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毒親育ち究極のこじらせ女がメンヘラ脱出、周りを信頼出来るようになるまで

▼はじめに


こんにちは、まさこです。

前回の投稿でも書きましたが、
私はこの数年で、人生が大激変しました。
アラフォーどん底からの下克上


大激変後の私について簡単に自己紹介すると、

・アラフォー婚活した40代

双子がいる乳幼児3児の母、ゆるくワーママ
(一般企業の正社員ですが、よく専業主婦に間違われる)

・毎日安心して、将来もお金も心配せず過ごしている

・アラフォーで始めた婚活は「必ずプロポーズを引き出すモテ無双状態」で、めちゃくちゃ楽しくて、婚活終えるのが惜しかった(笑)

”理想の結婚相手像72個”に完全に当てはまる男性と結婚

・子供3人いても結婚当初よりラブラブ♡「姫」と呼ばれて、毎日キスハグ大好きコール!

・夫に対してジャイアンでありながらも愛されており、知人から「プロ妻術」を教えてほしいと言われる

・自分でも収入はあるけど、夫から毎月生活費という名のお小遣いをもらっている

・夫へのプレゼントに躊躇なく30万円以上使える、夫に躊躇なくいつでも30万円借りられる

家事は1日15分。包丁持つことや火を使う料理は数ヶ月に一度レベル

・義実家連泊中も何もせず、上げ膳据え膳三食昼寝付き生活で楽ちん

・学生時代は毎日怒鳴りあいの喧嘩をしていて、大人になってからは冷戦状態だった親を海外旅行にご招待

・4歳児&2歳児の双子がいても、自分の好きな時に好きなことをして、毎日好きなアニメやドラマみてる
(友人にも、働いてるんだっけ?と聞かれるw)

・育児が苦手でも子供たちが可愛い

・パンピーサラリーマン家庭だけど、産後は週4回ヘルパーさん頼んだ

0歳双子も連れて、2週間の海外旅行(旅費は全額私負担で、母も連れていく)

・子供達が0歳の時から、5ヵ月に一度は海外旅行

・夫が育休中は夫が17時までワンオペ育児。私は毎日ゴロゴロしているだけだった

・元重度のメンヘラだけど、現在はメンタル安定感すごいと言われる

・旅行中も、むしろやりたいくらいのことで遊びながら(趣味)で副収入を得る

海外でお仕事!

これらに加えて、
2022年からは、
・子供3人を夫と親にお任せして、ひとりで1週間の海外旅行
・思いついて3日後に、ふらっとひとりで韓国へ
・93万人の登録者がいる著名Youtuberの5年ぶり講演会開催決定の場に立ち会い、講演会運営に参加
子供達が映画出演し、誰もが知る有名女優さんと共演
・映画の舞台挨拶で、子供のことが話題にでるだけでなく、私のことまで話題に出た
婚活エピソードが漫画化
・芸能人と普通に話す
・週5勤務しながら、興味ある講座10個掛け持ち受講するなど、時間リッチに♡
上の子とふたりで、子連れ海外旅行!
ニュース番組に出演
・10万部突破の「女子とお金のリアル」
ライター
などなど・・

またまたハイパーな変化がありました。


ほぼ毎月、家族みんなで旅行



いまでは将来に何の不安もなく、
大好きな夫や子供と一緒で、
友人たちから「プロ妻」と呼ばれるまでになり、
ぬくぬくと暮らしている私ですが、
数年前までどん底でした!

その原因?となっていた親との関係
今回は、親編。

毒親なので親子関係が破綻していて、
20年間親を無視していました。


いまでは親と普通にLINEしたり、実家に長期間帰省。子供も預けるし、期間限定だけど一緒に住んでたし。
2022年現在、海外旅行に一緒に連れ出しています!

関係性が良くなったことは、相乗
的に夫婦関係や他の人間関係にも良い影響がありました。
なぜ、親との関係性が変化したのかを書いています。

最初はめちゃくちゃ暗いですが、
これもまた最後にはハッピーになるので心配しないでください。


リッツカールトンに宿泊


この前段階である、

【非モテの極みだった私が2ヵ月で6人からプロポーズされて、プロ妻と呼ばれるようになるまで】は前記事からどうぞ♡

https://note.com/masakoharuno/n/n4cc6651be55a

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1 安心できる居場所が欲しかった


「こんなに寒くて痛くて辛いのに、誰も助けてくれない・・・」
それが、私が覚えている一番古い記憶です。

私が2-3歳の頃、「札幌雪祭り」に父母弟と4人で出掛けた記憶。

雪の上に立っていると、足の裏が冷たくなってきて。
痛いくらいになって。
弟が母に抱っこされているのを見た私は、父に「抱っこして!足が冷たい!」とせがみましたが、父は抱っこしてくれませんでした。
それどころか、大泣きで駄々をこねる私をみて、父は爆笑していました。

「こんなに辛いのに、お父さんはなんで私を助けてくれないの?お母さんは弟を抱っこしてみているだけ。弟は抱っこされてズルい!」

・・・
・・・
・・・

私は、4人兄弟の長女として産まれました。
父母は福岡県出身でしたが、父は転勤族で、結婚当初は北海道に住んでいました。
私と上の弟は、北海道で産まれました。

その後、私が4歳くらいのときに埼玉県へ。
下の弟が産まれました。

この頃までは、何も問題なく、私は安心の中で生きていていたと思います。

ですが、私が6歳の時に妹が産まれたことで、私の世界は一変しました。
それまで私が世界の中心にいたハズなのに、家族全員の注目が妹に向けられるようになったのです。


さらに、私が10歳の頃から、父は単身赴任となりました。
母は、父も親族もいない土地で、パートをしながら4人の子供の育児を一人でする事になります。

母は、昔からずっと父が大好きです。
私が社会人になってからも、父が家にいるときは、父にべったり。
というと、「仲が良い家庭」と思われますが、必ずしもそうとは限らない、という事はこれからのエピソードでわかると思います。


世間体やご近所を気にする母にとって、知らない土地では父だけが心の拠り所だったのかもしれません。

その父と会えなくなったこともストレスだったのか、
母は「育児ヒステリー」を起こすようになりました。
ターゲットは、私でした。
私ひとりだけ。


最初は、私だけお手伝いしなければならない、好き嫌いNG、などのしつけが厳しいくらいでしたが、そのうち弟妹と扱いが違うことに気付き始めました。

例えば、食卓では、私だけ母に「何も話すな」と言われ、黙っているようになりました。

我が家の恒例行事として、父が単身赴任先から帰省したときは、家族でファミレスに行っていました。
家はもちろん、外食においても、私だけ好きなメニューを選べませんでした。

弟妹は、メニューの最初の派手なページやデザートページに掲載されている、美味しそうなハンバーグセットやパフェを注文していましたが、私は選択権が与えられませんでした。
金額は毎回1000円以下。メニューの最後のほうのショボいページから、食べたくもないピラフやグラタンにするよう指示を受けていました。

というか、そういうものを私が自ら選ばないと、後から父のいないところで母に怒られます。
怖いので、母の機嫌を損ねないようにしていました。

家の中で都合が悪いことが起こると、全て私のせいになりました。
家に充分なお金がないのも、私のせい。
私は、母の顔色を伺って、何も言わなくなりました。
親に嫌われているのは、私が悪い子だからだと思っていました。
可愛がられている弟達や妹に嫉妬して、母に見えないところで6歳年下の妹を「ばい菌」と呼んでイジメるようになりました。
悪い子だから嫌われている、でも、悪いことをする自分。ジレンマがありました。

そんな生育環境が影響したのか、私は小学校でも、クラスでいじめや無視、仲間外れをされるうようになりました。

自分ではわかりませんが、いわゆる「女子の雰囲気」についていけなかったり、余計な事を言っていたのだと思います。

私は、みんなの顔色を窺って、イジメグループのボスに取り入ったり、お笑い・からかわれキャラとなることで、なんとか女子のグループに入っていました。
嫌がる私の胸を揉んで笑っているクラスメイトの女子と友達ポジションでいようと必死でした。
学校帰り、楽しい遊びに誘われなくてもしょうがないと思っていました。


私は、学校で必要なものすら満足に親に買ってもらえませんでした。
もしくは、学校で購入するものでなく、親がどこか他のお店で購入したもので、みんなが持っているものと違っていました。(それが原因で、授業中に支障がでることもありました)
弟達はちゃんと購入してもらえていたので、「親は私にお金かけたくないんだな」と結論づけました。

それもそれで恥ずかしかったのですが、
先生に「しょっちゅう忘れ物をしている子」と思われて、私が「買ってもらっていない」と言っても信じてもらえないことが何より辛かった。
「嘘をつくな」と最初から信じてもらえなかったのです。


困っている時に家でも学校でも助けれくれる人はいない。
どうせ私の話は誰も聞いてくれない。
誰も信じてくれないし信じられない。
自分一人で生きていかなければならない。
小学6年生の頃には、強くこう思うようになりました。


その時に書いた将来なりたい職業は、「保険のセールスレディーかOL」でした。
お医者さんや弁護士は無理。高学歴じゃなくても手に職がなくても、女性一人で生きていくのになれる職業は?と、子供ながらに考えた結果でした。

中学生になった私は、母の態度を理不尽に感じるようになり、反抗をはじめます。
中学3年間、毎日のように怒鳴りあいの喧嘩です。
私は、毎回泣きながら怒って、母の理不尽さを訴えていました。

しかし、私のほうが口が達者でしたし、母は理路整然と話すのが苦手なので、いつも最終的に何も言えなくなり「お前は生意気だ!家族じゃなくてただの居候だ!」と言って、その場を去っていました。
その母の態度に、私は「私と話し合ってもくれない」と悲しかったのですが、自分の気持ちに蓋をするように、母を「大人として話ができない馬鹿」と見下すようになります。

母も、そんな私にどんどんキツクなりました。
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントは、私だけもらえなくなりました。
お小遣いも、私だけ減点制。母が気にくわないと母の裁量で減っていきます。しかも、マイナスポイントだけ翌月持越し制。よくこんなこと考えるなと呆れました。お小遣いゼロ円は当たり前でした。
お菓子も、私の分を取っておく、という習慣はありませんでした。
5個パックのお菓子を買ってきたら、母と弟2人、妹が2つ食べて終わり。
妹より先に私がみつけたら私も食べられるけど、そうじゃない時に文句を言っても、取り合ってもらえません。

家の中で大声で騒いで険悪なムードにする私を、弟も妹も嫌っていました。
思春期になり、たまに帰省する父とも話さなくなりました。
母は、父を含め大人の前では私に対して「優しい母親」を演じていたので、人前で怒鳴ることはありませんでした。
父は、私と母の間のことは知らなかったというか、特に関心がなさそうでした。
私は、家の中で完全に孤立していました。

それなのに、母に「中卒で働いて、家族の為に家にお金をいれろ」と言われたときは、呆れました。
私が家族の為に??家族に嫌われているのに人生を家族に捧げる??冗談じゃない!
当然、母の言う事は無視して進学しました。受験費用は出さないと言われたので、私のお年玉から賄いました。
先生にも相談しませんでした。どうせ誰も助けてくれないからです。

親を諦め、母のことは「家政婦」と思うことにして、父は「お金運んでくるだけの人」認定しました。


私は中学校に入っても、孤立することがよくありました。
人が嫌がることを言うので当然といえば当然です。
ムカつく人がいたら、「この人が一番傷つくことをいってやろう」と言っていました。
精神的に余裕がなかったのでしょう。
そういうつもりがなくてもズバズバ言っているようで、友達によく「言葉がナイフみたい」と言われていました。
誤解されることもありましたが、かといって、本当に心の内を言い合うような喧嘩も出来ませんでした。
中学在学中に、茨城県に引っ越しましたが、引っ越し後もいつの間にかクラスでハブられる、、という状況は変わりませんでした。

しかし、高校進学で女子高を選んだことで、少し変わります。
「言っちゃいけないことがあるんだな」と、ようやく学びます。

高校時代はそれなりに楽しく友達付き合いをしていましたが、
高校3年生のとき、事件が起こりました。

私が、「同じグループにいるA子の彼氏を取ろうとしている」と誤解されたのです。
クラスのほとんどが私と距離を置きました。
小中学生の時と違ったのは、数人は変わらず接してくれていた事です。

でも、私は誤解されているのをわかっていても、自分から弁明する気はありませんでした。
「疑われている時に何を言っても無駄。このまま時間が経つのを待とう」と思っていました。
暫くして、A子から仲直りの機会を作ってくれましたが、私からは心を開くことはできず、素直に気持ちを言えない微妙な関係のまま卒業しました。

本当の事を言って信じてもらえないより、誤解されたままの方が傷つかないで済む、と思っていたのだと思います。同じようなことは、大人になってからもありました。


家では、私は家族と一緒に食卓を囲むのをやめていました。
床でご飯を食べていました。

家族とは、私が用事あるとき以外、一言も、挨拶すら言葉を交わさない日々。それは社会人になっても続きました。
父に対しても「この人は帰省するたびに偉そうにしているけど、家庭内のことを何も気づいていないアホだ」と見下していました。

祖父の三回忌に出席しないと言ったときには、母に「行かないならお金出せ」と言われ、「福岡までの新幹線代が1人分浮いてるだろーが!」、と反論しましたが、理屈が通じない人なのでそんなことも計算できないようでした。
「金で解決できるなら」と思い、なけなしの数万円を渡しました。
親とは、お金で繋がっているだけでした。


短大時代は、アルバイトや奨学金で、はじめて家族と関わらなくても自分だけの自由に使えるお金が手に入りました。
母には、「大学じゃなくて短大なら学費出す」と言われていましたが、学費はもらえませんでした。
でも、奨学金で賄えたし、家族にお金で頼らなくてよくなったことは、私の心に余裕を生み楽しく過ごしていました。


私が社会人になってからは、親とは学生時代と違う関係性になりました。

母はすっかり人が変わって、私のご機嫌をとるようになっていました。
そんな母のことを一方的に無視して、都合の良いときだけ「家政婦」として扱っていました。
私は完全に、偉そうにしていました。

父とは、社会人になってからかなり関係性が悪化しました。

父は単身赴任生活が終わり、家にいるようになっていたのです。
私も父も仕事が早い時間に終わり、母はパート。弟妹たちは進学やバイト。父と毎日2人だけ家にいる時間が増えました。

父は毎日晩酌をしていました。
そして、酔った父が私にキレる、ということが度々ありました。
「ブス」だの「生意気」だの言われることも多々ありました。
父に蹴られたり、お酒をかけられたりすることもありました。
それでも私は無視を続けました。


父も母も、お互いにお互いがいないところ、他の大人がいないところでしか、私に暴言を吐いたり、暴力的な振る舞いをしません。
なので、これが「しつけ」ではなく、「八つ当たり」の類だとわかっていました。


そんな風だったので、
10歳以降の私は、常にストレスを抱え、
イライラ、モヤモヤ。
どんどん自分に自信がなくなり、
性格もどんどんひねくれました。

愛に飢えすぎてメンヘラ化。

社会人になってからは、週に3-4回お酒飲んで憂さ晴らし。
二日酔いで出社なんてことも珍しくありませんでした。

恋愛や仕事で上手くいかないことがある度に、「全部親のせいだ!だから私も親を不幸にしよう!」と固く心に誓っていました。


一方「本当の家族がいない、安心できる家族が欲しい」と願っていた私は、
結婚願望は強かったのですが、「子供ができて、母のようになったらどうしよう・・・」
とも思っていました。
結婚したら子供持つのが普通・常識、と思い込んでいたのです。

世界で一番嫌いな人と同じようになる可能性がある。
それがたまらなく恐怖でした。


また、小学校の時からずっと、親のことは誰にも相談しませんでした。

誰かに相談することで何か解決するという概念もなかったし、家族を嫌っている事は世間的に悪い事で私が悪者になると思っていました。
嫌われたくなかったし、憎い気持ちを理解してもらえず否定されるのも嫌だったのです。

極たまに、親しい人に「なぜ親が嫌いなのか」を話すこともありましたが、
その時に発する言葉の悪さと裏腹に、子供の頃の気持ちが蘇ってきて胸がギューーーっと締め付けられました。
それがすごく辛かったから、言いたくなかったのもあります。


2 変わった人の追っかけをはじめた


そこから十年以上経ち、35歳のどん底を機に人生を全て変えたくなりました。

その当時の私は、仕事も恋愛も絶不調。
派遣先を数か月で辞めることが続き、仕事で鬱になりかけ、無職。
貯金もありません。
焦ってはじめた婚活も、お見合いパーティーで男性に全く相手にされず、ポツンとしていました。

そこから一念発起し、人に相談するようにしました。


あるとき、たまたま「出会って2週間でプロポーズさせた」というブログを見つけます。
それまでは、「ブログ」というものを読む事もほとんどなかったのですが、どんどん引き込まれ、あっという間に全て読んでしまいました。

そのブログを書いている人の発信は、今まで私が住んでいた世界と別世界。
起業をしているワーキングマザー。
母でありながら、家事はしない、育児もしない。
でも、夫婦関係はとても良い。

めちゃくちゃ変!
でも、根っからの怠け者の私は、家事も育児もしない結婚生活に憧れていました。


ものすごく気になったので、その人が開催している「お茶会」というものに参加してみました。
汐留のホテルラウンジで、ケーキセットを食べながら、それぞれ悩みごとを相談する、というものでした。

そのお茶会には、4-5人の女性が参加していました。私からみたら、お悩みなんてなさそうな女性ばかりです。
当時の私はまだ地元に住んでいて、都内のホテルラウンジに行くことなんてありませんでしたから、一番キレイな格好をしていきました。
が、私が一番地味でした。

私が着ていたのは、白のブラウス、膝が隠れる紺スカート、うっすいグレーのカーディガン。ローヒール。髪はブローも何もしていない、暗め茶色のセミロング。地味~な子持ち主婦にみえる・・・。

他の女性は、花柄のワンピースや、キャリアウーマンぽいセットアップを着ていました。

主催の女性に至っては、一番派手。上から見るとおっぱいの谷間が見えそうな何の柄かわからないピタピタのワンピースを着ていました。びっくりでした。

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当時の写真


私が「婚活上手くいかない」と相談すると、その主催女性に「婚活なんて、髪の毛巻いて、派手なワンピース着ていればいいんだよ」と言われて、さらにビックリしました。
私の悩み相談は、一瞬で終わりました。

そのブロガー・お茶会主催者が、小田桐あさぎさんです。

あさぎさんのブログやSNSを、フォローはせずに、ひっっっそり追いかけていました。
こんな変わった人に影響されているなんて、友達に知られると恥ずかしいと思ったのです(笑)
「男はヒーロー、女はヒロイン理論」など、ブログの内容を実生活の婚活でも取り入れてみました。

あさぎさんがイベントをするという情報を入手しては、参加していました。

最初にお茶会に参加した時から半年近く経ち、私は外見がすっかり変わっていました。
ピンクや花柄のワンピースを着たり、ミニスカートを履く女になっていました。
ヒール!髪巻く!ゆらゆら揺れるイヤリングにプチネックレス!もマスト。
ダイエットで10キロ痩せて、150cmの身長に合うSサイズ体型になっていました。

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婚活で外見も変えた!


婚活は上手くいっていた時期もありましたが、ある時期から滞りました。

そんな時、あさぎさんが登壇するセミナーがあり、私はセミナー動画を購入しました。
その動画は1時間ほどでしたが「愛の器」がテーマで、「他者の行為は全て愛だ、受け取り方次第」という内容がすごく響いて、自分自身に浸透するまで、1か月間毎日見続けました。


そして、その教えを婚活相手に実践することで、動画の教えが身に染みてわかるようになってきました。

その成果もあり、その後半年で6人以上の男性からプロポーズを引き出し、理想の結婚相手と結婚しました。
やっと、安心できる場所を手に入れることが出来たのです。
(この方法の詳細は、前回の【恋愛・結婚編】に詳しく書いていますので読んでみてください)


ある日、ずっと追っかけをしていたあさぎさんが、新たなコミュニティ”オンラインサロン”を作る、という情報を知って、入会しました。

私は、そのサロン活動を楽しみました。

直接あさぎさんとも話せるし、あさぎさんに興味があって集まったメンバーも魅力的でした。

小学生の頃からずっと、"女性の集団は怖い"と思っていましたが、そのサロンの女性達は違いました。

・ひとりひとり違う魅力を持っている
・得意なことで助け合おう
・本音で話す

そいういう場だったので、安心できました


今度は、そのあさぎさんの講座で学ぶことにしました。2018年のことです。
この講座が、私の考え方に大きな影響を与え、婚活だけでは拭いきれなかった悩みの根底を覆すことになります。




3親への気持ちに変化が出てきた


少し遡りますが、婚活中から親への感情は少し変わっていました。
あさぎさんが登壇していた「愛の器」セミナー動画をみたからです。

婚活中に、私は子宮筋腫の手術をすることになりました。
実家を出て都内に住んでいたのですが、手術当日は身内がいないといけなかったので、連絡とっていなかった母を都内に呼びました。

術後、私が断ったにも関わらず、母は数日、実家からわざわざ都内の病院までお見舞いに来ていました。
滞在時間はいつも3時間ほどでした。
しかも、「夕飯の用意が間に合わないからもう帰る」みたいな感じで、時間を気にしながら来ていました。

私が「もうこなくていい」と言ったら、
母は「お母さんもそう思ったんだけど(おい)。お父さんが面倒見てこい、様子見てこいって言うから・・・」と言いました。

ビックリしました。
私に関心なさそうだった父がそんなこと言うなんて。

セミナー動画をみていた私は、
「もしかしたら、父は愛情表現が苦手だっただけ?そういえば、母にもしょっちゅう、憎まれ口を叩いていた」
と、考えていました。


そこで、これまでの私は、一方的に受け取っていなかったんじゃないか?と、よくよく思い出してみました。


学生時代、確かに私は、弟妹と比べて扱いが違った。

事実として、母は、私にプレゼントやお小遣いをくれなくなった。
それを私は、母が私を憎んでそうしていたのだと思っていた。

しかし、よく考えると、私は小学生の頃~社会人になってもピアノ教室に通っていて、高校生までは親が月謝を払っていた。
学校の道具を買う事すら渋っていた母が、ピアノの先生の熱い勧めに根負けして、私が中学生の時に中古のアップライトピアノを購入。
(全然勉強していなかった)進研ゼミも、中高と契約していた。


弟妹は、塾に通っていた事もあったけど、妹は鼻から勉強嫌いですぐ塾をやめた。
弟も、高校入学したら塾通いはしていなかった。
塾は、ピアノ+進研ゼミより、月謝が安いハズ。

もしかして、私は習い事やアップライトピアノでお金かかっているから、プレゼントがなくなった?
お小遣いもらえないくらいなら、進研ゼミなんてやめてよかったのに。。。
私が欲しいものと、母が与えていたものが、違っていただけ?
なのかもしれない・・・。


父は、私に無関心。もしくは、ストレスの発散している、と思っていたけど?
事実は、私が10代の頃は単身赴任。月に数回会うだけ。
子供だった私が思春期になり、どう接していいのかわからなくなったのかも?

10年に及ぶ単身赴任がやっと終わって家族と話せる機会があると思ったら、みんな生活スタイルが変わっていて、会う事もままならない。
唯一家にいる私には、空気の如く無視される毎日。
寂しかったけど、それを素直に表現できなかっただけ・・・?
なのかもしれない・・・。


かもしれない・・・・、勝手にそう解釈しているだけ。
だけど、そういう視点でみれるようになると、今までと違う感情が出てきました。

大人になって「全部親のせい」にしていたのも、ただ、私が精神的に甘えていただけ?
子供の頃から甘えたかったのに甘えられなかったから、そうやって無意識に親に甘えようとしたのかも?

なんだか、「親に愛されていない」=「私は不幸」と思っていること自体が、親に依存して甘えている事のように感じてきました。

これじゃあ、幸せになんてなれない。
なんで嫌いな人達に、私の幸せを委ねていたんだろう。

私は、「親に愛されていない」設定を、「親に愛されていたかもしれない」に変えることにしました。


変えてみると、「愛されてるのかな?」と思えることが、少しずつみえるようになりました。

結婚することを親に伝え、夫を自宅に連れて行った時、親はすごく喜んでいました。
数年?もっと長い間?見たことない笑顔でした。
彼に気に入られるよう、和菓子、洋菓子、お酒、たくさん揃えておもてなしをしていました。

結婚式で夫が失態を晒していたのですが、
夫の親族は「しょうがないな」と笑って、私には「嬉しくてはしゃいでいるだけだから許してね」と言うだけでしたが、
私の両親は夫に「しっかりしてくれないと困る」と苦言を呈していました。

結婚後は、夫の希望もあり、数か月に一度は私の実家に顔を出すようになりました。
私達が帰省するたびに、両親は出来る限りおもてなしをしてくれていました。
その時の私は、「親が憎い」とは思っていませんでしたが、どう接してよいかわからず気まずい気持ちはありました。


「子供を持つのが怖い」という恐怖心はなくなり、
「夫との子供が欲しい」と思うようになっていました。



4 親に気持ちを伝えてみた

そういう時期に、あさぎさんの講座を受講しました。
表面的には、「悩みなんてないけど、あさぎさんの考えを知りたい」くらいの軽い気持ちでしたが、
本当は引っ掛かっていることがあったのでしょう。

講座前の私を知っている友人からは、
「いまは当時と比べて、もっと明るいね、軽やかだね」
と言われるようになりました。

講座で学んだことは山ほどありますが、
特に印象的だったのは、「親ワーク」でした。

”一番身近で最初に愛を捧げてくれる存在”としての親を信じられないと、誰も信じられない、というのです。
婚活中に心理学講座に通ったことのある私は、それもわかっているつもりでした。

「親ワーク」は、親に自分の気持ちを言う、のが最大の課題です。

夫には自分の気持ちを言う事が出来ていましたが、親には全く言っていませんでした。

当時の私は、「過去の事を言うと、親が悲しむから言えない」
そう思っていました。

そう思っている自分は、すでに親への感情を克服しているつもりでした。

親に自分の気持ちを言う前に、
Q1.親がしたことが全て愛だとしたらなぜそんなことをしたのか?
Q2.いま親をどう思っているのか?
という問いに答えるワークもありました。

Q1.の私の答えは、
「母にとって、私が唯一本当の自分を出せる相手だった。一番身近に感じていた」
「父は不器用すぎて、どう接していいかわからなかった」

自分で、中々立派な答えだと思いました。
克服出来てる!と思いました。


Q2.の答えは、
「酷いことをされたけど、もう許しています」
でしたが、
じっくりその事を突っ込まれると、

「父母はああいう性格で未熟だからしょうがない」
「私にしたことですら、この寛容な私が許してあげよう」
そんな答えが出てきました。


「それは全然許していない、見下しているだけ。愛と思っていない」と、指摘されました。
意味がわかりませんでした。


許せていない気持ちがまだ心の奥底にあるとしても、
それは、
それを全部許してしまったら、
子供の頃に傷ついた私の気持ちはどうなるんだろう?
当時の私の行き場がなくなってしまうように感じていました。

親に自分の気持ちを言う、という最大の課題。
私は中々言えずにいました。
言わないまま講座を終えようか、とも考えました。

言わない理由を「いまさらそんな事を言ったら、親を傷つける」と言っていましたが、
それも「親を信頼出来ていないからそう思うんだ」と指摘されました。

悩みましたが、夫の勧めもあり、私は両親(主に母)に自分の気持ちを対面で伝えました。
目をみて話せないのを誤魔化す為、スマホを持って、その真っ黒い画面をみながら下を向いて話しました。
緊張で表情がこわばり、手が震えていました。

親にされて傷ついた出来事を話しました。
「ムカつく!」ではなくて、もっと心の底にある気持ち。
「愛されていないと思ってずっと寂しくて辛かった」と言うことができました。


その時の両親の反応は、意外なものでした。
「ごめんね」と謝られましたが、私にしたことを一切覚えていなかったのです!!!!

「まさこは食事中に話さないで」と言った事、「高校進学するな、中卒で働け」と言った事さえも、私が根に持っていた出来事すべて、母は何も覚えていませんでした。

(そんなことってある???)

私は、「母はわざと意地悪していたのではなく、その時の気分で口をついただけだったのか」とわかりました。

父は、「まあ、これで言いたいこと言ってスッキリできただろ」と、自分はさも関係なさそうな事を言って話をまとめようとしていました。
私は「あなたも関係ありますよ。妻のしたことを知らなかったで済むと思っているの?様子がおかしいことに気付かなかったんでしょ?酒に酔って私を蹴った事もあったよね。忘れたの?私はあなたにも、ちゃんとみてもらえてないと思っていた」
父は「す、すみません」と分が悪そうに言いました。


母が何も覚えていない出来事を、私は25年以上もの間、ずーーーっと握りしめてずっと傷ついていた。
そんな程度の言葉で私が傷つく必要ないんだと、手放すことにしました。

婚活中に自分で考えて、「愛されていたのかも?」と想像していたときよりも、遥かに気持ちのモヤがとれました。


その後さらに驚いたのは、母がいつも通り私に接してきたことです。
母は、父の前では私に酷いことを言わず、いつも「良い母親」でいる人でした。

なので、私は、
「父の知らない母の顔を父の前でぶちまけた事に対して、怒っているかもしれない。
そうじゃなくても、長年の恨みを言われたら嫌な気分になるし、折角良い関係になってきていたのに、本当に私のことを嫌うかもしれない」
と考えていたのですが、全く違いました。

両親は、何を言っても、文句を言っても、そんな私を受け入れてくれていたのです。
そのことに気付き、両親への信頼度が増しました。


それが、私が講座受講中に実感した「親ワーク」の効果です。


これは関係ないかもしれないけど、

当時妊活していたのですが、講座終了時には妊娠していました。


5卒業後も親ワーク


私は講座卒業後も何度も、「親ワーク」をしています。

講座開催中かどうかに関係なく、
親や他者との関わりでモヤモヤしたことがあった時に「すべて愛だとしたら?」と、考えるようになったのです。

親に対しては、その都度「この人達はこのままの私を受け入れてくれている」と実感して、徐々に、素直に思った事を気兼ねなく話せるようになってきています


最初の親ワーク後、
結婚して2年経っていましたが、
初めて
両親&義両親を自宅に招きました。

予め自宅近くの駐車場を教えていたにも拘わらず、私の親は当日自宅に着いてから「駐車場どこ?」と聞いてきました。

「ここは茨城の田舎ではなく、都内23区だぞ!車でちょろちょろ動きまわったり、適当なところに停車できんぞ!」と、
親の段取りの悪さに私はブチ切れて、両親&義両親との約束をほっぽりだし、夫にも何も言わず自宅を飛び出てひとりカフェしました。

今思うと、「そんなに怒る?」てことですけど(笑)
30分~1時間弱?経って、怒りが収まって家に帰ると、誰も私に怒っていませんでした。
みんな普通に「じゃあ、全員揃ったからお昼たべよー」って感じ。
拍子抜けしました。
その時も、「こんな程度のことでプリプリした私を誰も責めないんだ!?」と、受け入れてくれていることを実感しました。


さらに年月が経ち、実家に連泊したり、親と普通にLINEする程度になりましたが、
唯一、「子供は任せられない」とだけ思っていました。

それは、例の育児ヒステリーの過去もありますし。
よく関わるようになってみると、二人とも適当な大雑把な人達だったから、
子供の扱い適当そう・・・、て心配だったのです。
(私も大雑把なタイプ)
両親の大雑把な性格もまた、「愛されていない」勘違いの原因のひとつでした。


私は、産後に里帰りはしないと決めていました。


しかし、どうにも体調も悪く、疲れ果ててイライラが止まらなかった私に、夫が1週間の里帰りを提案してくれました。
私と子供だけが実家に滞在。夫は土日のみで、平日は都内の自宅から会社通い。
私は気が進みませんでしたが、産後2ヵ月半経った時に、はじめて里帰りしました。


実家では、まだ実家に住んでいる上の弟と妹も含め、家族総出で諸手を上げて、子供を可愛がってくれました。
私は、授乳以外何もしませんでした。
めちゃくちゃ楽でした。
妹と映画を観たり、大人なお店で外食もしました。
子供がいて中々出来なかったことをして楽しみました。


母は、何時間でも子供の面倒をみてくれました。
私が心配しているようなことはことはなく、ずっとニコニコしながら子供の面倒をみています。

それからは、毎月帰省するようになりました。
1週間が、10日、2週間、、、と、期間が延びていきました。
最初のコロナの外出自粛中は、私と子供だけ実家に3か月弱、住んでいました。


その期間、完全ワンオペで4人育てた女の凄さを増々実感しました。
私は一人で手一杯なのに。
母に対して、初めて尊敬の念が生まれました。

母の30代は、ワンオペで4人子育て。
私の30代は、ワーホリ・転職・婚活。自分のことだけで精一杯。


私自身子供を産んで実感したことでもありますが、
子供好きじゃなければ、4人も産もうなんて、考えもしません。

母は、本来子供好きなんだ。私もこうやってお世話されていたのか。
育児ヒステリーになったときは、環境が変わりすぎて心が病んでしまっていただけか。


子供を安心して預けられるようになりました。
一泊二日で、夫と二人で外出したこともあります。
親に「二人で三泊くらいしてきたら?」と言われたこともあります。


いまでは親に対して、遠慮の気持ちもありません。
夫に対してと同じくらい、「何を言っても大丈夫」と思っています。
だからなのか、逆に、わざと傷つけようとか、怒りの感情が出てくることはありません。

ここにはただただ、信頼感があるだけです。

また、安心できる場所が増えました

また数年経ち、双子出産時には「手伝って欲しい」と素直に助けを求めることができました。母には半年間、我が家に住んでもらいました。


6安心と信頼によって得た憧れの生活


安心と信頼の土台
があることにより、
私はやっぱり、もっと自由になっています。結婚していても、3人子供がいても。
独身時代より好きな事をしています。

ずっと憧れていた
「子連れ海外旅行」
も出来ました!

これが私の物語です。


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▼さいごに

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
最後まで読んでもらえて、めちゃくちゃ嬉しいです♡



「親ワーク」以外にも、講座で学んだことがひとつ残らず、種から実になっている。
相乗効果で、私を取り囲むあらゆる面で活かされている。

一度学ぶと、その後ずっと使える講座だから、
私は何度もあさぎさんの講座に関わり続けています。
2024年現在、10回連続受講。
OGとして、受講生を9回サポートしています。

おかげで、数年前までメンヘラ酷かったのに、
いまでは「マインド安定している」と言われ、相談される側になりました。


もしあさぎさんに出会っていなければ、、
根底にモヤモヤを抱えながら、表面上は上手くいってると思い込んでいたかも?
・またメンヘラが出現して、苦しくなってしまっていたかも?
育児ヒステリー起こしていたかも?


親と関係性が最悪だった頃の私は、自分の気持ちを”素直”には伝えていなかった。
何カ月も放置した生ゴミのように、グッシャグシャのドロドロしたものを吐き散らかして投げつけていた。

それって、汚いまま投げつけたものを「どうせ受け取らないんでしょ!?」
って、試していたんだと思うのよねー。



自分の気持ちを”ゴミ”のように扱うことは、
私自身を”ゴミ”のように扱うこととと同じ。


そこから脱出したことで、
私は自分の居場所と私らしい豊かさを手に入れることが出来た!


もしあさぎさんに出会っていなければ、、
ブログ追っかけや本を読むだけで、講座受講していなければ、
結婚後にこんな風になっていなかったな。


それに、婚活成功したからこそ、
自分の幸せに限界決めていた。

根底にモヤモヤを抱えながらも、
「私は何も問題ない!上手くできている!」って、
思い込もうとしていた・・・(怖)

でも、本当はギャップを抱えていたから、
あさぎさんに惹かれたんだよねー。きっと。

愛も学歴もお金も人脈も、何にもなかった私がこうなったんだから、
誰でも変われるって、本気で思っているんだよ。


それに、講座に関われたおかげで、
毎回、素敵な友人が出来ています。



私の辛かったことと、それを克服した経験が、
恋愛結婚、人間関係で悩んでいる女性のお役に立てるといいな。
幸せなカップルや家族が増えるといいな。


スキ♡や、この物語の感想教えてもらえると、私がすっごく喜びます!


婚活から、妊活、双子含む3児の育児まで、すべて書いているブログはこちら→


◆人生変えたい人へ

私が人生変えるきっかけとなったのは、小田桐あさぎさん

あさぎさんのブログに出会ったのは、2015年。婚活真っ最中。
あさぎさんのブログをずーーっと追いかけて、クラファン応援して。
その後、コミュニティに入りました。
それから、講座受講。
そこから、10回連続受講

なんで、そんなに受講しているの?と聞かれるけど。
それは、もちろん私があさぎさんのコミュニティにいることで、少しずつ人生を変えてきたから!でもあるし、
単に、楽しいから!でもあります。

あさぎさんが愛の深い人で、欲望レベルがすごいいから、背中を追っかけ続けたくなる人。
なのは当然として、
講座の卒業生は、ほんとーーに、色んな人がいて、面白いんですよ。
絡むのが🤣


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ここまでお読みいだだきありがとうございました。

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