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無力感を感じているときに「ありがとう」と言われるのが一番つらかった。

こんにちは。
まさまさです。

元理学療法士で映画監督になった榊原有佑監督。
監督自身の経験を元に紡いだ真実の物語「栞(しおり)」を見てきた。

栞のサイトはコチラ

僕は、理学療法士だ。
6年間働き、バーンアウトと言うんだろうか…。
体調を崩し、7月末に退職した。
28歳・彼女なし・独身・仕事なし。
社会的地位というか、世の中からみればなかなか底辺だろう。

散歩がてら、家を出て映画「栞」を見たので、その感想を書こうと思う。

先に言っておくが、ネタバレしまくる。
ぜひ映画を見て欲しいので、見たいと思っている人は、ここまでにしておいた方がいい。
上記のサイト等で簡単に情報を集め、映画館に足を運んで欲しい。

僕は高野雅哉の気持ちが少しはわかる気がした。
泣いた…。

ー*ー*ー*ー*ー

グサッときた言葉を紹介していこうと思う。

先生とリハビリしていると生きているって感じがするわ。

これは藤村さんが高野にかけた言葉だ。

病院のベッドで横になっている一日。
あの日のあの一瞬の出来事で人生が180°変わってしまう。
僕ら医療従事者はそのような人たちと出会うことが多い。

多いとどうなるか…。
そのような状態に慣れるのだ。
極端な言葉を使うと、患者の生活が大きく変わったことと僕らは、別に関係がないのだ…。(そう思えると楽かもしれないが、主人公高野はそうではないし、僕もそうではなかったなぁ…)

栞の中にでてくる藤村さんで、もう少し詳しく書いていこうと思う。

彼は、プロのラグビー選手だ。
試合中のプレイが障害を負うきっかけになったのだろう。

人生が180°変わるとはどういうことか…。
藤村さんのカラダ〜下、下半身は動かなくなってしまった。

それが意味するところは・・・想像して欲しい。




歩けない。
立てない。
座ることも手を着かないとできない。
寝返りも大変だ。
ちんちんは勃たない。子作りはどうするんだろうか…。
もちろんラグビーはできない。
仕事は…失うだろう。
おしっこがしたい、という感覚もなくなる。
靴下を履いたり、ズボンを履いたりするのも、どうするんだろうか…。

カラダだけじゃないのだ。
家庭、将来、仕事、人との関係性、生活、すべてが変化してしまう。

目が覚めると、障害者になっている。
そして、仕事を失ったり、将来、いや1週間後でさえも想像できない状態がくる。今もどう生きればいいのかわからないだろう。周囲との関係性も変わる。それらが一瞬で一気に来るのだ。

高野雅哉:毎日つらいけどね。
父:だから立派なんだ。

高野のいう、毎日つらいけどね…とはどういうことだろうか。
僕の経験も交えて、想像してみたい。

僕ら理学療法士の教育課程では、僕らの仕事は、身体機能の改善(右肩上がり)を求められるし、右肩あがりの関わりができるものが素晴らしい、という価値観がある。

また、高校生が理学療法士を目指すきっかけは、自分自身が部活動で怪我をして、一時期動けないところから、理学療法士のサポートを受け、再び部活動ができるようになった、という経験が多い。

ピッチに立てなくなった状態から、またピッチで躍動できる日がくることはとても素晴らしいことだ。

しかし、映画「栞」で、高野が担当する海音は亡くなる。
右肩上がりではない。

海を見たい。
海はどんな音なの?

そう未来に思いを馳せながら、亡くなっていくのだ。

映画中のリハ風景は、上肢(肩や腕)と体幹(カラダ)の筋力訓練と「熱が下がったならどこにいきたいか?」という目標の仮設定の場面であった。
特に疾患にアプローチしているわけではなさそうだった。

海音の母親は

「先生と出会えて、本当に良かったです。ありがとうございました。」

という。

高野の心境としては、何もできなかったのだ。
高野としては、海音を右肩上がりに改善させることもできず、海の音を聞かせてあげることもできず、コンビニにもう一度行くことも叶わずだったのだ。

しかし、海音の母親からは「ありがとう」という言葉を渡される。

僕個人の話になるが、無力感の上に「ありがとう」ほど心に刺さりきつい言葉はないと思っている。何も有難くないのだ…受け取ることはできなかった。

次に、映画「栞」の中での藤村さんではどうだろうか。

藤村はリハビリテーションに熱心である。
再びラグビーをするために、いや再び自分の足で歩くために…。
できることはなんでもやってやろうという気概を見せる。
弱音一つなく…。

ただ、藤村本人としては、元に戻らない限り「低下」なのである。
元々の仕事・生活・さまざまなものとの関係性は「低下」したままでは戻ってこない。手に入れられない。

一方、理学療法士の身としては、リハビリ開始時より、右肩上がりで改善している。そして退院することもできる。自分で車椅子にも乗れるようになった。できることが増えた。
良いことではないか…。

高野のいうつらさというのは、右肩上がりの関わりができないことだけじゃないようだ。
元に戻すことのできない無力感。
また、藤村の今後を想像したときの、不安とやはり何もできない無力感。

高野は感受性が高い。
これも理学療法士を続けていく上では、つらかったのだろう。

そして、藤村さんは退院の前日に飛び降り自殺をする。
あのときの雄叫びと涙、あの表情…ぜひ映画館で見て欲しい。

僕の話になるが、僕が出会った脳卒中当事者は言っていた。

脳卒中になったばかりのころ、何度も死のうとしたんだ。でも、柵を超えられなかった。退院した後も、死のうしてみたけど、塀を超えられなかったんだ…。情けなくなってね。もう生きるしかないかって諦めた。

と笑って話してくれた。そういった話をしてくれた身体障害者は複数名いる。全然少なくないと思う。死にたいって思うことは、当然のことなんだろう…と思いを馳せる。

生きていたら金が入る。
僕らこどもたちのために、父は延命しているんだ。

尊厳死というものを改めて考えさせられた。

「手術して、また働けるようになるなら、手術を受けます」といった父親は、意識もなく寝たきりになってしまった。

また、父は尊厳のある死を迎えさせて欲しい…と書類まで用意していたにもかかわらずだ。

尊厳死とは、あらためてなんだろうか。

あんまり自分を責めるなよ。

感情をコントロールしながら、医療現場に立つのはたやすいことではない。

映画「栞」は生と死を考えさせられる物語だった。
そして、理学療法士という職種は生と死を考える職種でもあると思う。

この映画を見て、理学療法士を目指そうと思うみんなへ。
つらいことも有ると思う。
自分の不甲斐なさや勉強不足だけでない、どうしようもないこともあるでしょう。無力感にさいなまれることもあるでしょう。
そんなときも、ともに支え合っていきましょう。

誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えを必要としています。
引用:めぐみ在宅クリニック


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