見出し画像

【映画感想文】ヤングケアラーがヤングじゃなくなったら - 『わたしの叔父さん』監督: フラレ・ピーダセン

 中学生の頃、すごい女の子がいた。勉強もできるし、絵も上手いし、学級委員もやっていた。他の誰よりも大人っぽく、当然、いい高校にいくと思っていた。

 ところが、彼女は不良が集まる定員割れの公立高校に進学した。なぜなのか。不思議で仕方なかった。

 後に、噂で、彼女は幼い頃から親の介護をしていたと聞いた。例の高校には介護の資格を取れるコースがあったので、恐らく、目的はそれなんじゃないかとみんな言っていた。

 もちろん、高校の価値は偏差値で決まるわけではないけれど、少し心がざわついたことを覚えている。

 当時はまだヤングケアラーという言葉は一般的でなかった。家のために頑張っている子どもとして褒められることはあっても、世の中的に、助けてあげなきゃという意識が働くことはなかった。

 思い返せば、年齢不相応にしっかりしている同級生は何人もいたけれど、それぞれ、両親が離婚して弟や妹の面倒を見なきゃいけなかったり、おじいちゃんかおばあちゃんの介護を手伝わなきゃいけなかったり、複雑な事情を抱えていた気がする。たぶん、環境のせいで、しっかりせざるを得なかったのだろう。

 いま、わたしは三十歳。地元を離れて十年以上。自然、当時の友だちと疎遠になってしまったけれど、あの子たちはどんな大人になっているのか、ぼんやりと考えてしまう。仮にそれを知ったところで、なにができるわけでもないというのに。

 そんなとき、Amazonプライムのおすすめで『わたしの叔父さん』という映画を見た。ずばり、大人になった元ヤングケアラーの話で、非常に胸が締めつけられた。

 主人公の女の子は十代の頃に家族を次々亡くし、叔父さんに引き取られ、二人で静かに暮らしてきた。そんな中、高校卒業のタイミングで叔父さんは倒れ、介護生活がスタート。二十代後半になっても叔父さんを支える毎日を送り、それを不憫に思ったまわりの人々が彼女にいろいろ働きかけるも……。

 だいたい、そんな内容の映画だった。

 実質、ヤングケアラーに等しい状況であるにもかかわらず、年齢的にはヤングケアラーに当たらないところが絶妙だった。というのも、客観的には本人が望んで叔父さんの介護をしているようにしか見えないのだ。それは偉いことであり、立派なことであり、彼女のアイデンティティと化してしまう。

 ヤングケアラーの問題は数あれど、介護を通して感謝されたり、褒められたりすることで、ヤングケアラー本人がやり甲斐を見出し、「わたしがいてあげなくちゃ」と思い始める共依存は特に深刻。結果、抜け出す道を失ったまま、ヤングケアラーは成人し、なにもかも自己責任で有耶無耶になってしまう。

 一応、最近は、ヤングケアラーについて社会で語られるようになり、若い介護者を孤立させないため、行政や学校が支援を行なっている。厚生労働省と文部科学省が連携し、「ヤングケアラーの支援に向けた福祉・介護・医療・教育の連携プロジェクトチーム」を立ち上げるなど、政策面でも重要視されている。

 なお、いずれも主な対象年齢は便宜上十八歳未満となっているが、介護による社会的孤立は年齢によるものではないので、十八歳以上も支える趣旨が明言されている。ただ、実際のところ、成人した元ヤングケアラーを補足できるかと言えば、難しいのが現実だろう。

 『わたしの叔父さん』はそのような制度から漏れてしまったヤングでなくなったヤングケアラーの実態を淡々と映し出していた。しかし、あくまで映し出しているだけ。どうするべきかという答えまでは提示してくれない。たぶん、これを観たわたしたちが考えなければいけないことだから。

 では、どうすればいいのか。そのヒントになるかもしれない『私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』という実録コミックがある。

 ヤングケアラー当事者複数(現役含む)に取材し、プライバシー保護の観点から一人のエピソードに再編成した漫画で、統合失調症の母親と認知症の祖父を介護しながら、女の子が「子どもらしさ」を殺し、家庭を成り立たせようと頑張るも、後に自分がヤングケアラーだったと気がついていく物語だ。

 その取材について、あとがきで「子どもはプライドが高い」と書からているのが印象的だった。

ただ、取材していて実感したのは、「子どもはプライドが高い」ということです。同情されたくないですし、誰が何に怒るのか、喜ぶのか、冷静に見極めて行動しています。子どものしたたかさを大前提にしながら描きたいと思いました。

『私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』「あとがき」より

 我々は誰かを助けるとき、つい、憐れみの態度で接してしまうことがある。でも、一生懸命頑張っている人に対して、可哀想と思うことは失礼ではないだろうか?

 この考えに至ったとき、わたしは自分が情けなかった。なぜなら、介護の資格を取るため、無試験で入れる高校へ進学した同級生に対し、可哀想と思ってしまっていたから。

 では、あのとき、わたしはどうするべきだったのか。

 なかなかベストな答えは出せないけれど、現状、以下のような方策がベターだったんじゃないかと考えている。あくまで、彼女のしたたかさに寄り添い、利用できる社会制度を一緒に調べ、公共サービスを活用する手伝いをするべきだった、と。

 福祉に頼るという言葉はまるで弱者の振る舞いみたいで気持ちよくない。むしろ、福祉をハックしてやるぐらいの気持ちでいた方が、みんな、人に助けを求められるのではなかろうか。

 公共サービスにつながれば、なんとかなる可能性は高い。でも、そうなっていないのは、そこに至るまでのプロセスでつまずいている場合が多く、プライドの話は無視できない。

 たとえば、『私だけ年を取っているみたいだ。』の女の子はある事件をきっかけに、医療機関とつながり、家族と距離を取ることができる。そこから、失われた時間を取り戻していくのだが、年齢を重ねることで若返っていくという表現はあまりにも素晴らし過ぎる。

 一方、『わたしの叔父さん』の女の子は公共サービスにアクセスすることができなかった。まわりの人たちはとても優しく、彼女が自由に生きられるようアドバイスを重ねるのだけど、その根底には憐れみがあった。残念ながら、それでは一生懸命生きている人たちは逃げてしまう。

 そもそも、生きるって大変なことなのだ。だからこそ、無事に年を越せたら「新年おめでとうございます」とお祝いするし、誕生日を迎えたら「ハッピー・バースデー」と盛り上がる。しかし、現代ではそういう儀式が形骸化。生きることは当たり前となり、生き抜くことの特別性が忘れ去られた結果、うまく生きられない人たちを可哀想と憐れむ傲慢さが平気で広がっている。

 なぜ、人類が社会というシステムを作り出してきたのか。いま一度見つめ直さなくてはならない。誰もがうまく生きられない可能性があるから、互いに支え合うことで、そのリスクを限りなく減らすためではなかったか。

 してみれば、むしろ、うまく生きられないのは当たり前。つらそうな人を見つけたら、そのために社会があると明るく受け止め、利用できる制度を探してあげるのが筋ってものだろう。そして、明日は我が身である以上、その積み重ねにいつか自分も救われるかもしれない。

 利己主義を突き詰めると利他主義に至る。この矛盾こそ、人類が人類たるゆえんであり、愛の正体なんだとわたしは思う。

 あの頃の同級生のため、直接的な支援をするには遅過ぎるかもしれない。ただ、こんな風に利他主義の重要性を訴え続け、実践し続けることが、巡り巡って、誰かの役に立ってほしいと願ってはいる。

 無論、それは都合のいい希望でしかない。ただ、間接的な支援に遅過ぎるってことはないはずで、とにかく、やれるだけをやっておきたいのだ。結局は自分のために。




マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!

質問、感想、お悩み、
最近あった幸せなこと、
社会に対する憤り、エトセトラ。

ぜひぜひ気楽にお寄せください!!

この記事が参加している募集

多様性を考える

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?