こう見てください」と言われるのでは、相手に対する居心地の良さは雲泥の差です。お世辞ばかり言う人を信用できないようなものです。
これでは心の通った人間関係は作れません。

反面、笑顔が素直に表現される人もいます。人柄が滲み出て心地の良い安心感を与えてくれる笑顔。
これはコントロールではなくおもてなしです。「ありのままのあなたでいいよ」という愛情表現。これができる人はありのままの自分を受け入れている人です。言わば、自分を愛せているので心に愛が溢れ、溢れた愛情を相手に渡せているんですね。

■受け入れればどうってことない

ありのままを受け入れありのままで生きることがどれほど大切かが分かります。ありのままを受け入れることは人生を左右すると言っても過言ではないでしょう。人間関係が変われば人生は変わりますから。

でも実際は、ありのままを受け入れるのはとても怖いものです。そもそも人間関係に勝ち負けを持ち込んだり、上下で測ったり、人をコントロールしようとしてしまうのも、子どもの頃の親の態度によって、それが唯一の生存戦略だったからかもしれません。

泣くとけなされ、負ければののしられ、失敗すれば笑われる。愛してもらうために愛想笑いをしなければならなかったかもしれません。
そんな環境では大人だって心の成長は不可能です。できたとしても常に戦闘態勢でいなければいけないので安心感は育ちません。

ただ、どんなに醜くても、どんなにみじめでも。弱くても情けなくても、いったん受け入れてしまえば意外とどうということは無く思えてきます。
教会に行って懺悔すると心が軽くなるようなもので、口から出すことで受け入れやすくなります。

■秘密の副作用

口から出すと言えば、家族の秘密を抱える子どもは「自分は他の子のように子どもらしく遊んではいけない」と漠然と思うそうです。ヤングケアラーが大人びて見えるのはそのせいです。

親の病気や心の不安定。夫婦仲の問題。貧困や失業などの課題によって幼い子どもが秘密を抱えることで、ありのままの「子どもらしい自分」を出せなくなってしまうのですね。秘密の副作用です。

秘密は誰にもあって当然です。ただ、理想の人間像に囚われてしまって、弱い自分を秘密にすると毎日が生きづらくなっていきます。ヤングケアラーと同様、ありのままでいられなくなります。
本来、弱い自分は罪ではなく魅力です。それが自己開示することで腑に落ちていくんですね。

カウンセリングでは、怒り出したり号泣されたりすることがありますが、私はとてもいいことだと思っています。今まで封じ込めていたありのままの自分を、ようやく解放されたのだと感じます。

家族以外に感情的になることに恥の感覚を持たれる人は多いです。みっともないとも感じるようです。ただ、ありのままを受けいれるためには、その恥ずかしさやみっともなさを体験するのも必要な行程です。
カウンセラーに気を使って笑いかけるよりもよっぽど費用対効果が高いと言えます。

■最後に

ありのままとは相手をコントロールしようとしなくなることです。評価は相手に任せるので気楽です。そうなって初めて、自分の人生を自分で歩いている状態と言えるでしょう。

ありのままの自分を愛せると人も愛せるようになります。安心感のある笑顔を人に渡せるようにもなるでしょう。そうなれば自然と自尊心も上がっていき、行動や挑戦が増えていきます。人生が好転を始めるんですね。

来週からありのままの自分を受け入れるための集中セッションプログラムを始めます。現在行っているインナーチャイルドを癒すセッションや、アダルトチルドレンのセッションもそのプログラムの一つです。

これを1週間に1回1時間、トータル12週間の集中セッションプログラムで組みました。一人一人の状態に合わせて内容を組み替える形です。

当初はセッションは予定しておりませんでしたが、最近問題とされている
・子どもの摂食障害
・子どもの自閉症傾向
・子どもの自傷行為
・子どもの無気力
・親の無関心
・親の情緒不安定
・親の虐待行為
などがリアルに私の周りでも聞こえ始め、これは集中セッションが必要だと急遽プログラムを作ることにしました。(ある小学校では根性焼の跡があった子どももいたとの情報もあります)

ありのままを受け入れることが、自分も大切な人も守ることに繋がります。
一人ではできない!という方はぜひお役立てください。
苦しみから解放され、心からの笑顔と安心を取り戻してください。

集中プログラムが無理でも、個別カウンセリングでその都度ご相談も頂けます。
子どもを守るために、まずは大人がありのままの自分を受け入れましょう。
きっと人生が好転を始めますよ。

お問い合わせ、お申し込みは下記公式LINEからお願いします。
一緒に「ありのままの自分」を発掘していきましょう。

ありのままの自分を受け入れる
「12週間集中プログラム」募集開始!


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