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絵本とヒト

今年の8月で1歳を迎えた姪っ子は絵本が大好きなのだそうだ。

ある雨の日の保育園。お外遊びができず、先生と一緒に園内探検に繰り出した園児たち。0~1歳児用フロアがある1階からはじまり、2~5歳児用フロアがある2階まで探検することになったのだそう。

そのとき姪っ子は、1階の絵本が置いてある本棚をチェックしたのはもちろんのこと、2階にあるお兄さん、お姉さん用の絵本もくまなくチェックしたそうだ。本棚の前で立ち止まり、一冊一冊じっくり物色。気に入ったものがあれば、これを読んで欲しい、と先生に手渡したという。

わたしも母も姪っ子によく絵本をプレゼントしていたので、徐々に「本好き」に育ってくれていて嬉しい。そして、まだちょっとした言葉しか喋れない、赤ちゃんという状態であるのに、すでに「好きなもの」が形成されていくのは不思議だと思う反面、それは当たり前のことなんだろうとも思う。

わたしも小さい頃は絵本が大好きだった。特に読み聞かせが大好きで、幼稚園で過ごしているときなどは、小さいながらに”もっと読み聞かせの時間があればいいのに…”と思っていたほどだ。
家の中にはたくさんの絵本があって、毎日気が済むまで読み漁っていた。絵本それぞれに”好きなポイント”があって、お気に入りのシーンや言い回しが出てくるとワクワクした。

また、わたしは3人姉妹なのだが、小さい頃は父がこの3人娘によく読み聞かせをしてくれていたらしい。(残念なことにわたしは全然覚えていない…)わたしと長女は7つほど年が離れているから、姉に合わせた本を読めばわたしが理解できず、わたしに合わせた本を読めば姉が退屈してしまう。だけど、父はいつも「父が読みたい本」を読んでいたそうだ。そして、娘たちはそれを黙って聞いていたらしい。

父が亡くなって6年。わたしはいまだに、わたしの知らない父の話を聞く。絵本の読み聞かせの話もそのひとつだ。
わたしが覚えている父は、物心つく頃にはもうだいぶおっさんだったし、3人目の娘ということもあり、これまでの無駄に頑固で厳しい側面は削ぎ落とされていたらしかった。だから、算数の問題ができずビンタされた思い出はあるけれど、基本的には甘く育てられてきたと思う。とはいえ、溺愛するタイプの親ではなかったので、ベタベタされたこともなかった。持ち前のしつこさに辟易したり、謎に怒られた記憶はあるものの、動物と植物を愛す物静かな妖精的な父親だった。

だから、あの口角の上がった人の良さそうな顔で、嬉しそうに自分の膝にわたしを乗せている写真を見つけたり、昼寝をしているらしい父の上に娘たち3人が乗りかぶさっている写真などを見つけると、ちゃんと子どもと父親の微笑ましい時代があり、何より父が子どもたちを可愛がってきたんだと思うと、それもまた不思議な気持ちになるのだった。また、そういうわたしの知らない(覚えていない)父は、きっとまだまだいるのだろうと思う。


もし今父が生きていたら、また姪っ子に絵本を読ませているのかもしれない。父が読みたいものを、姪っ子に読み聞かせるのだ。姪っ子は飽きて途中でどこかに行ってしまうかもしれない。けれど、あの妖精はそれを嬉しそうに見守るのだろう。

年が明ければ父の7回忌、また来週は友人の4回忌。早いものだ。今生きている者と、今ここにいない者と、わたしたちは今日も共存していこう。

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