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一時的同期で動機を生み出せ。体験することの価値と意味。

今を遡ること7年。
「体験を開発する会社」として、ぼくはdot button companyを立ち上げました。

今日は、なぜ「体験」にこだわるのか、お話できればと思います。

「体験」と「経験」

ぼくは、「体験」というトリガーをツール化することで、動機がなくて動けずにいる人を少しでも減らしていきたいと考えています。

「体験」は、辞書では以下のように定義づけられています。

自分が実際に身をもって経験すること。また、その経験。

精選版 日本国語大辞典

似た言葉である「経験」よりも、身体性が強いイメージです。また、「経験」は行動によって学んだり得られた知識や技術といったものも含まれますが、「体験」はそのときの行動のみにフォーカスします。

動機を失った人への処方箋

人生を賭けてのめり込んでいた音楽の道が途絶えた18才のとき、まさにぼくは生きる動機や意味を失っていました。それから右も左も分からない社会に飛び込んで、音楽の代わりとなるものにすがるかのように、人との出会いや仕事のチャンスに全身全霊で応えようとしてきました。するとだんだん、社会のなかで自分が生み出す波及効果を実感できるようになった。そうした手触りのあるアウトプットを体験すると、また次なるアクションへの動機づけに自然とつながっていきました。
 
大それた夢や目的なんてなくてもいい。体験をともなう小さなきっかけさえあれば変わっていけるんだ、と思えた原体験であり、当時のぼくのように動機を失ってにっちもさっちもいかなくなっている人に向けて事業を起こしたいと思うに至った出来事でもありました。

「体験」にこだわる

会社のスローガンを決めるとき、「経験」ではなく「体験」を選んだのには理由があります。
 
「経験」は、たとえば経験値という言葉があるように、過去がイメージされやすいですよね。一方で「体験」は、より「今」にフォーカスしています。過去はどうにも変えられないし、未来だってどうなるか分かりません。でも「今」という瞬間だけは、自分の心持ちで選びとることができると思うんです。あとは、「体」という漢字が使われているように、身体をともなった経験なんですよね。そのとき、その空間でしか味わうことのできない経験です。
 
ぼくには、けっして忘れることのできない体験があります。
災害支援事業で被災地を目の当たりにしたとき。そして、スタッフとして関わった音楽フェスでステージから数万人の観客を見渡したとき。人間の発するエネルギーが、直撃した。大きな一体感に包まれました。身体をもつ人間同士が他者をちゃんと感じ取りながら、感情を共有する。これって、人間らしいというか、動物らしいなと思いました。そして、こうした他者との同期を体験することで、生きる動機やなにか変化を起こす動機につながっていったのです。

パーソナライズ化された「体験」

一方で、昨今ぼくらが享受している「体験」はどういったものでしょうか。ぼくは、社会性と身体性が失われてきているように思えて、危機感を抱いています。
 
AIの実用化が進むことで、サービスはより個別化・細分化されています。自分が興味関心のあるものだけを選んでリコメンドしてくれる機械学習は、良く言えば個別最適化。究極、一対一のサービスになるでしょう。たとえば、ほかの誰も知らないけれど、自分だけに向けてつくられたアニメや楽曲が出てくる可能性も十分あるわけです。一人が他者と存在せずに生きていく世界って、ぼくには、偶然性を奪われた自動化の中を生きる、もはや自分でなくても良い、存在の剥奪に思えてなりません
 
この文脈でとらえる「コミュニティ」にも、同じく危うさを覚えています。興味関心が細分化され続けることで、小規模集団としてのコミュニティが無数に存在するようになりました。大きな一体感に包まれるような共有体験は、味わいづらくなったように思います。

動物としての人間を取り戻す

日頃から「体験」を生み出すイベントを打ち出していると、ふと、「なぜこのイベントを選んで来てくれるんだろう」と疑問に思うことがあるんです。もしかすると、本能的な部分で、生きていくための動機づけを求めているのかもしれません。
 
後期資本主義の時代に入って久しいですが、今なお、合理化や効率化はとどまるところを知りません。人間とはいかなる存在なのか、人間である必要があるのか、人間としてどう生きるべきなのか、といった問題が頭をもたげます。こうした時代だからこそ、身体性と社会性を備える動物としての人間に立ち返る必要があると思うし、これからより一層、それらを取り戻すための「体験」が求められる時代に突入していくのではないかととらえています。
 
個々人が閉ざされた世界のなかで生きている。そんな社会性が乏しい状態の人たちに溢れた社会ではなくて、ただシンプルに、動物としての人間らしく、周りの人たちと一緒にワクワクしたり楽しく生きているような社会共有体験が生きる動機を生み、また新たな体験が創出されていくような循環ある社会。ぼくはそんな社会にみんなとともに生きていきたい。だからこれからも、「体験」を開発し続けます。


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