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紘野涼のフリーハンド

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野球の有料マガジン「スワローズ観察日記R別館」を書いている紘野涼の別の世界観です。
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記事一覧

キャッチボール

先日、乗っていたバスが信号で止まったとき、道沿いにある広場で、小学校の3、4年生だろうか、少年が父親を相手にキャッチボールをしていたのが見えた。 僕が幼いときはごくありふれた風景だったが、最近ではめずらしい。 少年はあまり上手ではないようで、ゆるいボールを父親に投げ、返されたボールを落としていた。 悔しそうにボールを追いかける少年に、父親は身振りで「こうして捕るんだ」と伝えながら笑顔を見せている。 微笑ましいキャッチボール。 陽が暮れかかった中で、白球がふわりと放物線を描いて

台座となった人へ

「人間には世に出て行く奴と、そいつが出て行くために必要だった奴がいる。お前は世に出て行く奴で、オレはお前を世に出すために出会ったんだ。お前が有名になっても、オレの名前を誰かに言う必要はない。ただ、忘れないで欲しい」 誰とも出会わずに、ひょっこり世間に出てきて名を残す人は皆無だ。 人が生まれるにはまず親がいる。そして生きて行く間に、必ず他人と関わる。 良い、悪いと言うのはあったとしても、少なからず人は誰かに影響を受けたり、与えたりしながら生きていく。 歴史に名を残し英雄と呼

好みの違いもいずれは…

友人からもらった日本酒を飲みながら、本を読んでいる。 時折雨戸を叩く風の音が聞こえる意外は静かな夜だ。 まさか自分が日本酒を飲めるようになるとは思わなかった。 10代の頃、いたずらにビールを飲んで気持ち悪くなり、それ以来自分は酒が弱いのだと思っていた。 それから酒の席でも、飲んでいるふりをしてごまかしていた。 それが、好みの違いだと知ったのは、たまたま隣に日本酒好きの友人が座ったときだった。 気分が良かったのだろう、勧められるままにお猪口に口をつけた。 うまかった。 それ

ひまつぶし

そりゃぁ、死にたいって思ったことは何度もあるよ。 でも、オレに生きていて欲しいという人がひとりでもいたら、寂しくはないだろう? 死んだら三途の川っていうのを渡るらしい。 そこにはきっと船があるんだろう。 もし人に運命というものがあるんなら、 きっと自分が乗る船は決まっているんだろう。 その船には、一緒に乗る人や動物やものが、たくさん積まれるんだろうね。 でももし自分で命を絶ってしまったらどうなる? 船はまだ来ていなくて、ずっとひとりで待っていなきゃならない。 自分のわがま

三冊の日記

手元に三冊の日記がある。亡き父が残したものだ。 まだ小学生だった頃の正月、父と近所の書店に行った。 僕が選んだ本と一緒に、父は一冊の日記帳を買った。 店を出ると父は言った。 「俺が死んだら読め。親父がどんなことを感じながら生きていたかわかるから」 前年、喘息発作で危篤状態になったこともあり、長く生きられないという覚悟からの言葉だったのだろう。 僕はまだ死の意味が理解できる年ではなかったから、その言葉だけが心の中に残った。その年から3年間、父は日記をつけていた。 僕にとって自

孤独とひとり

同情などと言う言葉をいつまで信じているの? 心は誰のものでもひとりのもので、 同じなどあり得ないのだから、 気持ちを重ねることなど無理なこと。 簡単にわかるなんて言わず、 やさしいふりなどしないほうがいい。 同情をあまりに振りまくと、 そのうち傍に誰もいなくなる。 寂しいと、 膝を抱えて地面ばかり見るようになってから、 だれも声をかけてくれないことに気づいても遅い。 それが孤独ということ。 孤独とひとりは違う。 自分の足でしっかり立つことをひとりと呼ぶ。 そのことに気づ

おもいやり

重い槍を持てる力を持つ人は、 きっと自分の正義の通りに槍を振ることでしょう。 ただ周りを見る目を持っていなければ、その槍で傷つく人もいるのです。 正しいことはいつもひとつとは限りません。 人によって受け止め方は違うのです。 槍の先を向けたその陰に、誰かがうずくまっているかもしれません。 力がないと嘆く人は、 せめて苦しんでいる人を見つめてみることです。 重い槍を持つ力がないからと 自分を責める必要はありません。 力がなければみんなで持てばいいのです。 そしてしっかり見つめ

黙ることの大切さ

苦労自慢なんてするもんじゃない。 そんなもので褒めてもらおうとするな。 本当に苦労している人は、自慢どころかがれきの中で言葉もでない。 ただただ耐えていることに精一杯なはずだ。 苦労が口にできるなら、そこから抜けだすこともできるだろう。 苦労なんてものは、死ぬ間際に人生を振り返ったときに考えることだ。 まだ途中を歩いている間にそんな言葉を口にするな。 それが出来たら、お前の間際に枕元に立って、たとえ小さな苦労でも褒めてやる。 そしてその言葉を抱いて、こっちの世界に来ればいい

壁は苦労だけを与えてくれるものではない

順調に歩いていたはずが、 目の前に障害が表れ、 それがまるで壁のように立ちはだかったとき、 自分の力のなさに失望し、 これまでの歩みを後悔することがあるかもしれない。 だからといって壁を恨めしく眺めていてもなにも変わりはしない。 それに壁はなにも道を塞ぐためにだけあるものではない。 座り込み右手を伸ばしたときに壁があれば、 きっとそれは支えになってくれるだろう。 転んで突いた左手の痛みを壁が冷やしてくれることもあるだろう。 もう歩けないと、倒れそうなとき壁が後ろを支えてくれ

初めて見る背中

時が経てば、この日が来るのは当然のことだ。 ただ何とも不思議な感じがする。 まだ10代だった頃、背を抜いたのとは少し違った感覚。 鏡を見て、年を重ねた自分を見て、老けたとは思っても、あの人より年上になったとは思えない。 若く見える人だった。 それでもあの人にとっての晩年は、それなりの年齢に見えていた。 もう老いることはなく、最後の日で止まった姿を思い浮かべても年下になってしまったとは思えない。 父親は背中を見せて息子を育てるというが、そういう人ではなかった。 いつも正面を向

抱きしめずただ言葉だけをいつまでも残して

まだ幼稚園生ぐらいだろうか。 その男の子が転び、少し先を歩いていた父親が慌てて戻り抱き上げた。 泣きながら、父親の首にしがみつく男の子。 父親は、頭を撫でながら、泣き止まそうと笑顔で話しかけていた。 「痛くない!」 手を繋ぐどころか、並んで歩くようなこともしてくれなかった私の父は、何かの拍子に転んだ息子のところへ戻って来てくれる人の訳がない。 泣くと機嫌が悪くなることをわかっていた私は、必死にこらえ立ち上がり、父のもとへ歩いて行く。 そしてやっと距離が近づくと、また少し前を

放物線に見る夢

努力は報われないことが多いということを、人はどこかでわかっている。 正しいと思って行動していても、成果が上がるとは限らない。 向かっていく方向は、正しいと思っていても、それを認めてもらえるとは限らない。 人それぞれ正しいという価値観は違う。 力のあるものがその正しさを決める。 集まれば、人数がそれを決める。 そこで敗れれば、努力は苦労にしかならない。 苦労を好んでする人はいない。 「若い時の苦労は勝ってでもしろ!」 そう言えるのは、数少ない努力が報われた人たち。 無名の人た

ジグソーパズル

ジグソーパズルにはいろんな絵が描かれている。 ひとつでも欠けてしまえば完成はしない。 例えそれが背景の部分であったり、端の部分であったとしても、無駄のものはない。 背景の場合同じ色をしていても、形が微妙に違っている。 無理やり押し込めば、折れ曲がってしまう。 それぞれ役割がある。 人にもそれぞれ役割がある。 我慢をして無理にそこへはまろうとしても、折れ曲がり歪む。 全体のバランスが崩れる。 自分がはまるパズルがある。 完成を待っているパズルがある。 ひとつでも欠けていて

未来の自分は他人

過去の自分は別人だ。 経験は知恵となり、記憶は思い出になる。 それらは体や心、頭の中に残っていく。 けれど、過去の自分がもっていた感情だけは思い出せない。 どんなことを思っていたかは思い出せても、 頭に血が上るような怒りが湧き上がることもなく、 胸が締め付けられるような悲しみが押し寄せることもなく、 叫びたくなるような喜びがやってくることもない。 ただ怒り、悲しみ、喜びの出来事を思い出すだけで、 そのときと同じような感覚を呼び戻すことは出来ない。 過去は自分のものでありな