本部流

流派の歴史紹介及び空手史の考察。本部流は本部朝基が開いた本部拳法と本部家の家伝である本…

本部流

流派の歴史紹介及び空手史の考察。本部流は本部朝基が開いた本部拳法と本部家の家伝である本部御殿手の2つの流派の総称です。執筆者は本部直樹。 2023年4月、アメブロ「本部流のブログ」より移行。 https://www.motobu-ryu.org/

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記事一覧

本部朝基は三男だから学校に通わせてもらえなかった?

名声と誹謗中傷はしばしば表裏一体の関係にある。たとえば、本部朝基は若年の頃から「非常に武才がある」と松茂良興作に激賞され、長じてからも「三尺の童子にもその名を謡…

本部流
17時間前
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松村の弟子:喜友名親雲上

大正7年(1918)、本部朝勇は屋部憲通、喜友名親雲上、知念三良(山根のウスメー)等とともに、沖縄県師範学校で唐手の型ショーチンを演武した。ショーチンはソーチンのこ…

本部流
6日前
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新たに見つかった宮城長順の写真

Facebookをご覧のかたはすでにご存知かもしれないが、少し前に最近発見された宮城長順のハワイでの写真が海外空手家のグループの間で紹介されていた。 詳しい撮影場所や時…

本部流
8日前
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空手家最古の肖像画

琉球王国時代の空手家の肖像画というものは少ない。少ないというかほとんどない。唐手佐久川や真壁チャーングヮーはどういう顔をしていたのであろうか。 そもそも琉球王国…

本部流
2週間前
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複数敵と戦うということ

競技化された現代空手では、基本的に想定する敵は一人である。組手試合では対戦相手は一人である。近年行われている団体形の演武では、複数相手と戦う「分解」が披露される…

本部流
2週間前
6

空手の突きと柔術の突きの違い

空手の突きと柔術の突きの違いについては、以前アメブロのほうで述べたことあるが、最近SNSでその話題が持ち上がっていたので改めて紹介したいと思う。 例として中段正拳…

本部流
3週間前
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嘘の型

先日、名嘉真朝増先生の孫弟子の方から、少林流松村正統の祖堅方範先生が名嘉真先生からピンアン初段と二段を習ったという話を記事に書いたが、その方から祖堅先生の「白鶴…

本部流
3週間前
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山根流棒術の家元と師範

Facebookで山根流棒術の伝系について質問があって簡単な回答をさせていただいたが、改めてブログでもこのことについて書いておこうと思う。 山根流は沖縄では明確に「家元…

本部流
4週間前
10

型少数主義と松村宗棍の真髄

以前、三木二三郎・高田瑞穂共著『拳法概説』(1930)に記載の屋部憲通の「型の数」の話を紹介したことがある。もう一度、同じ箇所を引用する。 上記によると、屋部先生は…

本部流
1か月前
13

名嘉真朝増の影響力

空手の歴史を研究していると、こんな疑問を抱くことがある。それはある流派の型がいつのまにか増えていって、その過程が明らかでないというものである。 たとえば、沖縄の…

本部流
1か月前
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舞方:空手と舞踊の融合

本部御殿手では、以前より空手(剛拳)と琉球舞踊の関係を強調してきた。それは、琉球王国では空手も琉球舞踊も職業専門家によって担われていたわけではなく、士族によって…

本部流
1か月前
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型の解釈と改変

学生の頃、大学の図書館で『ニューヨーク・タイムズ』の音楽評論を長く担当していた名物評論家、ハロルド・ショーンバーグの『偉大なピアニストたち』という本を借りて読ん…

本部流
1か月前
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宮城長順の新しい写真

新しいと言っても、実は以前Facebookで紹介したことがあるので、そのときの投稿をご覧になったかたはすでにご存知だと思う。本部御殿の門中の松島弘明氏(元琉球新報記者)…

本部流
1か月前
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知花朝章と知花公相君

以前、筆者は「知花公相君」という記事を書いた。知花公相君は知花朝章(1847-1927)から遠山寛賢(1888-1966)へ伝えられた型である。空手界では、従来、知花朝章につい…

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本部流
1か月前
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本部朝茂のピンアン

最近紹介している本部朝勇の次男、本部朝茂(1890-1945)の型にはピンアンもある。しかし、このピンアンも前回のナイハンチ同様ユニークなのである。まずこのピンアンには…

本部流
1か月前
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ナイハンチの原型?

先日紹介した本部朝茂(朝勇次男)は、トマイクン以外の型もいくつか残している。朝茂氏は、戦前大阪から和歌山へ、さらに南洋へ移住して終戦間際にふたたび大阪に戻ってき…

本部流
1か月前
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本部朝基は三男だから学校に通わせてもらえなかった?

本部朝基は三男だから学校に通わせてもらえなかった?

名声と誹謗中傷はしばしば表裏一体の関係にある。たとえば、本部朝基は若年の頃から「非常に武才がある」と松茂良興作に激賞され、長じてからも「三尺の童子にもその名を謡われている琉球武術の大家」(1)、「実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」(2)、「(組手では)沖縄第一」(3)、「唐手実戦家ナンバーワン」(4)等と讃えられた。

一尺は長さの単位ではなく2歳半を指す。したがって、「

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松村の弟子:喜友名親雲上

松村の弟子:喜友名親雲上

大正7年(1918)、本部朝勇は屋部憲通、喜友名親雲上、知念三良(山根のウスメー)等とともに、沖縄県師範学校で唐手の型ショーチンを演武した。ショーチンはソーチンのことである。

このときの演武は、『琉球新報』で「唐手の達人達」と題して紹介された。糸洲安恒が亡くなってから3年後のことで、彼らが糸洲亡き後の、当時の沖縄の武術界の頂点に君臨する人々だったわけである。

ところで、上記4名のうち、喜友名親

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新たに見つかった宮城長順の写真

新たに見つかった宮城長順の写真

Facebookをご覧のかたはすでにご存知かもしれないが、少し前に最近発見された宮城長順のハワイでの写真が海外空手家のグループの間で紹介されていた。

詳しい撮影場所や時期は不明だが、宮城先生は昭和9年から10年にかけてハワイに数ヶ月間滞在されていたので、その間に撮影されたのは確かである。

この写真の画期的な点は宮城先生が空手衣を着ていることである。意外にも宮城先生の空手衣姿の写真は少ないのであ

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空手家最古の肖像画

空手家最古の肖像画

琉球王国時代の空手家の肖像画というものは少ない。少ないというかほとんどない。唐手佐久川や真壁チャーングヮーはどういう顔をしていたのであろうか。

そもそも琉球王国時代に描かれた肖像画というのは先日発見された国王の「御後絵」のような例を除くと、ほとんどないように思う。著名な政治家を思い浮かべても、蔡温はあるが羽地朝秀はない。「沖縄三十六歌仙」でも、いま思い起こしても一人も肖像画は残されていないように

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複数敵と戦うということ

複数敵と戦うということ

競技化された現代空手では、基本的に想定する敵は一人である。組手試合では対戦相手は一人である。近年行われている団体形の演武では、複数相手と戦う「分解」が披露されることはあるが、そうした演武目的以外で、複数敵と戦う稽古を普段からするということは一般的ではない。

そうした中で、本部御殿手は例外的に普段から複数敵を相手にした稽古を重視している流派である。

複数を相手にした稽古は、本部拳法にもある。実際

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空手の突きと柔術の突きの違い

空手の突きと柔術の突きの違い

空手の突きと柔術の突きの違いについては、以前アメブロのほうで述べたことあるが、最近SNSでその話題が持ち上がっていたので改めて紹介したいと思う。

例として中段正拳突きを挙げると、空手の突きの特徴は以下のようになる。

・引き手に構える。しばしば引き手側から突く。
・手首を内旋させながら手の甲を上向きにして突く。
・親指は四指で握り込まないで、人差し指の上に置く。

これに対して、柔術の突きの特徴

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嘘の型

嘘の型

先日、名嘉真朝増先生の孫弟子の方から、少林流松村正統の祖堅方範先生が名嘉真先生からピンアン初段と二段を習ったという話を記事に書いたが、その方から祖堅先生の「白鶴」の型についても興味深い話を伺った。

YouTubeに祖堅先生の白鶴の型がアップロードされているが、実はこれは外国での演武で即席に創作した嘘の型だそうである。この話を名嘉真先生の孫弟子の方は祖堅先生の直弟子から直接聞いたという。

筆者は

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山根流棒術の家元と師範

山根流棒術の家元と師範

Facebookで山根流棒術の伝系について質問があって簡単な回答をさせていただいたが、改めてブログでもこのことについて書いておこうと思う。

山根流は沖縄では明確に「家元(宗家)」を名乗った世襲流派である。下記の比嘉清徳先生に出された山根流の師範免許でも「家元 知念正美」の署名がある。

家元もしくは宗家は日本武道で使われる称号である。元来は世襲が大半だが、明治以降、武道が衰退して親族に後継者がい

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型少数主義と松村宗棍の真髄

型少数主義と松村宗棍の真髄

以前、三木二三郎・高田瑞穂共著『拳法概説』(1930)に記載の屋部憲通の「型の数」の話を紹介したことがある。もう一度、同じ箇所を引用する。

上記によると、屋部先生は20年以上、二つの型しか練習していなかった。三木と高田はこの話を聞いて驚いた。そして、これこそ、空手の達人の有るべき姿であると感動したという。

屋部先生と親友だった本部朝基も「型はナイハンチだけでいい」という考えだったことはよく知ら

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名嘉真朝増の影響力

名嘉真朝増の影響力

空手の歴史を研究していると、こんな疑問を抱くことがある。それはある流派の型がいつのまにか増えていって、その過程が明らかでないというものである。

たとえば、沖縄の小林流の開祖は知花朝信であるが、知花先生は何種類の型を教えていたのであろうか。小林流の道場の中には、50種類近い型を教える所もある。

実は小林流のある先生によると、知花先生が教えた型は以下の通りだったそうである。

・ナイハンチ(初段~

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舞方:空手と舞踊の融合

舞方:空手と舞踊の融合

本部御殿手では、以前より空手(剛拳)と琉球舞踊の関係を強調してきた。それは、琉球王国では空手も琉球舞踊も職業専門家によって担われていたわけではなく、士族によって――しかもしばしば同一人物が――二つとも担っていたからである。

いや、二者の「関係」どころか、二者が「融合」したジャンルがかつて存在した。それが舞方(メーカタ)である。音曲に合わせながら即興的に武術的な舞を披露するのが舞方である。

中国

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型の解釈と改変

型の解釈と改変

学生の頃、大学の図書館で『ニューヨーク・タイムズ』の音楽評論を長く担当していた名物評論家、ハロルド・ショーンバーグの『偉大なピアニストたち』という本を借りて読んだことがある。

もう細部はうろ覚えだが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンといった、著名な作曲家――彼等は同時に当時の一流のピアニストだった――から、20世紀のホロヴィッツといった巨匠まで、名ピアニストの生涯や逸話が興味深く紹

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宮城長順の新しい写真

宮城長順の新しい写真

新しいと言っても、実は以前Facebookで紹介したことがあるので、そのときの投稿をご覧になったかたはすでにご存知だと思う。本部御殿の門中の松島弘明氏(元琉球新報記者)が出された本の中に、宮城長順先生のこれまで知られていなかった写真が含まれていた。

弘明氏の父、松島安男氏は戦前の那覇商業高校の出身だが、そこで空手を教えていたのが宮城先生だった。それで上記の集合写真に宮城先生が写っているという次第

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知花朝章と知花公相君

知花朝章と知花公相君

以前、筆者は「知花公相君」という記事を書いた。知花公相君は知花朝章(1847-1927)から遠山寛賢(1888-1966)へ伝えられた型である。空手界では、従来、知花朝章についてほとんど知られていなかった。また、知花朝章と知花朝信を誤解している例も散見される。それゆえ、この記事では、知花朝章について書いてみたい。

『沖縄県人事録』(1916)に、知花朝章の経歴を紹介した項目がある。それによると、

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本部朝茂のピンアン

本部朝茂のピンアン

最近紹介している本部朝勇の次男、本部朝茂(1890-1945)の型にはピンアンもある。しかし、このピンアンも前回のナイハンチ同様ユニークなのである。まずこのピンアンには、初段や二段といった名称が付いていない。ただの「ピンアン」という名称なのである。

とはいえ、ピンアンシリーズと全く異なる型ではなく、実質的に今日のピンアン初段とほぼ同じである。「ほぼ」というのは、実はこのピンアンは、ピンアン初段よ

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ナイハンチの原型?

ナイハンチの原型?

先日紹介した本部朝茂(朝勇次男)は、トマイクン以外の型もいくつか残している。朝茂氏は、戦前大阪から和歌山へ、さらに南洋へ移住して終戦間際にふたたび大阪に戻ってきて、そこで空襲に遭い亡くなった。南洋時代に、先日紹介した内間安勇氏の伯父、内間安壱氏が朝茂氏に師事して、それで朝茂氏の型が伝わっているのである。

それらの型のなかにはナイハンチもあるが、これが大変ユニークで空手史的には非常に興味深いのであ

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