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食材を醸す技

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愛知ものづくり産業史 食品編
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食材を醸す技⑦ 和洋折衷の食文化形成へ

食材を醸す技⑦ 和洋折衷の食文化形成へ

高度経済成長期(昭和30年代)を迎えると、所得向上や核家族化、家庭電化が進み、嗜好品やインスタント食品の需要が高まる。こうした中、愛知でも新しいジャンルの食品(食文化)が誕生した。

まずは嗜好品の事例だが、ニッカレモン(後のポッカコーポレーション。現ポッカサッポロフード&ビバレッジ。谷田利景が昭和32年に名古屋で創業)が、同年、合成レモンを製品化。高価な輸入品だったレモンを普及させるためだった。

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食材を醸す技⑥ 洋食の本格的な普及

食材を醸す技⑥ 洋食の本格的な普及

日中戦争とアジア・太平洋戦争が終結した昭和20年、海外からの軍人や民間人の引き揚げにともなう人口増加、米の不作などが重なって、国内の食糧不足が深刻化する。このため翌年より、連合国軍総司令部(GHQ)を通じてパン用小麦粉や各種缶詰の提供を受けた。これがきっかけとなって、国内一般家庭への洋食の普及が急速に進み、愛知でも関連食品がいくつも展開された。

一つ目の事例はパン。大正11年に舟橋甚重が創業した

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食材を醸す技⑤ 伝統食品の展開

食材を醸す技⑤ 伝統食品の展開

明治時代、伝統食品分野でも動きがみられた。それまで醸造品は江戸などを中心に、ソウルフードは愛知周辺に供給されていたが、物流インフラの整備が進み、ともに全国各地へと市場が拡大していった。

まずは酒造業。江戸末期、中国酒(愛知の酒)は灘酒(兵庫県)と肩をならべる生産量を誇っていたが、明治8年に酒類税則が制定されたことで低迷期を迎える。そんな中、県下最大の酒造地帯となっていた知多では状況打開のため、

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食材を醸す技④ 西洋風食品の誕生

食材を醸す技④ 西洋風食品の誕生

明治時代を迎え、政府による欧米文化の移入や富国強兵政策のもと、栄養や滋養という概念が国内に根づいて食の多様化が進み始める。こうした中、愛知でも多彩な西洋風食品が誕生していった。

明治20年、小鈴谷(常滑市)の事業家・盛田善平は、中埜酢店(現ミツカングループ)店主・4代目中埜又左衛門とともに丸三麦酒醸造所(後の加富登麦酒)を半田に設立し、国産ビールの生産を開始する。同20年代後半には、ドイツ製ビー

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食材を醸す技③ 伝統食品の誕生 その3(ソウルフード)

食材を醸す技③ 伝統食品の誕生 その3(ソウルフード)

続いては醸造以外の分野である。江戸時代までの間に、今もなじみの深い食品が愛知から多数誕生している。以下その代表的なものだが、大市場向けの醸造品とは対照的にソウルフードという性格のものが多い。

■知多半島、西三河海岸部、渥美半島などでは、古墳時代より土器製塩(土器で海水を煮沸して塩を精製)が行われており、奈良時代、この地域の塩は醤と同じく租税(調)として朝廷に上納された。室町時代になると、大量生

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食材を醸す技② 伝統食品の誕生 その2 (豆みそほか)

食材を醸す技② 伝統食品の誕生 その2 (豆みそほか)

飛鳥~奈良時代の発酵調味料だった醤は、平安時代頃、みそへと進化した。この原料として、豆に加えて米や麦も使われたが、愛知では豆みそが主流となる。

延元2年(南北朝時代)、八丁(岡崎市)の大田弥治右衛門(現まるや八丁味噌の創業者)が豆みそづくりを開始した。室町時代になると豆みそは、三河武士の兵糧として重用されている。また、今川義元の家臣で永禄3年(室町後期)の桶狭間合戦に従軍した初代早川久右衛門は、

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食材を醸す技① 伝統食品の誕生 その1(酒造)

食材を醸す技① 伝統食品の誕生 その1(酒造)

酷暑厳冬で多湿の愛知では古くから食材を醸す技が培われてきた。文献上の初見は天平年間(奈良時代)のこと。奈良東大寺の『正倉院文書尾張国正税帳』に、葉栗郡でつくられた醤(豆みそのルーツ)や酒(濁酒と思われる)、滓(酒かすと思われる)が租税(調)として朝廷に献上されたと記されている。

また、清酒づくりも早くから行われていた。『日本文徳天皇実録』によると、斉衡3年(平安初期)、朝廷から派遣された酒造師に

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