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ホロコーストに関わる映画紹介🎬

アウシュビッツやホロコーストに関わる映画はたくさんあります。



1960年前後、ドイツでは戦争の記憶は薄れ、戦争責任の追及はニュールンベルグ裁判で終わったという意識でした。
ナチの戦犯でも海外に逃れたものは、名前を変えて普通の生活を送り、ドイツ国内でも、元ナチの党員や親衛隊員が過去を隠して普通の市民生活を送っていました。
ホロコーストもドイツ市民にはそれほど知られていなかったのです。
そのようななか、過去のドイツの戦争犯罪をドイツ人の手で裁こうと奮闘した検察官の姿を描いた映画を2本紹介します。


「アイヒマンを追え、ナチスがもっとも畏れた男」(2015年 ドイツ)


Story
ユダヤ人絶滅計画の責任者で戦犯のアドルフ・アイヒマンはドイツ敗戦後海外へ逃亡し、戦犯追及の手を逃れていました。
1950年代後半のフランクフルト。
検事総長のフリッツ・バウアーはユダヤ人で戦争中は亡命していましたが、戦後ドイツに戻って戦争犯罪の告発に熱心に取り組んでいました。

そこへ、アイヒマンが南米アルゼンチンのブエノスアイレスに潜伏しているという情報を手に入れます。
しかし、ドイツの司法当局には元ナチの高官が少なくなく、また冷戦下でソ連との対抗上ドイツの過去の犯罪を暴くことには消極的でした。
バウアーはドイツ当局が動かないのならイスラエルの諜報機関モサドに情報を流してでもアイヒマンを捕えてドイツで裁判にかけることに執念を燃やします。
しかし、それは国家叛逆罪に問われかねない危険な賭けでした・・・


「顔のないヒトラーたち」(2014年 ドイツ)


1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判に至るまでの検察官たちの苦闘を描いた映画です。
フランクフルト・アウシュビッツ裁判は、ホロコーストに関わったナチの親衛隊員たちを戦後ドイツ人の手で裁いた初めての裁判で、この裁判をきっかけにドイツ人のホロコーストに対する意識が大きく変わりました。

Story
1958年、ジャーナリストのグニルカが、知人のユダヤ人のキルシュが偶然見かけた教師が、彼がアウシュビッツに収容されていたときの看守であるという情報をフランクフルトの検察庁に持ってきました。
元ナチ親衛隊員が教師になることは禁じられていましたが、検察は戦争犯罪の追求は終わったとして相手にしません。


しかしその場に居合わせた主人公である若い交通課の検察官ヨハン・ラドマンはこの事件に関心を持ちました。
さらに検事総長フリッツ・バウアーの指示でこの問題を調査します。

しかし、1958年当時、ドイツは敗戦から復興し、戦争は過去のものとなっていました。
かつてのナチ党員や親衛隊員たちも職場に復帰し、多くのドイツ人はアウシュビッツの名前も知らず、ましてやそこで何が行われていたのかも知らないというような社会状況でした。

検察庁も刑事局もまったく協力的でないなか、ラドマンは収容所で行われた犯罪を証明してくれる証人や証拠を必死に探します。
収容所で「死の天使」と言われたヨーゼフ・メンゲレが南米ブエノスアイレスに潜伏し、平気でドイツ国内の家族に会いに帰国していることを知り、何とか逮捕しようとしますが、ドイツ連邦政府の協力を得られず逃がしてしまいます。

無力感に打ちひしがれるラドマンでしたが、同僚の検察官とも協力して、収容所生存者のつらい証言も集め、アメリカ当局が保管していた膨大なナチの資料から起訴に使えるものを丹念に調べて証拠を固め、ついに裁判にこぎつけるのでした。


アウシュビッツ裁判は1963年に始まり、収容所の生存者211名が証言台に立ちました。
19名の元親衛隊員たちが罪に問われ、17名に有罪判決が下りました。
20ヶ月の裁判中に自責の念を表わす被告はいなかったそうです。

そしてこの裁判をきっかけにドイツではナチスの徹底的な排除につながり、それは歴史反省としての優等生につながりました。



執筆者、ゆこりん

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