海

日本人はどこから来たのか その1

日本史を考える上で原点となる問い、それは

「日本人とは何か」「日本人とはどこから来たのか」です。

教科書などでは、「港川人」「縄文人」「弥生人」など、一見すると全く別の人々?ととらえられそうな表記もありますが…。

ここでは、遺伝的・地理的なアプローチから、日本人とは何者なのかを少し追ってみたいと思います。

日本はかつて大陸と地続きでした。そのため、日本に最初に到達した人類は陸路なのか?と考えがちですが、どうもそうではないようです。

日本に到達した痕跡を残している代表例は、先述した港川人です。

沖縄で出土した港川人の人骨は、およそ20000年前のものであることがわかっており、現在発見されている人骨では最古のものです。

発見されていない=存在しなかったことの証明にはならないので、それ以前に人がいなかったのか?という疑問は残るのですが、とりあえずは現存する資料だけから考えてみます。

港川人のルーツは、南方です。彼らはスンダランドから(おそらく海路で)たどり着いた人々であると考えられています。彼らをA系統と定義します。

スンダランドとは、更新世の寒冷期、海面が下がっていたので、東南アジアの島々やマレー半島などが大陸のようになっていた場所です。

上の地図のように、今のマレーシアやインドネシアなどはほとんど全部一つの陸地でした。ちなみにマラッカ海峡などは、当時の大きな河川(谷)の跡だと考えられています。だから、幅が狭いわりに水深が深いんですね。大型タンカーも通過できます。

現在島になって残っている部分は、標高が高かった部分(山地)です。これは日本列島も同じことが言えます。

「日本に山地が多い」とか、「瀬戸内海に島が多い」という理由はこういうことです。今の大きな島=かつての山地 今の小さな島=かつての山頂

話を戻します。

ちなみに先述した通り、同じ時期、日本も大陸と陸続きでした。

ではA系統が南方から北方に拡大し、「縄文人」となったのでしょうか?

遺伝的に見るとどうもそうではないようです。海路での漂着ですので、人数が少なかったせいもあるのでしょう。

※遺伝的に…とは、Y遺伝子の調査に基づくものです。この記事では、読みやすさを優先するので、細かいデータ引用は割愛します。ちなみに、Y遺伝子調査で自分の遺伝的ルーツがわかります。検査してくれるところもありますので、興味がある人はやってみてくださいね!

実は港川人より少し前(30000~20000年前くらい)、北方から大型動物を追って陸路で入り込んできた人たちがいたようです。彼らは現在南北アメリカ大陸に住んでいるモンゴロイド(ネイティブアメリカンとかインディオ)と同じ系統の人々です。彼らをB系統と定義します。

アメリカ大陸への移動がこの時期に起きているので、日本列島への移動もほぼ同時期に起きていると考えられます。

港川人の人骨は、沖縄の石灰岩質の土壌で守られたため出土しているんですが、B系統の完全な人骨はまだ発見されていません。朽ちてしまったかも…。

ではB系統が縄文人なのか?…ええと、違います(汗)

A系統と比べればだいぶ人数は多かったようですが、それでも結局、その後の日本における中心的な存在にはなれなかったようです(現代日本人の中に、Y遺伝子の残り具合が少ない)。

違うんかい!という突っ込みが聞こえてきます。すみません(汗)

これ以上は長くなりすぎるので、記事を分けて投稿したいと思います。

次回は、(やっと)縄文人となった人々について触れます。


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ここまでお読みいただきありがとうございました。

※続編で多分に地理的な要素が入ってきましたので、地理のマガジンにもこちらのノートを追加しました。このシリーズは地理・歴史両方のマガジンに入れていきます。歴史で書いたつもりが…(汗)

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