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熱に浮かされ見る夢のように儚く美しい 堀辰雄《風立ちぬ》

【読書記録】

風のように去ってゆく時の流れの裡に、人間の実体を捉えた「風立ちぬ」は、美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがて来る愛する者の死を覚悟し、それを見つめながら2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語。
バッハの遁走曲(フーガ)に思いついたという「美しい村」は、軽井沢でひとり暮しをしながら物語を構想中の若い小説家の見聞と、彼が出会った少女の面影を、音楽的に構成した傑作。

 風たちぬ、いざ生きめやも
 (風が吹く、さぁ、生きなければならない)

ジブリ作品の「風立ちぬ」は、実在した飛行機の設計技師・堀越二郎の人生に、彼と同時代を生きた堀辰雄の「風立ちぬ」のエッセンスを加えてアニメーション化したもの。

そんな前情報を得て読んだ。

人気のない
春の静かな別荘地帯に咲くツツジの花。

夏の高原の雑木林に射し込む木漏れ日と
微かに木々を揺らす風。

燃えるような落葉を踏みしめ
二人で進む秋の山径。

音もなく真っ直ぐに空から落ちる
雪のひとひら。

淡々と語られる、愛する者との静かに進む時間が愛おしくも切ない。

──お互いに与え合っていることの幸福、皆がもう行き止まりだと思っているところから始っているような生の愉しさ、そう云った誰も知らないような、自分たちだけのものを書き残したい──

彼のこんな気持ちが、愛に満ちた目で見たそのままの美しい表現となって、読んでいる私の心にそっと寄り添ってくれる。

私の身辺にあるこの微温い、好い匂いのする存在、その少し早い呼吸、私の手をとっているそのしなやかな手、その微笑、それからまたときどき取り交わす平凡な会話、──そう云ったものを若し取り除いてしまうとしたら、あとには何も残らないような単一な日々だけれども、──我々の人生なんぞというものは要素的には実はこれだけなのだ、そして、こんなささやかなものだけで私達がこれほど満足していられるのは、ただ私がそれをこの女と共にしているからなのだ、と云うことを私は確信していられた。

死の影が迫る終盤に差し掛かったとき、数年前に重い肺炎で熱に浮かされた脳で見た数々の幻影を思い出した。

強力な解熱剤を使おうが、何をしようが下がることのない高熱と、毛布の中で自らの体を抱えることしかできない激しい悪寒との狭間で、束の間の眠りについたときに見たもの。

どこかの美しい景色を瞼の裏に見た気がして、夢うつつでぼんやりしたかと思うと、再びの悪寒に襲われ、真っ暗闇を何かに追われて汗みどろで目覚める、ということを繰り返した。

あのとき、私の目線の先には無機質な天井と抗生剤のぶら下がった点滴棒しかなかったけれど、作中の節子のように、目覚めると愛する人が頬をそっと撫で、しっとりと絡んだ髪を梳いてくれていたら。
指先だけは冷えた手をそっと握ってくれていたら。
どんなに心休まったことだろう。

山奥にひっそりと佇むサナトリウムで、心から愛する人と過ごした数ヶ月きりの時間をこんなにも羨ましく感じるのは、彼ら二人がそれだけ幸福だったということの証なのかもしれない。

堀辰雄は芥川龍之介のことを師と仰いでおり、彼の死に衝撃を受けて書いたという「聖家族」も読みたい。


眠れずに過ごしたある早朝
病室の窓から見た風景



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