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第XⅢ章 歯車の下で-1

Vol.1
 飛行機が離陸してから二時間程度が経った。あっという間に飛行機は着陸準備に入っていた。飛行機に乗っている間、僕は流れていく雲を見ながら終わってしまう休みを惜しんでいた。もう少し長く休みたかったと毎回毎回思うのは社会人になってからだった。長い人生の中で、卒業というシステムがなくなってしまった。今までは、最大で6年同じところに通って、それから卒業というシステムに従って、次のところにいく。これを繰り返して来た僕にとって卒業を欲しているのだろう。僕は終わりを探しているんだ。そう自覚した。
 ’’今の生活が終わらないと新しい生活が始められないもんね。’’
「・・・。」
 ガタン。機体が大きく揺れ、思わず前に体が倒れた。飛行機が着陸したのだった。着陸後、滑走路の上を少し走ってから空港へとどんどん近づいて行く。空港ではひっきりなしに飛行機が飛び立ったり着陸したりを繰り返していた。僕は、座席の下の手荷物をもち、飛行機の出口へと向かった。出口では、CAさんが僕らに感謝のお礼を言う。むしろ、安全にフライトをしてくれた人たちに感謝するのは、僕らの方だろうに。そんな思いからか、僕はいつも「ありがとうございました。」と言われたら頭を下げて「ありがとうございました。」と言うようにしている。
 預けていた見物を回収した僕は、早速モノレールに乗り、大都会へと向かった。僕と同じように、キャリーバックを抱えた人がモノレールへとのり、まるでおしくらまんじゅうでもしているかのようだった。人は、ここまで鉄の箱の中に入れるのだと思った。そんなに長い時間ではなかったが、とても長い時間に感じる。やっとのことで駅に着いて、今度は山手線に乗り換えて東京駅へと向かった。モノレールよりも激しい人混みの中を僕はかき分けて、電車に乗った。揺れる電車と共に人も揺れる。僕は、体幹に自信があった。学生時代、サッカー部に所属していた僕は、体幹トレーニングを毎日行っていたおかげでもある。だが、ここまでギュウギュウ詰めの車内では、その鍛えられた体幹も虚しく、揺れる方へと揺れるしかない。なんとも情けないものだ。僕は、うんざりしながら東京駅までのわずかな時間を過ごした。
ー次は、東京駅ー。
電車の中でアナウンスが流れた。僕は人混みをかき分けながら出口に向かい、駅が甲高いブレーキ音と共に止まった電車の扉が開き、駅のホームへと駆け出した。ホームを降りてみても人混みは全くとして衰えなかったが、電車の中よりは幾分かマシだった。やっと息ができると言わんばかりに、僕は深呼吸をした。久しぶりの東京。久しぶりの人混みに疲れた。帰省中は、過疎化も相待って全然人がいない地元で暮らしていたせいで、人混みの感覚から遠のいていたせいだろう。近所の神社の初詣程度の人混みでは、全然比にならなかった。
 さて、そうこうしているとそろそろお昼時であった。お腹もグーグーと悲鳴をあげて食べ物を欲していた。僕は、キャリーバックをロッカーに詰めて、東京駅近辺でどこかお昼を食べることにした。スマートフォンからSNSで#銀座グルメや#東京駅グルメで検索を行った。美味しそうな食べ物がたくさん出てきたが、なかなか庶民が食べるようなお手頃なお店が出てこない。まあ、銀座と言えば高級寿司なんてこともあるくらいだ。僕は、しばらくスマートフォンと睨めっこしながら、ああでもないこうでもないとスクロールを続けた。すると、いい感じの中華料理のお店が見つかった。口の中が刺激を求めていたのでちょうどいいと思い、僕はその店へと向かった。
 季節は冬真っ盛りーのはずだったが、暖冬の影響でそこまで寒さは感じなかった。むしろ、ちょうどいい凍てつきと言っても良いだろう。街ゆく人も、コートは羽織っていたもののマフラーをしている人は少なかった。息も雲のように厚く白くなっていると言うよりは僅かに白く霧のように薄かった。東京駅からしばらく歩くと、お目当ての中華料理のお店があった。店内に入ると、落ち着いた雰囲気のお店で、席は賑わっていた。普段は予約のお客さんでいっぱいなんだそうだが、カウンター席がちょうど1つ空いていたらしく、僕はそこに案内された。メニューを広げると、メニしたことあるような名前が並んでいたが、一つ一つになんだか品を感じた。下町の安くて上手くて汚い中華に行き慣れた自分にとっては、それは中華であるようにも感じるし、中華でないようにも感じられる。
 どれにしようかと迷っていると、なんだかシンプルに麻婆豆腐と言う実家のような安心感のある料理が目に留まった。僕は思わず、麻婆豆腐を注文して、少し落ち着かない様子で料理が来るのを待った。しばらくすると、麻婆豆腐の香りがやってきた。僕のお腹はそれを合図に一斉にグーッというラッパを鳴らした。料理が到着する。見た目はなんだろう。麻婆豆腐なのだが、なんだかよく知らない香辛料が飾られていた。鼻腔をくすぐる香辛料につられて勢いよく大きな一口を口に運んだ。
「うま辛いっ。」
思わず声が出た。それを聞いたシェフがこちらをみて笑みを浮かべてこちらに挨拶してくれた。
「お口にあってよかった。ごゆっくり。」
「ありがとうございます。」
僕は、雪崩のようにやってくる食欲に呼応して麻婆豆腐を口にどんどん運んでいく。セットのご飯は麻婆豆腐を完食する前に食べ終わってしまった。僕は、あまりにも慌てて食べたせいでお腹が膨れて動けなくなっていた。ジャスミンティーを追加で注文して、ホッと一息していると、隣から声が聞こえた。
「最近どうよ。」
「最近。まあな、ボチボチだわ。そっちはどうなのよ。」
「うーん。やっと機動に乗って来た感じかな。」
「よかったじゃん。」
「でも、まだまだだよ。やっぱり月の売り上げが1億超えるくらいならないとな。」
「いやいや、5千万でもすごいよ。」
「会社を起業して3年でやっとここまできたとはいえ、欲が出ちゃうよ。」
「その欲がまあエネルゴーみたいなものだからね。」
実業家の方の話し声だった。月の売り上げが5千万ー。僕が一月でもらえる額は20万ちょっと。月とスッポンとまではいかないがどうしようもない差がそこにはあった。なんだか、がっかりする。他人と比較しても何も出ないのは知っている。しかし、僕らは生きている以上、何かと比較をしている。スーパーに行ってもこの商品とあの商品の鮮度が良いのは?形がいいのは?このスーパーよりもあのスーパーの方が品揃えがいいとか、価格が安いとか。生きる上での選択は、必ず何かと比較している。そう僕は思う。比較なんてせずに人は選択できるのだろうか。昔、会社の上司との面談があった。人事評価面談時にスキルシートと言う自分のスキルについてを評価するシートを用いて一年の成果を説明するものだ。この時、僕は「一般的な人と比較してこの点に関して自分は秀でている。」と言う表現をした。これに対して上司が「誰と比較しているの?」と言い始めた。僕は誰かと比較したわけではない。大衆的なイメージ。僕の思う一般社員像を想像し、パラメーター的には秀でている。という表現を行なっていた。というか、秀でているかいないかなんて何かと比較しないとわからない。上司は首を傾げているだけだった。その数日後に、「セレンくんは他の人よりも資料作るの綺麗だよね。」といった。僕は言葉では感謝を言ったが、この人は他人と僕とを比較していた。あれれ。こないだ言っていたことはなんだたのだろうか。こういう矛盾が社会には多い。それから僕は、上司の前で誰かと比べてという表現を言うのではなく、自分の価値観的にはここが良いと思うとか。そういった言葉を使うようになった。これも、コミュニケーションを円滑に進めるためだ。と。
「ところで、こないだ芸能人の星野蓮をホテルで見たんだよね。」
「どこのホテル?」
「熱海にあるリゾートホテル。確か、一泊が10万くらいのオーシャンビューを見ながら入れる露天風呂ついているホテル。」
「めっちゃいいじゃん。今度行ってみようかな。」
「いや、泊まったことあるけどめちゃくちゃいいよ。夕日が沈む海を見ながら入る温泉に、夜景を楽しみながら飲むお酒は。」
「最高じゃん。」
実業家たちの話は旅行の話になっていた。一泊20万円なんて高級ホテル泊まったことがない。僕ら庶民には縁もゆかりもない世界だ。一泊二万円ですら高いと感じるのに、その10倍の値段のホテルなんて。想像もつかなかった。何年も働いていその記念に。もしも、彼女がいれば大切な記念日に泊まることはあるだろうが、ただ行きたいという理由だけでそんな高級ホテルには泊まれない。仮にそんな事をしてしまっては、破産してしまう。欲が出てしまうからだ。欲は際限がない。一度蓋を緩めてしまったら、ずっと蓋が緩み続けて行ってしまいそうで怖かった。
’’だから君は、ダメだったんだろう。自分の欲望を我慢してきて、そのうちバイタリティまで失ってしまう。それが君の悪い癖だ。多少の欲は持たないと人生は無味なご飯に等しいのさ。’’
「そうだね。でも、これからは違うよ。」
’’期待しているよ。’’
僕は、お会計を済ませ店を出た。自分とは違う世界に生きる人の話を聞いて少しうんざりしていた。こんな人生だったらと言う憧れが僕に嫉妬心に近いものを与えた。それだけだったが、それは麻婆豆腐の感動を忘れさせるほどまでに僕の心を濁らせていた。そんな複雑な感情の中、新幹線に乗り自分の住む街へと帰宅した。
 新幹線を降りると、そこにはいつもの街並みが広がっていた。新しい人と出会い、別れ。決別し。一人になった。そこは、帰省する前となんも変わりない風景だが、僕にはどうも違う街並みのように感じた。東京とは違い、人もまばらで建物は低い。もの寂しさをそこには感じた。まあ、地元の風景に比べればまだマシなのだが。そんな事比較してもしょうがない。未来の事を考えよう。明日から、新年初の会社への出社だ。早く家に帰り、明日の準備をしよう。そう思い僕は自宅へと急いだ。その日の夜は、眠気がすごかったためすぐに寝てしまった。まるで身体が鉛のようだった。地元から帰宅するのにだいぶ疲れたのだろう。ああ、明日からまた辛い日々の始まりだ。

「露君と話してると、なんだろう。ワクワクするのよね。」
彼女は、微笑みながら僕に語りかけてきた。僕は今がどう言う状況なのか全く分からない。あたりをキョロキョロしていると、それは中学校の校舎だった。
「ワクワクってどう言うこと。」
「そうね。露君と話していると、なんだか素敵な未来を描いているように感じるの。」
「素敵な未来ね。」
「あら、不満。」
「つまりどう言うことなのかなと。思って。」
「つまり君といると楽しいって言うことなのよ。」
僕は、彼女が未来ちゃんであることを認識し、彼女がここまで笑顔になったところを初めて見た気がする。というか、僕らはこんな関係であっただろうか。もっと、無機質な関係だったような気がするが。僕は、疑問に思いながらも、なんとも心地の良い感情に襲われていた。二人で楽しく和気藹々と話しが盛り上がり、しばらく話していた。
「こら、そこの二人。何をコソコソ話している。」
さっきまで人がいなかった世界だったのに、いつの間にか授業中にあたりげ変化していた。
「すみません。」
僕が慌てて謝ると、先生はプロジェクターで動画を流し始めた。
「なんの動画だろうね。」
彼女が僕に話しかけてきた。
「なんだろう。」
「楽しい映像だといいな。こないだみたいなつまらない映像だと寝ちゃいそう。」
「確かに、こういう授業の映像って教室薄暗くしてしまうから眠たくなるよね。」
「そうなのよ。なんとかならないかしら。」
「というか、これはなんお授業だっけ。」
僕が彼女に尋ねたとき、先生が咳払いをした。僕は、先生を怒らせてしまうと思い、慌てて口をつぐんだ。すると、隣に座る彼女は僕のノートに「内緒🤎」と描いてきた。彼女は、満面の笑みで僕の方を見てきた。僕は、ちょっとムスッとして前を向いて映像を見ることにした。
 映像が流れる。一頭の馬がいた。黒い馬だ。麦畑の中を走る馬がいた。馬はどんどんと早く走っていく。するとあたりがどんどん暗くなってきた。雲いきが怪しい。しかし、そこに黒煙がどんどんとやってくる。麦畑が燃えている。真っ赤に燃えている。その火はやがて馬へと燃え移り、馬は高い声で泣いた。悲痛な叫びが教室に響き渡る。僕は、この映像をなぜ見せつけられているのか分からなかった。馬が燃えている。馬が真紅に燃えている。馬が泣いている。しばらくすると、雨が世界に降り始めた。雨は蕭々とふり、馬を冷やした。馬は死んでいた。生臭い香りと雨の香りが入り混じっていた。映像を見ていたはずの僕は、馬が死んでいる麦畑にいた。ああ。酷い。これが何を意味しているのか。意味なんてないのかもしれない。意味は後からつければいい。今は、この気持ちをただ、激しい雨と一緒に流していけばいい。雨は次第に弱まり、空の奥から黄金色の光が漏れてきた。神々しい。僕は不思議な気持ちの中、空に手を伸ばした。

 pipipipipipiー。目覚まし時計が朝を告げている。僕は朝日で鉛の体を少しずつ溶かしながら身体を動かしていった。5分くらい目覚ましが鳴りっぱなしのまま、やっとのことで目覚まし時計のアラームを止めた。帰省していた際の遅起きをしていたせいでこんな時間に起きるのがとてもしんどくなっていた。朝7時。冬の寒さが染みる。ヨタヨタしながら洗面台へと向かった。水を出して手で触ると飛び起きてしまうほど冷たかった。恐る恐る顔に水をつけて顔を洗った。うう。目が覚めると思いながら朝の支度を手早く済ませ、会社へと向かった。
「おはようございます。」
僕が挨拶をすると、数人がパソコンを叩きながら「おはようございます。」と小声で返した。いつも通りの日常が始まった。新年最初ということもあり、みんなスローペースな気がする。午前中は、社長も参加する前者集会が行われる。そのため、みんなメールのチェックをゆっくりとして、会場のあるホールに集まった。ホールは薄暗く、社長が登壇する場所にスポットライトが当たっていた。僕は、適当な席に座り、全社集会が始まるのを待った。周りはザワザワと世間話が聞こえてくる。娘が勉強を全然しなくて困っているとか、旦那にいびきがうるさいとか、最近の株の変動が大きくてレートが読みづらいとか。たわいのない雑談だ。しばらくすると、全社集会は始まった。暗幕の横から社長が登場し、挨拶を済ませ、一年の振り返りとして、売り上げがしっかりと増加していることや新事業なんかの説明をした。みんな社長の話に関心を抱くことはあまりなく、眠らないように頑張っている感じがくる。中には、普通に寝ている人もいた。僕も例外なく眠たかったので、手をつねって眠らないようにした。社長の話が終わり、質疑応答の時間になったが、誰も質問はなかった。それから各部門長のお話や諸連絡を挟み、全社集会は終了した。僕は、この会をやる意味がいまいち分からなかったが、まあいいかと思い仕事に戻った。その日は一日中頭に靄がかかった感じがしていた。早く仕事が終わらないかと思いながら仕事を進め、やっと定時になった。今日は残業もないから帰れると思ったが、帰り際に上司から、突然明日の会議に出て欲しいと言われ、僕はその会議資料を作ることになってしまった。もっと早く言えよ。と思いながら僕は、明日の会議資料を作成した。会議資料ができたのは7を超えていた。車内を見渡すと、いく人かの人たちが残っていた。上司はもう帰っている。自分は帰るのに部下に仕事を任せて帰る。とまでは言わないがなんだかひどく疲れた気分になった。新年初日からこんなことになって少しうんざりしていたのだろう。憂鬱な気持ちに苛まれながら僕は帰路に着いた。
 次の日、僕は上司と共に会議に出席していた。新製品を巡る大事なプロジェクト会議だ。この会議には共同開発先の他社も参加している。僕は、昨日頑張って作成した資料を会議参加者全員に配った。配った資料にみんな目をパラパラと通していた。
「それでは、新製品のγについての会議を始めさせていただきます。」
僕は、パワーポイントを使って新製品のニーズや社会的貢献度、製品開発までのスパンを提示した。聞いている人はウンウンと頷きながら話を聞いている。無事に会議は進んでいる。そう安心してプレゼンを進めていると、その中で一人、頷かないものがいた。上司の上司、つまりは部長が少し眉を顰めたのだ。
「ちょっと質問いいかな。」
「ええなんでしょう。」
このタイミングでの質問は面倒だ。よくないことが起こる。部長が眉を顰めたときは機嫌が悪い証拠だった。数々の先輩がそうやって苦しめら得てきたのをこの目で見ていた。
「この、P23にある新製品の開発に関するところなんだけど、この開発に必要な原料。どうしてこれ使ってるの。使っている意味が知りたい。」
僕は驚いた。なんで、自社の報告の時にどうして自社の報告のツッコミをこいつはするんだ。これではまるで、部下の未熟さ。いや、コンセンサスが取れていないところをひけらかすようなことをするんだ。僕は、手に汗をかきながら返事をした。
「そちらに関しましては、様々なことを考慮いたしまして。」
「いや、だってCの原料つかった方がいいでしょ。コストや原料調達の観点からすると。」
「コストや原料調達の観点ですとおっやる通りですが、製品の系の構築になりますとあまりよろしくないかと。」
「いや、今までの傾向とかあるでしょ。だったら、むしろBとかFを導入しても良くないか。」
「はあ。」
僕は、適当に相槌を打った。そんな様子はお構いなく、部長は話を続ける。
「ああ、そうか。これだとNの方が合理的かもしれない。Nだと、新規制も確保できるし、性能も良くなるのでは。そうだそうだ。」
「まあ、その可能性もありますね。」
「だったら、こっちで行った方がいいでしょ。どう?」
「そうですね。」
部長が広げていく独自の理論展開。ああ、もう面倒くさい。これに反論することは不可能だった。むしろ、適当に相槌を打ってその場を流した方が良い。こんな時、水卜先輩ならー。きっと、僕よりも上手く対応していたんだろう・・・。
 その後も、部長の自論展開が繰り広げられた。傍で上司が、
「そんなにNでイケるもんですかね~。」
と言ってフォローしていたが、そんなのはお構いなしだった。というか、「もっと普通にフォローしてくれよ。」と心の中で思った。が口には出すこともできなかった。他者の部長さんも、僕が詰められて行っているのに同情してくれたのか。
「今回のこの場で決めなくても良いので、もう少しゆっくり決めても良いのではないんでしょうか。」
と言ってくれた。長い長い会議は、当初一時間をよてしていたが、二時間を遠に超えていた。誰にも助けてもらえないまま、僕は会議をやっとのことで終えることができた。会議を終えると、僕は疲れ切ってしまった。今日は早く帰りたい。そう思いながら、自席についた。自席でお昼を食べていると、部長がニヤニヤしながら僕の方にやってきた。
「いやーさっきはごめんね。結構追い詰めちゃって。」
「いえ、別に大丈夫です。」
「やっぱり、Nの方がいいと思うんだよね。」
「そうですね。」
謝るなら最初からするなよ。人が嫌がっているのをわかってやるのはおかしいだろ。しかも、他社の人がいる前で。そんな恥晒しみたいなことをするなよ。それに、現場を知らない意見。自分の理論が正しいという感じで話を進める姿勢。僕は、心の中で沸々と煮えていく感情を必死で抑えた。「ニヤニヤとしている顔面に鉄拳でも加えてしまえば黙ってくれるだろうか。」とも考えたが、とりあえず愛想笑いしてその場をやり過ごした。
 それから数日が経ち、部内会議が開かれた。今現在、みんなが受け持っているプロジェクトについての現状報告会議が開かれた。新年明けてからどんどんと重い会議が続くな。そう思いながら壇上に上がった。会議は、各プロジェクトの現状報告が基本的な内容だ。
「それではプロジェクトRについての報告をさせていただきます。」
僕は、淡々とプロジェクトの現状について報告していく。たまに少し噛んでしまうこともあるが。
「露祺くん。報告ありがとうございます。」
部長が静かにそう言った。その後に衝撃の一言が続いた。
「本プロジェクトなんですが、ペンディングにします。」
「え。」
僕は何を言っているのかわからなかった。ペンディング?何それ美味しいの?
「突然のことで申し訳ないけど、社内方針でそういう形にさせてもらいます。」
「わ、わかりました。」
会議室が騒つく。周りが騒ついているのに反比例して僕は感情が静かになっていった。というよりは、言葉の意味を正しく理解することができずにいたに近いかもしれない。その後に部長や他の人が何を言っていたのか覚えていない。吹雪いている雪山を歩くように、周りの音が聞こえない。いつの間にか、会議は終わっていた。メールには上司からフォローのメールが入っていた。「詳しいことは後日面談します。」と。それから何にもの日が続いた。だが、上司からの詳細の説明も面談もなかった。
「露祺くん。Rのプロジェクトもうペンディングしたのになんでやってるの。」
K先輩がなんだかニヤつきながら話しかけてきた。
「いや、ここまではやっておきたくて。」
「そんな無意味なことしなくていいじゃん。」
「ペンディングって延期って意味ですから再開する準備としてキリの良いところまではやっておかないと。」
「何それ。そんな暇あるなら他のことしなよ。」
こいつ、人の気持ちもわからないのか。こんなに虚しい気持ちになっている人に追い打ちをかけてきて。この会社の人、共感能力低すぎるだろ。僕はその場を適当に流した。本当ならアイロニーの一つでも言ってやりたいが。そんな元気もなかった。
 とある休日ー。僕は、コーヒーを飲みながら椅子に座っていた。ふと静かな部屋で一人いるという自分の状況に目をやった。新年始まってから日々を思い返す時間をとっていないことに気づいた。落ち着いて、今の自分の状況を振り返ってみると、先日のプロジェクトがペンディングになってしまったことを思い出した。「自分が少しづつではあるものの積み上げてきたプロジェクトがなくなってしまった。」積み上げてきたトランプのタワーを一瞬にして崩された喪失感。もう一度積み上げられるほどのやる気は起こらない。これから仕事のモチベーションはどうしていこうか。
「いや、いっそのことやめてしまおうか。同期のみんなみたいに。いっそのこと。」
僕は冷たい冬の部屋で小さくつぶやいた。コーヒーはいつの間にか冷めていた。


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