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大切な人が天国に旅立って、やっと令和が始まった気がする

”日曜日”の電話

令和元年7月某日。現場に出ていた僕は一本の電話を受けました。

その電話は、仲のいいケアマネージャーさんからでした。
ここのところ現場に出る機会が減り、久しぶりの電話に少し嬉しくなりました。

いつもと違うのは、その電話がかかってきたのが”日曜日”であること。
そして、電話越しのケアマネージャーさんの声が、妙に落ちついていること。

しかし、午前11時半。ウチの施設では少しばかり忙しくなってくる時間帯。
僕は仲のいい人の、いつもと違う変化と、”日曜日”に電話をもらう意味に気づいていませんでした。

「あ、三宅さん。お世話になってますぅ〜」

ーあ!!どうも!お久しぶりです!なんかお話しするの、すげー久しぶりな気がする!

「ですね〜お久しぶりです〜」
「あのぉ。〇〇さんなんですけど・・・」

違う。

明らかに、いつもと違う。

そして、この〇〇さん。
数日前に体調不良で緊急入院されたばかり。

頭での理解が追いつかないほどの胸騒ぎに襲われました。

ー僕:はい・・・

「〇〇さん、昨日午前に逝去されました。」

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・

僕がこの世界に入って四年半。
たくさんのお客様(利用者さん)が亡くなってきました。

多分、10名以上。

でも、この時、報告を受けた時に感じた感覚は、これまでの訃報とは比べものにならないほどの絶望感と悲しみと畏れと・・・、僕の語彙力では追いつかないほどの感情の渦に巻き込まれていきました。

「日曜日に掛かってきたから、気になった。」

そうスタッフが言っていました。


昭和の象徴だった”オヤジ”

この方を「オヤジ」を呼ばせて頂きます。

職員と利用者という枠を超えて、心から分かり合えた、そして、可愛がってもらいました。
僕にとっての”オヤジ”に近い存在なのかもしれません。

オヤジとの出会いは、3年以上前。
そろそろ4年になるところでした。

「ちょっと厳しめな方なので・・・ほら、まあ、この世代で頑張ってこられた方って感じですねw」

当時担当されていたケアマネージャーさんから、そう紹介されました。

肺に病気があり、在宅酸素を使用していたオヤジは、気持ちはまだまだ現役バリバリ!!

それは利用初日から始まりました。

「仕事してないじゃん」
「何ぼーっとしてんの」
「もういい、わかった」
「〇〇はどうなってんの?」

本当に病気なのか?と思うほどの矢継ぎ早なダメ出し。

良くも悪くもハートフルな現場だった当時、僕たちは何度となく背筋が凍りました。

そんなある日、事件は起こりました。

「苦しいから帰る。病院へ連れて行ってくれ。」

どうやら肺の状況の変化から息苦しくなったとのこと。
救急車を呼ぼうとしても強烈な拒否。
”主治医はよく知っているから、病院に行けば大丈夫”の一点張り。

早退するにしても、病院に行くにしても、ケアマネージャーさんやご家族と連絡が取れないことには動きようもありません。

しかし、時間とオヤジは待ってはくれません。

「もういい!タクシーを呼べ!1人で行く!」

・・・もうダメだ。

僕:「わかりました。車を出します。」

当時の先輩2人に話し、運転して家まで送ることにしました。
(家に帰れば薬があるとのことだったので)

出発して間も無く、

「病院へ行ってくれるか?」

それまでは、家に帰ると聞いていたので、
僕:「じゃあ、一度ケアマネージャーさんに連絡させていただいてもよろしいですか?」

そう言い、路肩に車を止めた直後。

「お前らはマニュアル通りにしか動けんのか!!!!」

と大激怒。

そして、後部座席からドーーーンを運転席を蹴られました。

それでも僕はケアマネージャーさんに電話をし、事情を説明。
病院まで送りました。

車を停め、僕も降りようとすると、

「降りてこんでいい!!邪魔だ!1人で行く!」

・・・・。

ひとまず、オヤジの背中を確認しながら、病院へ電話。

受付の看護師さん?に事情を説明してこの日は帰りました。

3日後。
オヤジの利用日です。
管理者以下、僕たちは直立不動でエントランスに立ち、頭を下げました。
ここでもオヤジの説教は続きましたが、先日よりは少し大人しくなったようでした。

その日から、やっと「僕とオヤジ」の日々が始まりました。

オヤジの乗る車の送迎ルートはなるべく僕に担当させてもらい、沢山の話をしました。
オヤジがどんな人生を歩んできたか。
僕がどんな想いで介護を志し、東京に出てきたか。

初めは僕の仕事ぶりに不満があったようでしたが、お互いに全力でぶつかった日々はすぐに過ぎ去り、理解しあえるようになってきました。

オヤジの奥様の出身大学が僕の通っていた大学の近くだったということも、オヤジの中で、僕という存在を印象付ける大きな要因にもなりました。
この時ほど母校に感謝したことはありません。

平成な”オヤジ”

オヤジは日に日に丸くなっていきました。

それは、側から見れば好転のようにも見えましたが、
一方で「身体の変化」でもありました。

一年半ほど前からオヤジの身体にも今まで以上に大きな負担がかかるようになっていました。
それはもちろん病気の進行と加齢によるものでした。

ちょうどその頃、僕は結婚しました。
相手は同じ職場の同僚でした。

実は結婚前から、妻と付き合っていることは、オヤジを含めた数人のお客さんには言っていました。

口に出さないと気が済まない性格のオヤジでしたが、最後の最後、みなさんの前で結婚発表をするまでは言わないでいてくれました。

結婚発表をした時のオヤジの顔は、まるで本当の親のようで・・・

いや、正直なところ、僕の両親以上に喜んでくれたのかもしれません。

毎週毎週、僕の姿を見ては叱咤激励し、育ててくれました。

息子のいないオヤジは、僕のことを息子のように可愛がってくれました。


僕の結婚発表から数週間後。
いつものようにお迎えに行くと、オヤジが車の中で滔々と話し始めました。

「三宅くんが結婚かあ。いやあ、めでたいねえ。しかも〇〇さん(妻)。僕の大好きな職員さんだよ〜」
「それにしてもね。みんなには感謝してるんだよなあ。」

みんなに感謝している。

僕がオヤジの口から聞いた初めての言葉でした。

「僕はこんな身体になってねえ。初めお世話になった頃には、まさか自分がこんなところにくるなんて・・・と思っていたんだけど、いざこうやって苦しくなると、みんながいてくれて助かるし、何より毎週、毎回行くのが楽しみなんだよ。」

さらに、
「僕のね奥さんは、若いでしょ?結婚前はえらく反対されてね。”娘にお前の介護をさせるのか!”ってね笑 そりゃあそうだよね。結婚した時僕はもうそろそろ定年が見えてきていた。そりゃ心配するよね。でもね、”大丈夫です!彼女には僕の介護はさせません!”って言ったんだよ。そのつもりだったしね。苦労はさせないつもりだったよ。いやあ〜でも、こうなっちゃったからなあ。今ね、僕がこういう状態になってて、本当に奥さんには申し訳ないと思うよ。感謝してるよ。こうなっても、そりゃあ口では色々言ってくるが、それはその通り。それくらい許そうと思うよ。こんな僕とね、いてくれてありがたいよ。普通なら捨てるよ?笑」

僕:”いい奥さんですね。結婚してよかったですか?”

「ハハっ!笑 そりゃあ最高”だったよ”笑」

現役バリバリのオヤジが。助手席でいつも存在感抜群のオヤジが。
この頃から少しばかり小さく見えるようになりました。

「命の変化」を感じるようにもなってきました。

それから1年間、特に身体の変化を感じずにはいられませんでした。
苦しそうな表情は日に日に増え、急遽の利用不参加も増えてきました。

別れの日も突然でした。

いつもと変わらず自分の口でケアマネージャーさんに電話をし、最後まで気丈に振舞っていたそうです。

これからの”オヤジ”を見ていたかった

昭和の象徴のようだったオヤジが、身体の変化とともに「平成」へと変わり、そして、令和を訪れを待っていたかのように、この世からいなくなりました。

昭和の頑固オヤジだったオヤジが、身体の変化に呼応するように、自らの身体を以って感謝の気持ちを周囲に与え、まるでそれは、平成へと時代が変わるさまを表しているかのようでした。

令和のオヤジはどんな姿になるんだろう。

みんな楽しみにしていたと思います。

「おたくの施設にはWiFiはあるのか?」

多分初めてこんなことを言われました。

いつもパソコンかタブレットで嬉しそうにゲームや仕事(奥様のお手伝い)をしていました。

ここ一年ほどは、他の利用者さんとのコミュニケーションも増え、会話を楽しむ様子も見られるようになってきました。
実際オヤジ本人も、「みなさんと話すのは楽しいね」と言うようにもなってきました。

それはもしかすると、オヤジの「令和への変化」だったのかもしれません。

自分の身一つで、高卒だったオヤジはたたき上げで大企業の役員まで上り詰めました。
「自分よりも賢い連中」を何十人も部下に従え、歴史に残るような大仕事を成し遂げて来られました。

しかし、病気と衰えには嫌でも向き合わなければならず、募る苛立ち。
介護施設になかなか馴染めず。募る苛立ち。

でもそこからオヤジは変化しました。
周囲への感謝をすることで、笑顔も増え、お客さん・スタッフ、みんなの中心にいるようになりました。

そして、ここ一年・半年は、とにかく楽しそうにされていました。
以前は人と話すことも拒んでいたのに、自分から積極的に話題を提供しては、周囲を笑顔にしてくれました。

そんなオヤジの姿を、できればもう少し見ていたかった。


世の中は諸行無常。

それは、大切な人も例外ではありません。

もしかするとオヤジは、「諸行無常」にただただ身を任せていたのかもしれません。

意固地になっていても病気は良くならない。
できればみんなで楽しくいたい。


「令和」が始まります。

オヤジが作ってくれた昭和に感謝し、
オヤジが見守ってくれた平成に感謝し、

次は僕たちが「令和」を作るのです。

諸行無常。

オヤジがそうしたように。

自分を、周りを大切に生きて行きたいと思います。


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オヤジへ。

頑固オヤジでしたね。
いっぱい言い合いをしましたね。
多分ものすごく失礼で、生意気な小僧だったと思います。
ごめんね。

オヤジのおかげで、今僕は頑張れています。

オヤジが残してくれた、圧倒的なエネルギー。

僕が受け継ぎます。

強みも、弱みも、全部見せてくれてありがとう。

無知で経験もない僕だったけど、オヤジのおかげで「介護の本質」を感じることができました。

大好きです。

先にそっちで「令和」、やっといてください。

お元気で。

またお迎えに行きます。


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<おわり>



シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。