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客観性が必要な世界とそうでもない世界。
少し前の読書会で『客観性の落とし穴』という本を読んでいる方がいました。私の言い方になりますが、客観性は個性の見落としやときには差別につながることがある、しかし効率的であるという話が紹介されて興味深かったです。
客観性というのは、みなからみて共通に判断できるような評価軸や基準を纏っていることの度合いなのだと思います。代表的な例で言えば、お金はかなり客観性の高い価値をもっているのだと思います。自販
記憶のなかにある〈私〉。
たぶん結構大事な問いとして「私とは何か?」というものがあると思っています。いかにも哲学っぽくて縁遠い問いのように思うかもしれませんが、実は最も身近な問いのひとつなのかもしれません。ひとつには、「私はこういう人間である」ということをどこかで自認しながら生きているように思うからです。「私はこれができる」とか「これは好まない」とか、得手不得手や好き嫌いをどこかで自認しています。
そしてその自認は記憶
競争に関する問い。 -「競争」について考える時間
先日は「「競争」について考える時間。」の2回目を開きました。1回目を受けて私のなかでもいろいろと考えて「競争には敵がいるのだろうか」という疑問が湧いたのでそこから話を始めました。私の場合は競争とは誰かと競う・誰かと争うという感じで、相手がいることが前提だと思い込んでいました。しかしよくよく考えると相手がいない競争ばかり思い起こされたのです。
2回目で出た話を私なりにまとめてみようと思っていたら
承認の裏にあるもの。
すこし前に読んでいた『労働の思想史 哲学者は働くことをどう考えてきたのか』で、気になっていたキーワードがあるのでここで考えてみたいと思います。この本では最後の方で労働をさまざまな種類に分類しているのですが、そのなかに「承認労働」というのがありました(P293)。
承認労働とは、承認されたいという欲求によって駆り立てられた労働のことです。本のなかではとりわけ負の側面が強調されていました。例えば、
敵がいない競争。 -「競争」について考える時間
先日、「「競争」について考える時間。 #1 」を開きました。1回目は9:30〜10:00の30分で「競争」というキーワードで話す時間にしてみました。いろいろと競争に関して話は出ましたが、僕が気になったのは「競争の目的化と手段としての競争」という話でした。
会での意味合いとしては、競争の目的化は「それに陥ってしまう」みたいな感じであまり良くない結果として話がされました。それに対して手段としての競争